倉科遼

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倉科 遼(くらしな りょう、1950年 - )は、漫画原作者。出身地は栃木県那須塩原市水商売モノ(本人いわく「ネオン街モノ」)を十八番とする。なお、司敬(つかさ けい)名義でも劇画漫画原作も発表している。

漫画原作のほかに、本名の大場 敬司(おおば けいじ)名義でフリーハンド及びオフィスケイという編集プロダクションも経営しており、雑誌まるごと、もしくは一部を出版社から請け負っている。

目次

[編集] 経歴

1971年 司敬名義で漫画家としてデビュー。

この頃の伝説の一つに、青年雑誌で作品を発表していた司敬を某大手出版社が「ウチの少年誌で連載させてあげるから、今の仕事をストップとして欲しい」と誘いをかけられた際に「これまで世話になった義理がありますので」と、収入に格段の違いがあるにも関わらず連載を続けたとされるものがある。これは当時の業界の常識を覆した事件とされ雑誌編集者の匿名座談会でも「そんなサムライみたいな人は今時、いないよね」と半ば呆れられながらも評価された。それ以外にも「豪快伝説」が多いとされるが、尾ひれのついたものも多いとされる。

[編集] 倉科遼名義(五十音順)

[編集] 司敬名義(同上)

[編集] 外部リンク

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