三角寛
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三角 寛(みすみ かん、みすみ ひろし、1903年(明治36年)7月2日 - 1971年(昭和46年)11月8日)は、小説家、山窩(サンカ)作家、映画館経営者。本名は三浦守。僧名は釈法幢。
大分県直入郡馬籠(現在は竹田市に含まれる)に生まれる。10歳で仏門に入る。
1926年(大正15年)3月、朝日新聞社に入社。説教強盗の報道で話題となる。永井龍男の勧めで小説を書き始め、『婦人サロン』に「昭和毒婦伝」を連載し文壇にデビュー。山窩小説三部作と言われる『怪奇の山窩』『情炎の山窩』『純情の山窩』を発表し、流行作家の道を歩む。1962年(昭和37年)に学位論文「山窩族の社会の研究」で東洋大学から文学博士の学位を取得する。戦後は吉川英治、徳川夢声、井伏鱒二らを株主とする映画館「人世坐」「文芸坐」の経営にあたる。また1942年(昭和17年)に皇国薬草研究所を創立して所長に就き、晩年には埼玉県の桂木寺の住職を務めた。
『三角寛全集』全35巻・別巻1巻を母念寺出版より刊行中に死去し、未完に終っている。
現代書館から『三角寛サンカ選集』全7巻が刊行されている。
朝日新聞入社以前の履歴にはさまざまな疑問が呈されている。少なくとも日本大学を卒業したという本人の主張は偽りである。[要出典]
三角による山窩(サンカ)に関する研究は、現在でも多くの研究者が資料とするところだが、実は彼の創作・捏造である部分がほとんどであり、小説家としての評価は別として学問的価値は低い。これはその後多くの研究者により虚偽であることが証明された[要出典]。よって三角によるサンカ資料は、三角自身による創作小説と見るのが適当である。しかし上記のように三角寛のサンカ資料は確かに三角自身の創作・捏造であったが、彼の研究対象は実際にサンカと呼ばれていた人々であった。この資料が虚構であった事でサンカ研究は、大幅な見直しを迫られているが、真実のサンカ像を巡る研究は三角寛が研究対象にしたサンカ抜きには語れず、その後のサンカ研究者にも影響を及ぼしている。
[編集] 参考文献
- 礫川全次著『サンカと三角寛-消えた漂泊民をめぐる謎』(『平凡社新書』294)、平凡社、2005年(平成17年)10月。ISBN 978-4-582-85294-3
- サンカ研究会編『いま、三角寛サンカ小説を読む』、現代書館、2002年(平成14年)8月。ISBN 978-4-7684-6826-5
- 筒井功著『サンカの真実 三角寛の虚構』(『文春新書』533)、文藝春秋 2006年(平成18年)10月。ISBN 978-4-16-660533-0
- 筒井功著『漂白の民 サンカを追って』、『現代書館』、2005年(平成17年)7月。ISBN 4-7684-6902-7
- 三浦寛子著『父・三角寛-サンカ小説家の素顔』、現代書館、1998年(平成10年)9月。ISBN 978-4-7684-6737-4
- 『彷書月刊』第17巻第3号 / 通巻第186号(特集=没後三〇年・三角寛の世界)、弘隆社、2001年(平成13年)2月(特集:中島貞夫「映画『瀬降り物語』」、畑中純「書斎の山窩」、朝倉喬司「三角寛の「怒り」」、礫川全次「説教強盗と三角寛」、飯尾恭之「「三角サンカ学」を検証する」、「オヤジの肖像 「巨人」にして「怪人」-三浦大四郎さんに聞く」、「三角寛略年譜」、末國善己「作家・三角寛の小説世界-山窩小説を中心に」、赤堀博美「漬け物にみる三角哲学」、三角寛「つけもの大学」、村井三夫「甦る三角寛」)。


