ヴェルデーリオ

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ヴェルデーリオ
Verderio
ヴェルデーリオの風景
ヴェルデーリオ・インフェリオーレの教区教会
行政
イタリアの旗 イタリア
ロンバルディア州の旗 ロンバルディア
県/大都市 レッコ
CAP(郵便番号) 23879 (Verderio Inferiore)
23878 (Verderio Superiore)
市外局番 039
ISTATコード 097091
識別コード M337
分離集落 Verderio Inferiore, Verderio Superiore
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 5,489 [1](2021-01-01)
人口密度 839.3 人/km2
文化
住民の呼称 verderesi
地理
座標 北緯45度40分 東経09度26分 / 北緯45.667度 東経9.433度 / 45.667; 9.433座標: 北緯45度40分 東経09度26分 / 北緯45.667度 東経9.433度 / 45.667; 9.433
標高 249 (236 - 258) [2] m
面積 6.54 [3] km2
ヴェルデーリオの位置(イタリア内)
ヴェルデーリオ
ヴェルデーリオの位置
レッコ県におけるコムーネの領域
レッコ県におけるコムーネの領域 地図
イタリアの旗 ポータル イタリア
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ヴェルデーリオ: Verderio)は、イタリア共和国ロンバルディア州レッコ県にある、人口約5,500人の基礎自治体コムーネ)。

2014年2月4日にヴェルデーリオ・スペリオーレヴェルデーリオ・インフェリオーレが合併して発足した。

名称[編集]

標準イタリア語以外では以下の名を持つ。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

レッコ県南部に位置するコムーネ。県都レッコから南へ21km、州都ミラノから北東へ30kmの距離にある[5]。町役場はヴェルデーリオ・スペリオーレに置かれている。

隣接コムーネ[編集]

隣接するコムーネは以下の通り。括弧内のLCはレッコ県、MBはモンツァ・エ・ブリアンツァ県所属を示す。

気候分類・地震分類[編集]

気候分類では、zona E, 2425 GGに分類される[6]。 また、イタリアの地震リスク階級 (itでは、zona 3 (sismicità bassa) に分類される[7]

歴史[編集]

古代から近世[編集]

Verderio という地名は、おそらくは「庭園」を意味するラテン語 viridarium に由来する。ローマ文明の足跡は、考古学的な遺跡やケントゥリアティオ (it:Centuriazione(土地の方格設計)とともに、この地域の地名にも残されている。たとえば、Vicus Mercatiヴィメルカーテ Vimercate)、Hiberna Regisベルナレッジョ Bernareggio)などである。紀元前222年執政官マルクス・クラウディウス・マルケッルスに率いられたローマ軍は、この地でインスブリ人 (Insubriを破った。

この地にはその後ランゴバルド人、ついでフランク人が暮らしたことが、考古学的な調査から判明している。現在は市庁舎となっている Villa Gallavresi からは、10世紀にさかのぼる城の遺構が発掘されている。12世紀から14世紀にかけて、この街にはテンプル騎士団が所在し、コマンドリー(騎士団の所領)と Castel Negrino の城(現在はアイクルツィオの一部であるが、当時はヴェルデーリオに属していた)という二つの重要な拠点に加え、Brugarola には農園が置かれた。騎士団の名簿には Dalmazio da Verderio という人物が載せられている。1312年にフランスのフィリップ4世(端麗王)によってテンプル騎士団が解体されると、その資産はマルタ騎士団に引き渡されている。

フランス革命戦争第二次対仏大同盟)中の1799年4月28日、当地でヴェルデーリオの戦いが行われた。オーストリア帝国ロシア帝国連合軍(指揮官はVucassovich将軍)とフランス軍(指揮官はSérrurier将軍)が衝突したこの戦闘において、フランス兵は Villa Confalonieri に立てこもり降伏を余儀なくされたが、戦死者3000人のほとんどはオーストリア兵であった。勝者ははじめ解放者として迎えられたが、略奪、放火や破壊その他の行為によって人々を失望させた。街にはこの悲惨な出来事を記念する2つの銘板がある。

上下ヴェルデーリオ[編集]

ヴェルデーリオのコムーネが、ヴェルデーリオ・スペリオーレ(上ヴェルデーリオ)とヴェルデーリオ・インフェリオーレ(下ヴェルデーリオ)に分けられた歴史ははっきりしない。12世紀にさかのぼるとする説や、テンプル騎士団壊滅に関連付ける説がある。確かなことは、1412年の史料に「上と下のヴェルデーリオ (Verderio de sora e de sotto)」と記されていることである。なお、1874年には両コムーネが一時的に統合された。

一方、カトリック教会の教区はヴェルデーリオ教区 (Parrocchia di Verderio) として単一のものであった。この教区はトレント公会議後、ミラノ大司教カルロ・ボッロメーオ(のちに列聖)が1571年1583年司牧訪問したことによって設立された。しかしながら、1778年にヴェルデーリオ・インフェリオーレ教区が設定されて教区教会が建設され(現在の教会の建物は1906年建設である)、単一教区の時代は終わった。

両コムーネは、小学校や図書館、体育館などの施設を共有してきた。このため、両コムーネの統合に関する住民投票(両コムーネでそれぞれ過半数の賛同が要求される)が数度行われた。1994年2004年に行われた投票では合併は否決された(ヴェルデーリオ・インフェリオーレは二度とも賛成過半数であったが、ヴェルデーリオ・スペリオーレでは二度とも反対過半数であった)。2013年12月1日に行われた住民投票において、両コムーネで合併が可とされた[8]。2014年2月4日、州議会により新自治体ヴェルデーリオが設立された。コムーネの最初の選挙は、2014年5月25日に行われた[9]

脚注[編集]

  1. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Resident population on 1st January : Lombardia” (英語). 2021年5月10日閲覧。左側メニューのPopulation and Households > Population > Resident population on 1st January > Regions and municipalities より州を選択
  2. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Lecco (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2021年12月8日閲覧。より"Verderio Inferiore"と"Verderio Superiore"の数値を合算。
  3. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Lecco (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2021年12月8日閲覧。より"Verderio Inferiore"と"Verderio Superiore"の数値を合算。
  4. ^ AA.VV. (1996). Dizionario di toponomastica. Storia e significato dei nomi geografici italiani. Milano: GARZANTI. p. 694 
  5. ^ 地図上で2地点の方角・方位、距離を調べる”. 2017年1月18日閲覧。"Comune di Verderio"で検索。
  6. ^ Tabella dei gradi/giorno dei Comuni italiani raggruppati per Regione e Provincia”. 新技術エネルギー環境局(ENEA) (2011年3月1日). 2017年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月20日閲覧。より役場の置かれているヴェルデーリオ・スペリオーレの値
  7. ^ Classificazione sismica - Aggiornata ad aprile 2021.” (xls). https://rischi.protezionecivile.gov.it/it/sismico/attivita/classificazione-sismica. イタリア市民保護局. 2021年9月9日閲覧。
  8. ^ Nuovi Comuni istituiti nel 2014”. tuttitalia.it. 2015年3月21日閲覧。
  9. ^ Fusione Comuni, 9 nuove amministrazioni al voto il 25 maggio

外部リンク[編集]