ロレンツォ・ティオ

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ロレンツォ・ティオ Jr.
出生名 ロレンツォ・ティオ Jr.
生誕 1893年????
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ルイジアナ州ニューオーリンズ
死没 1933年????
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジャンル クラシック・ジャズ
職業 クラリネット奏者
担当楽器 クラリネットオーボエ
共同作業者 マニュエル・ペレズ
アーマンド・J・パイロン
ジェリー・ロール・モートン
クラレンス・ウィリアムズ

ロレンツォ・ティオ Jr.(Lorenzo Tio Jr.、1893年 - 1933年)は、ニューオーリンズ出身の優れたクラリネット奏者であった。同様に、父のロレンツォ・ティオ Sr. Lorenzo Tio Sr.1867年 - 1908年)と叔父のルイス・“パパ”・ティオ Louis "Papa" Tio1862年 - 1922年)もそうであった。彼らの奏法(それにはアルバート・システムの楽器、ダブルリップ・アンブシュア、それに柔らかなリードが必要であった)はジャズソロの発展において独創的で将来の発展に影響を与えた。

3 人のティオは、クラシック音楽理論ラグタイムブルースジャズミュージシャンたちにもたらし、ロレンツォ Jr. はやがて自分自身でジャズを演奏するようになった。ロレンツォ Sr. は“ビッグ・アイ”・ルイス・ネルソン・ドリールを教えた。多くの特筆すべき初期のジャズのリード楽器の奏者たちはロレンツォ・ティオ Jr. に習っている。つまり、シドニー・ベシェバーニー・ビガードジョニー・ドッズオマー・シメオンジミー・ヌーンアルバート・ニコラス en:Albert Nicholas たちである。

ロレンツォ・ティオ Jr. はオーボエも演奏した。彼は1916年シカゴマニュエル・ペレズ Manuel Perezバンドに参加し、1918年から1928年までは アーマンド・J・パイロン en:Armand J. Piron のバンドに参加して、パイロン、ベシェ、ジェリー・ロール・モートンクラレンス・ウィリアムズ Clarence Williams らと録音をした。

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