レオニド・アンドレーエフ

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レオニド・アンドレーエフ

レオニド・アンドレーエフ(ロシア語: Леонид Николаевич Андреев、Leonid Nikolaevich Andreev、、1871年8月21日ユリウス暦8月9日) - 1919年9月12日)は、20世紀はじめのロシアの作家である。ロシア第一革命の高揚とその後の反動の時代に生きた知識人の苦悩を描き、当時、世界的に有名な作家となった。

生涯[編集]

法律を学び、モスクワでしばらく弁護士として働いた後、ジャーナリストとなった。当時の知識人の大半と同じく、1905年の革命に同情的であり『ルースカヤ・ヴォーリャ Русская воля』誌の有力な寄稿者であった。革命の失敗によって、保守的な勢力に転じた。1917年の革命後はドイツフランスフィンランドへ逃れフィンランドで没した。

外国での紹介・評価[編集]

日本では1906年に『旅行』を上田敏が翻訳したのを皮切りに、1908年二葉亭四迷が『血笑記』を翻訳、1909年になって多くの作品が翻訳された。日本滞在中の中国の文学者魯迅も翻訳小説集『域外小説集』に三篇のアンドレーエフの小説を収録した。夏目漱石小宮豊隆と独訳本でアンドレーエフの小説の購読を行い、小説『それから』で主人公にアンドレーエフの『七刑人』を読書する場面を描いた[1]。日本文学とくに大正期の文学にあたえた影響は大きく、志賀直哉作品にも影響をあたえたといわれる[2]

作品[編集]

  • 『思想 Мысль』(1902年)
  • 『深淵 Бездна』(1902年)
  • 『かくあった Так было』(1906年)
  • 『闇 Тьма』(1907年)
  • 『飢餓王 Царь Голод』(1908年)
  • 『七死刑囚物語 Рассказ о семи повешенных』(1908年)
  • 『サーシカ・ジェグローフ Сашка Жегулёв』(1911年)

脚注[編集]

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  1. ^ 藤井(1985)
  2. ^ 下斗米&島田(2002)p.259

参考文献[編集]