ルーベン・オリバレス
| 基本情報 | |
|---|---|
| 本名 | ルーベン・オリバレス |
| 通称 | El Púas ミスター・ノックアウト |
| 階級 | バンタム級 フェザー級 |
| 国籍 | |
| 誕生日 | 1947年1月14日(66歳) |
| 出身地 | メキシコシティ |
| スタイル | オーソドックス |
| プロボクシング戦績 | |
| 総試合数 | 104 |
| 勝ち | 88 |
| KO勝ち | 77 |
| 敗け | 13 |
| 引き分け | 3 |
ルーベン・オリバレス(Ruben Olivares、1947年1月14日 - )は、メキシコの元プロボクサー。メキシコシティ出身。元WBA・WBC世界バンタム級、WBA世界フェザー級、WBC世界フェザー級の2階級制覇王者である。その高いKO率から「ミスター・ノックアウト」の異名を持つ。身長170cm。
目次 |
来歴 [編集]
1965年1月4日、プロデビュー戦を1RKOで飾る。デビューから26戦連続でKOを重ねる。
1967年10月14日には、ファイティング原田の実弟である牛若丸原田、1969年5月23日には東京オリンピック金メダリストの桜井孝雄をもKOで退ける。
52戦51勝49KO1分の戦績を引っ提げ、1969年8月22日、ライオネル・ローズが持つWBA・WBC世界バンタム級王座に挑戦。5回KO勝利で王座を奪取する。
その後も次々とKOの山を築き、防衛にも2回成功。
1970年10月16日、チューチョ・カスティーヨに14RTKOでプロ初の敗北を喫し王座陥落。
1971年4月2日、カスティーヨと再戦。判定の末、WBA・WBC王座を奪回する。その後もKOを重ね、再びKO街道を驀進したかに思えた。
1971年10月25日、愛知県体育館での金沢和良(アベジム)との防衛戦は、日本ボクシング史上に残る「世紀の死闘」を繰り広げた。1969年1月26日に1度対戦し2Rで退けた相手だったが、13Rには右アッパーを受けてグロッギーに陥るなど大乱戦となり、14Rまでもつれ込む。最終的にはKO勝利を収めたが、この試合がオリバレスにとっての大きなターニングポイントとなる。この試合は金平正紀がプロモートした中で最高のファイトだったという。同年の日本プロボクシングで年間最高試合にも選ばれた。
1972年3月19日、ラファエル・エレラに敗れ再び王座陥落。
その後、フェザー級に転級。早いラウンドでのKO決着が少なくなる。
1974年7月9日、WBA世界フェザー級王座決定戦で歌川善介を7RKOで退け。2階級制覇を達成する。
11月23日、アレクシス・アルゲリョに13RKO負けを喫し、王座陥落。
1975年6月20日、ボビー・チャコンを2RTKOで退け、WBC世界フェザー級王座を奪取する。
しかし、9月20日、デビッド・コティに判定負けを喫し、初防衛失敗。
1978年7月21日、エウセビオ・ペドロサの持つWBA世界フェザー級王座に再挑戦。しかしKOで敗退。
1988年3月12日、イグナシオ・マドリッドに4RTKO負けを喫し、23年間のボクサー生活にピリオドを打った。
通算戦績 [編集]
104戦88勝78KO13敗3分
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
| 前王者 ライオネル・ローズ |
第4代WBC世界バンタム級王者 1969年8月22日 - 1970年10月16日 |
次王者 チューチョ・カスティーヨ |
| 前王者 チューチョ・カスティーヨ |
第6代WBC世界バンタム級王者 1971年4月2日 - 1972年3月19日 |
次王者 ラファエル・エレア |
| 前王者 ボビー・チャコン |
第12代WBC世界フェザー級王者 1975年6月20日 - 1975年9月20日 |
次王者 デビッド・コティ |
| 前王者 ライオネル・ローズ |
第7代WBA世界バンタム級王者 1969年8月22日 - 1970年10月16日 |
次王者 チューチョ・カスティーヨ |
| 前王者 チューチョ・カスティーヨ |
第9代WBA世界バンタム級王者 1971年4月2日 - 1972年3月19日 |
次王者 ラファエル・エレア |
| 空位 前タイトル保持者 エルネスト・マルセル |
第21代WBA世界フェザー級王者 1974年7月9日 - 1974年11月23日 |
次王者 アレクシス・アルゲリョ |
