ルキウス・ムンミウス

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ルキウス・ムンミウス・アカイクスラテン語: Lucius Mummius Achaicus、生没年不詳、紀元前2世紀)は、共和政ローマ期の政治家・軍人。後年ギリシャでの功績によりアカイクス(=「アカエアを制した者」の意)の称号が授与された。また彼は最初に軍事的功績により称号を与えられたプレブス系出身の人物で、ノウス・ホモと呼ばれる人物の先駆者でもある。

略歴[編集]

ルキウス・ムンミウスはプレブス出身であり、紀元前187年に護民官を務めたルキウス・ムンミウスの息子とされること以外、その出自はよく分かってはいない。紀元前153年プラエトル(法務官)へ選出され、軍を率いてルシタニアへ遠征し、ジブラルタルでルシタニ族相手に勝利を収め、その功績を以てローマで凱旋式を行った。

紀元前146年執政官へ選出され、アカイア同盟との戦争のためにローマ軍団を率いてペロポネソス半島へ遠征し、コリントスの戦いでアカイア同盟軍を破った。さらにコリントスを陥落させたが、男は皆殺し、女子供は奴隷として売り払い、市内の芸術品はローマへと送られたという。これによりコリントスは消滅、市内は徹底的に破壊された。また、ムンミウスの遠征によりギリシャはローマ属州アカエアとなった。

この一見不必要に思われた過剰な懲罰行為は、長らく彼の性格によるものと信じられていたが、後世の歴史家モムゼンはローマとの交易のライバルを排除するために元老院の方針によるものであったと説明している。またポリュビオスは、ムンミウスは周りの圧力を抑えることができなかったためにコリントスを破壊したと述べている。なお、同じ紀元前146年にはマケドニアがローマ属州(マケドニア属州)となった他、後にムンミウスの同僚ケンソル(監察官)となるスキピオ・アエミリアヌスがローマ軍を率いてカルタゴを滅ぼした。

しかしながら、その後のムンミウスは行動において公正潔白であった。とくに宗教的な事柄に関して彼は丁重で慎重な態度を取ったためにギリシアの人々の尊敬を受けたという。ローマへ帰還するとムンミウスは凱旋式を敢行する栄誉を受け、ギリシアでの功績により『アカイクス』の称号を付与される。紀元前142年にムンミウスはスキピオ・アエミリアヌスとともにケンソルに選出。彼の性格である厳格さ・真面目さはしばしばスキピオの性格である寛大さ・鷹揚さとよく衝突したという。

彼によりローマに運ばれた数多くのギリシャ美術の作品は多くのローマ人を刺激し、ギリシャ美術への傾倒を促したが、彼自身はギリシャ美術に全く無関心であり、また価値も見出してはいなかったという。