プロイセン陸軍士官学校

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1900年頃のプロイセン陸軍士官学校。

プロイセン陸軍士官学校(Preußische Hauptkadettenanstalt)は、プロイセン王国陸軍士官学校ベルリンリヒターフェルデドイツ語版英語版に置かれた。直訳してプロイセン陸軍中央幼年学校とも。

Hauptkadettenanstalt(Hauptは「頭・頂点」の意)の名が示すように、主に全国各地の陸軍幼年学校(Kadettenanstalt)出身者が更なる教育を受けた[1]。幼年学校-士官学校というプロイセン式の陸軍教育制度は大日本帝国陸軍にも影響を与えた。

主な出身者[編集]

外国人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「砂漠の狐」ロンメルが上官から指摘された“性格的な欠陥” その背景にある事情”. PHPオンライン衆知|PHP研究所. 2023年8月26日閲覧。

参考文献[編集]

  • イエルク・ムート『コマンド・カルチャー 米独将校教育の比較文化史』(大木毅訳、中央公論新社、2015年)

関連項目[編集]