エルンスト・フォン・ザロモン
エルンスト・フォン・ザロモン(Ernst von Salomon, 1902年9月25日 - 1972年8月9日)は、ドイツの作家。ヴァルター・ラーテナウ暗殺の関係者の一人。
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[編集] フライコール(義勇軍)
軍人の子としてキールに生まれ、1913年以降、カールスルーエとベルリンのリヒターフェルデの陸軍幼年学校生(カデット)となる。 1919年にフライコールのエアハルト旅団に入隊し、バルト地方とオーバー・シュレジェンで共産主義と戦う。バルト地方での戦いでは、後にナチス突撃隊になり、ルールでの反フランスのレジスタンス運動でフランス占領軍に銃殺されたアルベルト・レオ・シュラゲターと同じ部隊に属した。
[編集] エアハルト旅団
1920年3月13日、エアハルト旅団は首都ベルリンを制圧する(カップ一揆)。3月17日、一揆は敗れ、部隊はベルリンから撤退し、解散させられ、ザロモンは半ばインチキの両替屋や駅の店員などで食いつなぐ。エアハルト旅団以外の他のフライコールも同じような状態にあり、部隊の中枢は地下に潜り、非合法の武装組織へと変貌していく。オーバーシュレジェン地方の「アンナベルクの丘の戦い」の後、エアハルト旅団もまた、「コンスル(執政官)組織」と呼ばれる非合法の地下組織となる。
[編集] コンスルとラーテナウ暗殺
そのコンスルが実行した外相ヴァルター・ラーテナウの暗殺に19歳のザロモンは関係した。実行部隊のリーダー格のエルヴィン・ケルンは24歳、もう一人のハルトムート・プラースは21歳だった。見張り役だったザロモンはこの件で5年の禁錮刑となる。この時の体験をもとに描いた『追放された者たち』(Die Geächteten)がザロモンの作家としての第一歩となる。
[編集] ナチスとの距離
コンスルは、「真の第三帝国」の立場からナチスを「ドイツ民族の敵」と批判していたが、その影響からザロモンもまたヒトラーには同意出来ず、ナチス時代はウーファのシナリオ作家となり、ドイツの敗戦を迎える。ナチスには同意しなかったが、極右の経歴から敗戦から翌年までアメリカ軍に逮捕され拘束された。
[編集] 戦後
敗戦後、ドイツ国民はナチスとの関係を明らかにすることを連合国軍当局から求められたが、それを皮肉りながら回答する形式でザロモンは『身上調書』(Der Fragebogen)と題した自伝的作品を1951年に発表。この作品は、戦後ドイツ最初のベストセラーとなり、現在でも版を重ねている。 戦後もシナリオ作家としての活動も続けており、ハンス・ヘルムート・キルスト原作のドイツ陸軍の歩兵の戦前、戦線、敗戦を描いたパウル・マイ監督の映画『08/15』三部作の脚本を担当している。 ザロモンは、原爆禁止関係の活動で、一度来日し、広島を訪れている。