ブレティニー=シュル=オルジュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
Brétigny-sur-Orge
Blason ville fr Brétigny-sur-Orge (Essonne).svg
Mairie Bretigny.JPG
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) イル=ド=フランス地域圏
(département) エソンヌ県
(arrondissement) パレゾー郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 91103
郵便番号 91220
市長任期 ベルナール・ドゥコー
2008年-2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté d’agglomération du Val d’Orge
人口動態
人口 22 691人
2009年
人口密度 人/km²
住民の呼称 Brétignolais
地理
座標 北緯48度36分41秒 東経2度18分21秒 / 北緯48.611434度 東経2.3059487度 / 48.611434; 2.3059487座標: 北緯48度36分41秒 東経2度18分21秒 / 北緯48.611434度 東経2.3059487度 / 48.611434; 2.3059487
標高 平均:m
最低:41 m
最高:97 m
面積 14 56km² (1 456ha)
Brétigny-sur-Orgeの位置
Brétigny-sur-Orge
公式サイト http://www.bretigny91.fr
テンプレートを表示

ブレティニー=シュル=オルジュBrétigny-sur-Orge)は、フランスイル=ド=フランス地域圏エソンヌ県コミューン

地理[編集]

パリの南約27マイルに位置する。エソンヌ県の中心に位置し、自然区分上の地方ではウルポワ地方に属す。コミューン面積のうち49%が農地で、40%は都市部に組み込まれている。コミューンの西側境部分をオルジュ川が流れる。

交通[編集]

  • 鉄道 - RER C線ブレティニー=シュル=オルジュ駅

由来[編集]

ブレティニー=シュル=オルジュの起源はガロ=ローマ時代にさかのぼる。ラテン語の名ブリティニアクム(britiniacum)からきており、これは「ブルトンの土地」を意味する。その時点でコミューンの名は、この時代にブリテン諸島と呼ばれていたグレートブリテンに起因していたことが証明される。ブレティニーは5世紀から8世紀までメロヴィング朝王家の所領だった[1]。コミューンとなったときのブレティニーの名にはアクサンテギュがなかったが、1801年に追加され、1898年よりオルジュ川にちなみブレティニー=シュル=オルジュとなった[2]

歴史[編集]

17世紀のカッシーニ地図に描かれたブレティニー

コミューンの中で、古い時代の道具が発見されている。先史時代と古代の歴史の発掘品が、そこに人が定住していたことを証明する[3]

ローマ時代の農場であったヴィッラ・ルスティカ、ガロ=ローマ時代の皿といった発掘物が、この時代から農業が重要であったことを示す。この土地はリムールの修道院の創設にあたって697年、ブリティニアクス(Britiniacus)と記された。

1030年以降、ペトロに捧げられた最初の教会が建てられた。12世紀にフォンタニスの封土はロンポンの修道院に属していた。封建時代の城はVicinumの名で現在のブレティニー中心部にあった。1220年、パリ司教ギヨーム・ド・セーニュレの特許状台帳では、ジャン・ド・ブレティニーの封土となっていた。中世のブレティニーは2つの教区に分かれ、複数の領主が領有していた。

百年戦争は大規模な被害をもたらした。教会は荒廃した。領主が何人も変わり、1614年にはフランソワ・ド・マルテルが領土を手に入れ、城をルイ13世様式に刷新し、運河が備えられたフランス式庭園をつくった。

1843年、ブレティニーからトゥールまでの鉄道路線建設のためコミューンは2つに分割された。1865年には旅客と貨物両方が停車する駅がつくられ、農夫たちが生産物を直接パリへ出荷することが可能となった[4]

1938年、ブレティニーとル・プレシ=パテにまたがる土地に空軍基地が設置された。第二次世界大戦後、基地は試験飛行を行う第217空軍基地となり、航空宇宙医学研究所、フランス気象局センターが置かれた。ブレティニーにて1953年8月15日および1955年5月31日、ジャクリーヌ・オリオールはテスト・パイロットとしてミステールに搭乗し、音速の壁を超えた女性となった[5]

1968年、ブレティニーはパリ協定の交渉のため訪れた北ベトナム特使レ・ドゥク・トを迎えている[6]。1990年度のツール・ド・フランスにおいては、ブレティニーは最後のステージとなった[7]

戦後大規模な都市化が行われ、ヴィクトル・ユーゴー、ラ・フォンテーヌといった高層集合住宅郡が建設され、1960年には新しい教会、サン=ポール教会ができた[8]

2001年、フランス気象局センターは閉鎖され、第217空軍基地の機能はイストルにある第125空軍基地に部分的に移転することとなった。国防の現代化プログラムによって、ブレティニーの飛行試験センターは2009年に閉鎖された。

2013年7月12日午後5時過ぎ(現地時間)、当市のブレティニー=シュル=オルジュ駅で、通過中のパリ発リモージュ行きの列車が脱線し、2013年7月13日 現在少なくとも6人が死亡、30人がけが、8人が重体となる惨事となった。

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
6 830 12 688 19 572 18 662 19 671 21 503 22 753

1968年以降はInseeを参考[9] · [10] · [11]

出身者[編集]

脚注[編集]