フェデリーコ1世・ゴンザーガ

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フェデリーコ1世像、ウフィツィ美術館蔵, フィレンツェ.

フェデリーコ1世・ゴンザーガFederico I Gonzaga, 1444年6月25日 - 1484年7月14日)は、マントヴァ侯。コンドッティエーレ。 マントヴァ侯ルドヴィーコ3世・ゴンザーガと妃バルバラ・フォン・ブランデンブルクの長男として生まれた。

良い教育を母とヴィットーリノ・ダ・フェルトレから授けられた。彼は宮廷画家アンドレーア・マンテーニャと良い友人であった。

1470年までミラノ公国スフォルツァ家のために戦い、侯位を継承した後は兄弟達とマントヴァ侯領の所有に腐心した。フェデリーコ1世は傭兵としての任務も怠らず、エウゼビオ・マラテスタ(義理の兄弟フランチェスコ・セッコ・ダラゴーナ配下の民兵)にマントヴァ管理を任せてしばしば不在であった。フェデリーコ1世は、特に野心的なヴェネツィア共和国との戦いにおいて、ミラノ防御の多大な働きを示した。対ヴェネツィア戦で、フランチェスコ・セッコはアーゾラを含むヴェネツィア領を占領した。しかし戦後、ルドヴィーコ・スフォルツァはアーゾラをミラノへ帰すよう依頼し、フェデリーコ1世は苦々しさを感じつつも反対することができなかった。

1484年、マントヴァで亡くなり、サンタンドレア教会に埋葬された。

子女[編集]

1463年バイエルン公アルブレヒト3世の娘マルガレーテと結婚。6子をもうけた。

先代:
ルドヴィーコ3世
マントヴァ侯
1478年 - 1484年
次代:
フランチェスコ2世
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