グイドバルド・ダ・モンテフェルトロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
グイドバルド・ダ・モンテフェルトロ、ラファエロ・サンティ

グイドバルド・ダ・モンテフェルトロ(Guidobaldo da Montefeltro, 1472年1月17日 - 1508年4月10日)は、イタリア傭兵ウルビーノ公

フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロと妻バッティスタ・スフォルツァの子として、グッビオで生まれた。

マントヴァフランチェスコ2世・ゴンザーガの妹エリザベッタと結婚した。グイドバルドの性的不能のせいで2人には子供ができないものの、エリザベッタは彼との離婚に同意しなかった。

フランスシャルル8世が南イタリアに侵攻した際、教皇軍側について戦った。のち、ヴェネツィア共和国に雇われた。1496年、教皇軍についてブラッチャーノ近郊で戦った際、グイドバルドはオルシーニ家とヴィテッリ家に捕らえられ、同じ年のうちに解放された。

グイドバルドは、1497年にチェーザレ・ボルジア軍に攻められてウルビーノから逃れた。6年後、チェーザレの父ローマ教皇アレクサンデル6世が崩御すると、ウルビーノへ舞い戻った。子供のないグイドバルドは、姉ジョヴァンナの子で教皇ユリウス2世の甥にあたるデッラ・ローヴェレ家フランチェスコ・マリーアを養子にした。

ウルビーノの宮廷は、当時イタリアで最も洗練された華やかな宮廷の一つといわれていた。宮廷の様子を記したバルダッサーレ・カスティリオーネや、ポリドレ・ヴェルギルらがグイドバルド夫妻のもとで働いた。

グイドバルドはフォッソンブローネペラグラのため、36歳で若死にし、あとをフランチェスコ・マリーアが継いだ。