ピム・フォルタイン
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Pim Fortuyn
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ピム・フォルタイン
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| 生年月日 | 1948年2月19日 |
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| 没年月日 | 2002年5月6日(満54歳没) |
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| 所属政党 | ピム・フォルタイン党 |
| 公式サイト | Pim Fortuyn.com |
ピム・フォルタイン(Pim Fortuyn, 1948年2月19日 – 2002年5月6日)はオランダのコラムニスト、政治家。ゲイである事を公表していた。2002年5月、動物愛護団体に所属する青年に射殺された。
目次 |
来歴 [編集]
1948年、北ホラント州のフェルセンにカトリックの家に生まれる。1971年に、そこで社会学の博士号を取得。1991年にはエラスムス大学の特命教授に就任、1995年まで務めた。同性愛者であることを公表していた。ロッテルダムで市議会議員を務めた。政党内で発言を問題視され、2002年2月11日には政党ピム・フォルタイン党(略称LPF。w:Lijst Pim Fortuyn)を設立し、国政に挑戦した。選挙直前の2002年5月6日、動物愛護団体に所属する青年に銃殺された。
イスラム教や移民に対する態度 [編集]
2002年以降は、オランダ国内で論争を巻き起こす発言を連発した。
- 「イスラム教は時代遅れの宗教だ。イスラム教はゲイやレズビアンを受け入れない」と発言。
- 移民に対しても「ボートは満杯だ」などと述べた。具体的な移民受け入れ政策に対しては、当時の受け入れ数5000人は急激すぎるため、2000人程度に抑えるべきだと主張。また、移民は今後厳しく規制するが、在来移民については特赦されるべきとも説いた。他方では、アフリカからの移民を側近に控えさせ、移民者への平等を訴えもした。
- オランダはアメリカのような国になる必要はない、二級国家で十分であるとも説いた。
- オランダが寛容の精神を重視している事をゲイである彼は誇りに思っていたともされる。その為、彼は他の政党からはポピュリストや極右というレッテルを貼られたが、本人も親族もそれを否認している。習合思想の一種と呼ばれる事もある。
政党創設から暗殺まで [編集]
2002年2月11日には政党ピム・フォルタイン党(w:Lijst Pim Fortuyn)を設立し、国政に挑戦した。庶民にわかりやすい言葉で解説し、市民が政治に参加して楽しむ方法を教えつつ演説活動を展開した。同年3月ロッテルダム地方選では得票率35%を獲得。しかし国政選挙直前の2002年5月6日、ヒルバーサムの国営テレビ番組出演後、駐車場で動物愛護団体に所属する青年に射殺された。オランダ社会は騒動となり、5月15日を予定していた選挙は延期された。オランダにおける政治的暗殺事件は、1584年のヴィレム1世暗殺事件、17世紀後半のデ・ヴィット兄弟暗殺事件以来であった。
暗殺事件以後 [編集]
葬儀は国葬級の扱いをうけ、再開された選挙でLPFは18%の得票率を得て、キリスト教民主同盟(CDA)の43議席についで、26議席を獲得した。のちLPFは内紛で分裂するが、ピム・フォルタイン人気は衰えることなく、2004年の世論調査ではオランダ史上もっとも偉大な人物第一位に選ばれた[1]。
犯人の犯行動機は不明である[2]。
ピム・フォルタイン暗殺事件は、さらに2004年11月2日に起こったテオ・ファン・ゴッホ暗殺事件[3]とあわせて、オランダ社会における“寛容性”の原理を揺さぶることとなった[4]。テオ・ファン・ゴッホは映画監督でもあり、ピム・フォルタインのドキュメンタリー映画制作をはじめていたという。
脚注 [編集]
- ^ 2007年の時点で。長坂寿久『オランダを知るための60章』明石書店、2007年。87頁
- ^ 2007年の時点で。長坂寿久『オランダを知るための60章』明石書店、2007年。86頁
- ^ [1]
- ^ 2007年の時点で。長坂寿久『オランダを知るための60章』明石書店、2007年。89頁
参考文献 [編集]
- 長坂寿久『オランダを知るための60章』明石書店、2007年。