ピエール・ンクルンジザ
| ピエール・ンクルンジザ Pierre Nkurunziza |
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| 任期: | 2005年8月26日 – |
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| 出生: | 1963年12月18日(48歳) |
| 政党: | CNDD-FDD |
ピエール・ンクルンジザ(Pierre Nkurunziza, ヌクルンジザとも、1963年12月18日 - )はブルンジの政治家で大統領。フツ。フツ系出身としては選挙で選ばれた2人目のブルンジ大統領となる。また1993年からのブルンジ内戦後、最初の民主的な選挙(間接選挙)による大統領である。
目次 |
[編集] 来歴
首都ブジュンブラ生まれ。父ユスタシュ・ンガビシャ (Eustache Ngabisha) はフツの政治家で、1965年にブルンジ国会の議員となる。のちに2州の知事を歴任するが、フツの虐殺が起きた1972年に殺害された。母はツチである。
ピエール・ンクルンジザはンゴジ県で初等教育、ギテガで中等教育を受け、ブジュンブラ大学で教育とスポーツを専攻、1990年に卒業。卒業前は、初等学校および中等学校の教師を勤めた。
メルシオール・ンダダエの暗殺による1993年のブルンジ内戦勃発時には、ブジュンブラ大学の講師。1995年から反政府闘争に参加。フツ系の反政府武装集団民主防衛国民会議/民主防衛軍 (CNDD/FDD) の兵士となった。
後に IRIN のインタビューに応じて反政府闘争に入ったいきさつをこう語っている。「キャンパスがツチに襲われ200人の学生が殺された。ツチは私も殺そうとした。彼らは私の車を撃ったが、私は逃げた。彼らは私の車にかすった。それからCNDD-FDDの兵士になった。我々は戦争を強いられたのであり、我々が戦争を始めたわけではないのだ」[1]
1998年にCNDDとFDDは分裂し、2001年にンクルンジザはFDD司令官ジャン=ボスコ・ンダイケグルキエ (Jean-Bosco Ndayikengurukiye) を倒して主流派となり[2]、CNDD-FDDの指導者となる。CNDD-FDDが和平合意に応じた後、2003年末から暫定政府に閣僚として参加。2005年7月に行われた国政選挙で、上院・下院とも政党となったCNDD-FDDが勝利し、8月19日、上下院議員による選挙で、圧倒的な大差により大統領に選出され、2005年8月26日、正式に大統領に就任した。2010年6月28日の大統領選挙では対立6候補が全員選挙をボイコットし、再選された。
[編集] 家族
宗教はプロテスタント系キリスト教徒で「ボーンアゲイン」を自認する。1994年に結婚し、妻と息子2人がいる。兄弟はほとんどが内戦で死亡したが、姉妹1人が生存している。
[編集] 脚註
- ^ BURUNDI: IRIN interview with Pierre Nkurunziza, leader of CNDD-FDD, IRIN, 23 August 2004.
- ^ UK Home Office Immigration and Nationality Directorate Country Assessment - Burundi, 1 April 2002.
[編集] 関連項目
| 官職 | ||
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| 先代: ドミシアン・ンダイゼイエ |
第9代:2005 - |
次代: (現職) |