ピエール・ンクルンジザ

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ピエール・ンクルンジザ
Pierre Nkurunziza
Pierre Nkurunziza - World Economic Forum on Africa 2008.jpg

任期 2005年8月26日

出生 1963年12月18日(51歳)
ブルンジの旗 ブルンジブジュンブラ
政党 CNDD-FDD

ピエール・ンクルンジザPierre Nkurunziza, ヌクルンジザとも、1963年12月18日 - )はブルンジ政治家大統領フツ。フツ系出身としては選挙で選ばれた2人目のブルンジ大統領となる。また1993年からのブルンジ内戦英語版後、最初の民主的な選挙(間接選挙)による大統領である。

来歴[編集]

2006年6月10日、ノルウェーフレドリクスタにて

首都ブジュンブラ生まれ。父ユスタシュ・ンガビシャ (Eustache Ngabisha) はフツの政治家で、1965年にブルンジ国会の議員となる。のちに2州の知事を歴任するが、フツの虐殺が起きた1972年に殺害された。母はツチである。

ピエール・ンクルンジザはンゴジ県で初等教育、ギテガで中等教育を受け、ブジュンブラ大学教育スポーツを専攻、1990年に卒業。卒業前は、初等学校および中等学校の教師を勤めた。

メルシオール・ンダダエの暗殺による1993年のブルンジ内戦勃発時には、ブジュンブラ大学の講師。1995年から反政府闘争に参加。フツ系の反政府武装集団民主防衛国民会議/民主防衛軍 (CNDD/FDD) の兵士となった。

後に IRIN のインタビューに応じて反政府闘争に入ったいきさつをこう語っている。「キャンパスがツチに襲われ200人の学生が殺された。ツチは私も殺そうとした。彼らは私の車を撃ったが、私は逃げた。彼らは私の車にかすった。それからCNDD-FDDの兵士になった。我々は戦争を強いられたのであり、我々が戦争を始めたわけではないのだ」[1]

1998年にCNDDとFDDは分裂し、2001年にンクルンジザはFDD司令官ジャン=ボスコ・ンダイケグルキエ (Jean-Bosco Ndayikengurukiye) を倒して主流派となり[2]CNDD-FDDの指導者となる。CNDD-FDDが和平合意に応じた後、2003年末から暫定政府に閣僚として参加。2005年7月に行われた国政選挙で、上院・下院とも政党となったCNDD-FDDが勝利し、8月19日、上下院議員による選挙で、圧倒的な大差により大統領に選出され、2005年8月26日、正式に大統領に就任した。2010年6月28日の大統領選挙では対立6候補が全員選挙をボイコットし、再選された。

家族[編集]

宗教はプロテスタントキリスト教徒で「ボーンアゲイン」を自認する。1994年に結婚し、妻と息子2人がいる。兄弟はほとんどが内戦で死亡したが、姉妹1人が生存している。

脚註[編集]

関連項目[編集]


公職
先代:
ドミシアン・ンダイゼイエ
ブルンジの旗 ブルンジ共和国大統領
第9代:2005 -
次代:
(現職)