ハインリヒ1世 (ブラウンシュヴァイク公)

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ハインリヒ1世ドイツ語:Heinrich I., ? - 1416年10月14日)は、ブラウンシュヴァイク=リューネブルクの1人で、ヴォルフェンビュッテル(在位:1400年 - 1409年)、リューネブルク(在位:1388年 - 1416年)。寛大公(der Milde)と呼ばれた。リューネブルク侯、ヴォルフェンビュッテル侯マグヌス2世と妃カタリーナ・フォン・アンハルト=ベルンブルクの間の第4子、3男として生まれた。ヴォルフェンビュッテル侯フリードリヒ1世、リューネブルク侯ベルンハルト1世の弟。

ドイツ王ヴェンツェル対立王に選出された長兄のヴォルフェンビュッテル侯フリードリヒ1世が1400年に暗殺されると、ハインリヒ1世は殺害者達に対する攻撃を開始した。彼は暗殺を仕掛けたと疑われるマインツ大司教の治めるアイクスフェルトの町を荒らしまわった。1405年になって、ようやくブラウンシュヴァイク=リューネブルクの諸公とマインツ大司教との和解が成立した。

1404年、ハインリヒ1世はリッペ伯ベルンハルトという貴族に誘拐され、身代金を支払って解放された。その後、ハインリヒ1世はドイツ王ループレヒトの支援を受けて、リッペ伯に報復をしている。また姉の夫であるホルシュタイン=ランツブルク伯ゲルハルト6世が死に、デンマークノルウェースウェーデン摂政マルグレーテ1世がその遺領のシュレースヴィヒを支配下に収めようとした時、ハインリヒ1世は姉や甥達の為にシュレースヴィヒを防衛している。

1409年に次兄ベルンハルト1世と領土を交換、ハインリヒ1世はリューネブルク侯領を獲得、引き換えにヴォルフェンビュッテルはベルンハルト1世が領有した。1416年の死後、リューネブルクは2人の息子ヴィルヘルム1世ハインリヒ2世が相続したが、1428年に再度ベルンハルト1世と領土が交換され、ベルンハルト1世はリューネブルクを、ヴィルヘルム1世とハインリヒ2世はヴォルフェンビュッテルを領有する事になった。

子女[編集]

1388年ポンメルンヴァルティスラフ6世の娘ゾフィーと最初の結婚をし、間に1男1女をもうけた。

1409年、ヘッセン方伯ヘルマン2世の娘マルガレーテと再婚し、息子を1人儲けた。

爵位・家督
先代:
ヴェンツェル
リューネブルク
1388年 - 1416年
次代:
ヴィルヘルム1世ハインリヒ2世
先代:
フリードリヒ1世
ヴォルフェンビュッテル
1400年 - 1409年
次代:
ベルンハルト1世