ノート:Kamado Jiko/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

立項に際して

  • 元々はかまど岸田袈裟にほぼ同じ内容があり重複しているので整理すべきではと思ったのがきっかけです。このような場合は両方の記事にノートで提案をして議論の上で同意を得て作業すべきでしょうが、2つの記事の重複する部分を統合して独立した別の記事にする際の履歴継承の手続きがわからず、作成早々に削除依頼で手間をかける事になっては申し訳ないですし、両方の記事に同じ事が書かれているのは、その記事の歴代筆者が重要だと思ったなど理由もあろうかと思い、かまど岸田袈裟から記述を消すのを先にではなく、独立した記事を受け皿として用意する方を先にしようと考えました。この記事が出来たことによりかまどおよび岸田袈裟から記述を削減する事に関しては、かまどおよび岸田袈裟の執筆者の意向に任せようという事です。少し長くなりましたが、ガンダム関係の記事はこの2倍程度の物も多いので、長すぎるわけでもないだろうと考えました。
  • かまどの記述も岸田袈裟の記述も一切、コピーしての使用はしていません。出典に共通するものがある以上、中には似ている記述もあるかもしれませんが、履歴としては完全に分断されています。なおen:Cook stove#Kenya Ceramic Jikoのごく一部を妙訳して使用しています。(要約欄記載済み)

よろしくお願いします。--210.253.249.89 2013年3月17日 (日) 12:35 (UTC)

加筆を考えてくださる方に

  • 『遠野学』は蔵書している図書館が少ないです。カーリルで少し調べた所、東京・岩手・青森は蔵書しています。東北のそれ以外の県は無し、北海道も無し、関東では千葉・神奈川・埼玉・群馬・茨木・栃木に無し、関西では大阪・京都・兵庫県については無い事を調べました。とはいえ『遠野学』は kamado Jiko の理解に必須の資料ですので、どうかこの資料を手にしてから加筆してください。Amazonでは扱っていませんが、honto紀伊國屋書店ジュンク堂にはあります。クリックすれば2~3日で手に入り3千円でお釣りが来るのですから入手困難にはあたらないでしょう。お金が無い学生さんでしたら、毎日.jpの雑誌:『遠野学』創刊 責任編集の赤坂憲雄さん「知を編み直す」を印字して地元の図書館に行って見せてカウンターの職員に渡し、震災と文化の関係について是非とも知りたいとリクエストしてみてください。購入してくれるかもしれません。
  • 逆に『エンザロ村のかまど』の絵本を一冊読んだだけで加筆に取り掛かるようでしたら、記事の質低下にしかならないでしょう。
  • 『アリンゴと日本のママ―アフリカでよみがえった日本のぞうり』国際協力推進協会 2000年 ISBN 978-4878012549、は岸田袈裟が編集協力しているものの、ODAを中学生に説明する目的で発行されたフィクションの漫画ですし、肝心のかまどの絵が思い切り間違っていますので、一部たりとも出典には使わないでください。
  • 「性能」の節は、脚注に示したネットで読める出典を丹念に読んで理解すれば『遠野学』を読まなくても加筆可能です。ただしほとんどが英語の技術資料です。
  • もちろん「私の記事に手を出すな」というつもりは毛頭ありません。ただ、誤字・脱字やリンクミスの訂正をしてくださる、といった事であれば、出典を調べなくても記事に貢献していただけると思いますが、何一つ調べなくても自分が思うところに従って書き換えれば記事が改善されると思う人があまりにも多いのがウィキペディアの欠点に思います。もちろん、出典を良く読んで理解さえすれば、どなたでもこの記事は改善できるでしょう。しかしウィキペディアには出典を良く読んでから書こうという人はきわめて少なく、それに対し議論に明け暮れる評論家の方が圧倒的に多い様に思います。

以上、よろしくお願いします。--210.253.249.89 2013年3月17日 (日) 12:35 (UTC)

改名提案を考える人に

  • 自分ではほとんど記事は書けないが他人が書いた記事名については立項されるや否や何ら調査をしなくても「重欠点・誤り」を即座に見つける事ができると思い、改名提案をして注目を集め、改名を有利にするための記事書き換えもして、意見が通るまで徹底的に議論をし、改名が通らなかったら沽券にかかわると考えどんな事実を示しても絶対に納得せず、現状名称維持を主張する人が全員疲弊して引き下がるまで根比べする人がいるようですから、この記事が改名提案のターゲットにされないように防衛線を張っておきます。
  • 2010年から袈裟さんの業務を引き継ぎ、現在 Kamado Jiko の普及で中心的な立場を担っている菊池弥生さんが遠野文化賞・奨励賞を受賞する所以となった『魔法のような Kamado Jiko-アフリカの生活を変えた遠野のかまど-』の論文で用いた Kamado Jiko の表記が正式名であるという事実を、あなたの思い込みよりも尊重していただけますと幸いです。
  • 菊池さんは論文内でローマ字表記の Kamado Jiko を、論文のタイトルを含め全体に渡り24回用いています。このKamado Jikoの記事も、それと同じ表記で書いています。
  • 経験上、改名提案をするようなタイプの人は、Wikipedia:記事名の付け方のルールの「記事名は信頼できる情報源における慣例を参考に」の方は一切無視して、「基本的には日本語での正式名称を使用します」の箇所だけに徹底的にこだわり、Kamado Jiko なんて表記は日本語ではない、ルール無視は認められない、のような議論をしてくると予想しています。
  • また、改名提案をするようなタイプの人は、信頼できる情報源における正式名に基づく Kamado Jiko という記事名より、ウェッブサーフィンをパッとした、あるいはグーグルで数を比べたのような根拠で「自分が見つけたこの表記の方が優れている!」と信じ込んで絶対に考えを変えないような人もいると予想しています。
  • 改名議論好きの人は『遠野学』を入手し『魔法のような Kamado Jiko-アフリカの生活を変えた遠野のかまど-』の論文で用いられている表記を調べる事などはあり得ない、と思っています。この出典を調べれば、Kamado Jiko という記事名にした理由を理解してくださり、この名前に賛成する筈だからです。

かつては改名提案を出す人の中にノートを見ていない人もいましたが、、、提案前に目を通して頂ければ幸いです。--210.253.249.89 2013年3月17日 (日) 12:35 (UTC)

出典の示し方を変えようと考える人に

  • {{Citation等の記載に徹底的にこだわり、記事の強化には何ら寄与しないのに書式を自分が最善と信じる形式に直して「欠点を改善してやったぞ」のように考える方もおられるようですが、やめてくださいとしか言いようがありません。形式いじりに熱中するような人は資料を見もしないのがデフォルトでしょうから、改悪にしかならないと思います。
  • そのような時間があるのでしたら、出典を入手・閲覧し熟読・理解の上、記事でどう参照されているか把握し、記事を内容面で強化していただければと思います。あるいは、他テーマにて調査をして短くても何か別の記事を書かれる事をお薦めします。
  • 軽くこちらの事情を説明しますと、
    • 『遠野学』は論文集だが ISBN を有しており、逆に doi は無いので ISBN 非対応の Cite journal は使い物にならなかった
    • Cite book や Cite book 和書系は、論文の一部を参照する事は全く考えていないので、『遠野学』の出典を示す上では使い物にならなかった
    • Cite book や Cite book 和書系は、date を無視する上に coauthors に内部リンクが貼れないなど機能不足のため、『エンザロ村のかまど』の方でも出典を示す上では使い物にならなかった
    • それで消去法で「Citation の方がまし」という事になった。
という経緯があります。(なぜ ISBN も doi も coauthors の内部リンクにも全対応するような決定版を1つ作らず、機能不足の物を個別に何種類も作るのか理解できませんが) それにしてもハーバード形式と箇条書き・表は物凄く相性が悪いですね。簡潔に書くために箇条書きや表にしたのに、箇条書きにした数、あるいは表のセルの数だけ同じ出典をズラズラ並べたら煩雑で話になりません。そこでやむなく一部は出典の表記を簡略化して書きましたが、現在の仕組みでは出典範囲の終了しか指定できず、出典範囲の開始は指定のしようが無い(HTMLに例えれば、開始タグが無い)ので、出典開始範囲はなるべく誤解しないように文脈から判断できるように文章を工夫するしかないという制約は致命的欠点に思えます。

もちろん、何か有用な資料を見つけて追記・記事強化していただけるのでしたら、いかなる{{Citation等の記載を用いられても大歓迎致します。私がその表記法を手直しする事は致しません。よろしくお願いします。--210.253.249.89 2013年3月17日 (日) 12:35 (UTC)

内容及び構成に関して

Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)的には、{{Reflist}} は「参考文献」の前にあるべきなんでしょうが、実際問題として{{Reflist}} の記号・数字の長大な羅列が「参考文献」より前に来たら読者の利便性・可読性を大きく損ねると判断し、順序を変えています。過去には[1]もあったようですが、順番でここまで激論を戦わせるのがウィキペディアンなのかと思うと複雑な気分です。

「性能」の節がある理由ですが、ウィキペディアの存在意義として「調べ物のきっかけとなり、社会に役立つ」というのがあっても良いかと思いました。Kamado Jiko は新聞や本で紹介され、賞も取り、国際支援の分野においては有名なかまどで、それなりの影響力もあります。ですからこの記事は

  • 赴任中の青年海外協力隊の隊員が、現地で直面する問題を解決するための情報を調べるきっかけに
  • CSRを果たすために、社会貢献として何を支援しようか検討中の企業
  • ODA関係

などの人が読むかもしれないと考えました。森林保全や衛生改善のため支援対象になり得るのであれば「予算」や費用対効果も考えざるをえず、他の薪ストーブと比較しての得失も可能な範囲で示すのが Kamado Jiko を採用するか否かを判断する上で有用と考えました。そうでないと結局「Kamado Jiko は良いかまど。以上」に留まり、役に立たないと思ったためです。皆さんも、例えばPCを購入する場合は、幾つかのモデルの値段、速度、特徴、使いやすさなどを比較して用途に合った物を選ぶと思います。
「性能」の節の内容に興味を持ち参照されている出典もよく読んでみようと思われる方は僅かだと思いますが、どうか自分には興味が無いから無駄な内容で他人にも役立つ筈はなく消した方が良いとはお考えにならず、世界人口の半分は毎日の調理を薪などバイオマス燃料に頼っているので薪の節約は地球全体の問題であり、Kamado Jiko は薪の節約を目的として考案された薪ストーブの一種です。「性能」の節で用いた資料を丹念に読んでくれる人は僅かだとしても必ずいらっしゃると思います。どうかご理解をお願いします。

では理解度を推し量るクイズを出します。(気楽にご覧ください)

  • Kamado Jiko は WBT と KPT の一部項目については情報があるものの他の性能については情報がありません。しかしあなたは熱効率は何%程と推測しますか? そしてそう推察した理由を説明してください。
  • 換気の良い台所で Kamado Jiko (煙突無し型)を使用した時の室内の CO と PM2.5 濃度は何%の何μg/m3位になりそうか、推測した数字とそう推察した理由を説明してください。

もちろんデータが無い以上、正解もありませんが、脚注の資料を丹念に読んで理解に努めれば何かしら推測・見当・考えはあろうかと思います。出典にある資料を読んで「こうあるから、こうなるのではと思った」と何かしら考えが浮かぶ位になってこそ「理解」というものかと思います。(もちろん推測なので記事に書く事は無いとしても、です)何も考え付かないという事でしたら、「性能」の節の編集は、やめた方が良いかと思います。 --210.253.249.89 2013年3月17日 (日) 12:35 (UTC)

参考情報

  • ブログなので出典には使えませんが、「夢と蝶と薔薇の日々」さんの「魔法の様なKamado Jiko」 の写真は参考になります。なお、ブログの説明では、オバマ大統領のおばあさんのところで Kamado Jiko を設置、とありますが、『遠野学』p.264では、面会を果たして設置時期と場所を話し合ったものの、台所の増築計画があるとの理由で日程が決められず、帰国日が迫って宙に浮いてしまったがまた訪問したい、とあります。当然、こちらの方が正しいでしょう。出典を見ずにブログの記述に基づいて「設置した」と書き換える人は居ないと思いたいですが、むしろ「こんなに入手困難な資料から書いた!」と批判する人の方が「ありがち」に思え、『遠野学』を読む人が皆無の場合に備え、念のために記しておきます。
  • 他にも出典としては用いていませんが、Kamado Jiko の写真や製作記など、参考になったブログを紹介します。
  • 作ってみた例。かまど作りの名人に来て貰ってスムーズに作れたという報告もある一方で、『エンザロ村のかまど』の絵本しか資料が無い状態で青年海外協力隊の方が苦心しながら試行錯誤しているケースもあります。

以上です。--210.253.249.89 2013年3月17日 (日) 12:35 (UTC)

改名について

上で色々説明してくださった上で言うのはあれなんですが、やはり項の名は日本語表記であることが望ましいのでは?本記事冒頭に「Kamado Jikoカマド・ジコ)」とありますから、これはつまり「カマド・ジコ」が正式名称ではないにせよ、表記として妥当な名だという判断があるのでしょう(読み仮名なら平仮名ですよね)? であれば、それを記事名に使ってはいかがでしょう?

こう主張する理由としては、以下の2つ。

  • アルファベット表記は発音ときっちり対応しません。特にこの場合、どこの外国語とも言い難いようですし。完全とは言えなくても、真っ当に近い発音の仮名表記を使うのは有用と思えます。
  • 正式表記がアルファベットであったにせよ、それが記事名にアルファベット表記を使っていい理由にはなりません。たとえば生物分野では学名が世界標準にして唯一の正式名称ですが、和名があればそれを優先しますし、和名がなくて学名を使う場合も仮名読みのカタカナ表記を使います(もちろん記事名の話。本文では当然のようにアルファベット表記も使います)。ですから、日本語表記が存在するなら、それを優先するのは当然と思えます。

いかがでしょう? あるいは、他の方のご意見も伺いたいと思います。--Ks会話2013年3月20日 (水) 11:05 (UTC)

反対 論外。初版投稿者のIPユーザの方の予防線の範囲を一歩も出ない愚見。--ikedat76会話2013年3月20日 (水) 11:21 (UTC)

反対 お聞きしますが、Ksさんは何かお調べになった上で改名すべきとの意見を表明なさっていますか。この記事のノートを見て即座に『遠野学』を発注していたとしても、お手元に届くにはタイミング的にまだ早そうですね。以降に記すようにKsさんの主張に対する反論を書いて考える限りでは、「Ksさんは何ひとつ資料を調べていない、だから改名提案をしている」としか思えないのですが。

  • 「単に改名するだけ」とお考えかもしれませんが、改名は記事そのもののに変更を加える操作ですので、「影響の大きな編集を行うようなもの」とお考えください。一般論として、何も調べていない利用者が思いつきで記事を書き換えて記事の質が向上するでしょうか。またこの記事は、ほとんど何も調査もされずに書かれているように見えますか。何も調べていない人が編集よりも大きな変更すなわち改名を提案して、よりよい名称・より良い記事になるでしょうか。
  • 主要な推進団体の「少年ケニヤ」は公式ブログで『かまどジコ』の表記を使っています。これはこれで一理ありますね。ジコは外来語と考えているのでしょう。もっともこういう事を書くと「だったら『かまどジコ』で改名だ!」とか、「カマド・ジコとかまどジコとKamado Jikoで投票だ!」みたいな人が出かねませんが。
  • Ksさんのおっしゃるこちらですが、

    本記事冒頭に「Kamado Jiko(カマド・ジコ)」とありますから、これはつまり「カマド・ジコ」が正式名称ではないにせよ、表記として妥当な名だという判断があるのでしょう(読み仮名なら平仮名ですよね)?

    違います。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#導入部の書き方にある

    2.項目名の後には括弧()でくくって中に読み仮名をいれる。括弧の中には読み仮名の後に付加情報(生年月日など)を書いてもよい。
    3.よく知られている別名があれば、導入部に太字で書く。

に従っただけです。正式名称は Kamado Jiko、そして「よく知られている別名」がカマド・ジコで、ここが太字になっているのがお分かりでしょうか。ふり仮名と「よく知られている別名」を兼ねさせただけです。それとも、
Kamado Jiko よく知られている別名カマド・ジコ、ふり仮名では(かまど・じこ)
とでも書いた方がすっきりしましたでしょうか。
  • 「日本のかまどから「Kamado Jiko(カマド・ジコ)」と統一した名称で呼ぶ事にした」とKamado Jiko#名称の変遷に書いたのは『遠野学』p.252にそう書いてある事実ですのでその通り書いたまでで、私が個人的としてカマド・ジコを「正式名称ではないにせよ、表記として妥当な名だという判断」をしたわけでは全くありません。むしろ「正式名称でないなら、表記として妥当な名である筈がないという判断」以外にしようが無いと思われますが。不要な改名議論を避けるためにいっそ「カマド・ジコ」表記は省こうかと思いましたが、それは誠実な態度ではないと考えたのは事実ですが、懸念した通り言葉尻を捉えるような形で改名提案を出されましたから、これは私の「作戦ミス」「馬鹿正直過ぎた」という事でしょうか。
  • 「アルファベット表記は発音ときっちり対応しません」「完全とは言えなくても、真っ当に近い発音の仮名表記を使うのは有用」に関してですが、もしそれで、読み仮名を正式名称にしなければいけないという理屈であれば、飛躍過ぎませんか。Kamado Jiko は、別段読むのに困難な事は何も無いと思いますが (ドイツ語のように J が「ヤ」行だとしても、Ji となれば「ィイ」とは読まないであろうから) それでもKamado Jiko#名称の変遷

    「Kamado Jiko(カマド・ジコ)」と統一した名称で呼ぶ事にした。

    書かれている通り、『遠野学』では一度だけ、カタカナのカマド・ジコ表記が読み仮名として出ているわけです。記事では、冒頭に概要を示す必要があるためにカマド・ジコ表記を書き、これで都合2回出ているのは確かですが、これはウィキペディアの記事の構成上やむを得ない事であり、カタカナのカマド・ジコ表記を推進する意図ではありません。
  • 「どこの外国語とも言い難い」というのは、違うでしょう。「Jiko」はスワヒリ語で「かまど」の意味である事は記事本文にも書きましたが。ここは『遠野学』p.252では

    Kamado はかまど、Jikoはスワヒリ語でかまどであるから、日本語では「かまど・かまど」になる。日本語とスワヒリ語の合成語である Kamado Jiko は、日本とアフリカの架け橋の象徴ともいえる。

    とあって(記事では「丸写し」は避けています) ここから
    • 和名という事であれば、出典からは『かまど・かまど』にすべき。
    • Kamado Jiko は日本語とスワヒリ語の合成語で、日本とアフリカの架け橋の象徴。
となります。
  • これは生物分野の記事ではありません。「プロジェクト:生物#項目名の慣例はウィキペディアのあらゆる記事にあてはめられるべき」のような思い込みが今回の改名提案の動機になっているようですから、そこが根本的に間違っていますとしか言いようがありません。もしこれが道理に適っているなら、iPhoneの記事でも

    本記事冒頭に「iPhone(アイフォーン)」と書かれている
    日本語表記が存在するなら、それを優先するのは当然

    を理由として『アイフォーン』への改名提案をなさるべきでしょう。同様にMicrosoft Windowsは『マイクロソフト ウィンドウズ』に改名すべき、AKB48は『エーケービー フォーティエイト』に改名すべき、ONE PIECEは『ワンピース』改名すべき、PlayStation (ゲーム機)は『プレイステーション』改名すべき、World Wide Webは・・・と手当たり次第に改名タグを貼って回り、「アルファベット表記記事根絶運動」を始めたら、他の利用者から素晴らしい貢献だと感謝されるでしょうか。
  • 考案者の岸田袈裟さんは2010年に亡くなられた際は遠野で市民葬が執り行われるように影響力のあった人で、娘さん息子さんは共に医師として人を助ける道を選ばれましたが、実姪の菊池弥生さんは英国レスター大学の大学院で博物学を学びスワヒリ語も学び、ケニア大使館大使秘書を勤めるという経歴の持ち主で、岸田さんが健在だった頃は共にアフリカで支援を行なっています。2010年からは岸田さんの仕事を引き継いでいますので、アフリカの支援に人生を捧げていると言って差し支えないでしょう。よって現在は菊池さんが岸田さんの後継者で Kamado Jiko の普及の第一人者というわけですが、その菊池さんが日本語の論文中であえて Kamado Jiko という表記を用いているのですから、その理由は凡人の私には理解が及ばない点もあるかもしれませんが、この表記に日本とアフリカの架け橋の象徴という意図を込めて菊池さんが論文中で用いたという程度は私にも判ります。よって Kamado Jiko の普及に何ら貢献をしていない立場で Kamado Jiko の表記に難色を示すのは筋違いでしょう。菊池さんの意図をその通り尊重していただけないでしょうか。
  • Kamado Jiko 表記なら世界で通用しますし、日本でも中学生以上なら読めますし、ウィキペディアでも技術上、Kamado Jiko の表記で記事が作成できないわけではありません。一方、「カマド・ジコ」の文字では世界の70億人のうち日本語を解する約1億3000万人しか読めず、アフリカはもとより世界のほとんどの人が読めないので「カマド・ジコ」の表記では日本とアフリカの架け橋の象徴たり得ず、日本中心の発想になり、その点でも改名案にはメリットがありません。
  • また、「読み仮名は読み仮名に過ぎない」ために、「カマド・ジコ」以外に「かまどジコ」「かまど ジコ」という書かれ方もされています。菊池さん自身も読み仮名の表記などはアバウトに扱っています。【もぎたてチャンネル】#12 遠野文化フォーラムの動画の4分30秒あたりをご覧ください。結局、統一された表記は「Kamado Jiko」以外にありません。
  • Ksさんは、自分は菊池弥生よりも Kamado Jiko について高い知見を有している、あるいは、Kamado Jiko の普及では菊池弥生よりも深く関与しているため、より正しい日本語表記を定める資格・能力・立場であるとお考えでしょうか。

以上です。--210.253.249.86 2013年3月21日 (木) 14:44 (UTC)

まず、私の立場から。私ははっきり言ってこの分野に詳しくはありません。この記事にも斜めに目を通しただけに過ぎません。しかし、それがすなわち改名の意見を述べるに値しない、となるものなのでしょうか?単なる記事名の問題なんですから。まあ、そこは見解の差もありましょうが。
だが210.253.249.86様の基本的な考えにはひどく疑問があります。最後に「Ksさんは、自分は菊池弥生よりも Kamado Jiko について(中略)菊池弥生よりも深く関与している」と考えているかと聞いていますが、もちろん違います。だが、そんなレベルがなければ記事に触れられないものなのでしょうか?それを言うなら、このような内容を自分なりに咀嚼し、記事にまとめられたあなたは、あなたがおっしゃる知識と経験の持ち主であるのでしょうか?もっと言えば、相対性理論の記事を書くには、アインシュタインの知能と力量、それに社会的地位を必要としますか?そんな論をここに持ち出す人の見識を疑います。
「「プロジェクト:生物#項目名の慣例はウィキペディアのあらゆる記事にあてはめられるべき」のような思い込みが今回の改名提案の動機になっているようです」?私がどこでそんな主張をしていますか?生物分野に触れたのは確かですが、その冒頭に『たとえば』と書いてある意味がわからないのでしょうか?明らかに例示しているだけではありませんか。生物分野は一応認められた一つの分野であり、そこではアルファベット表記を日本語記事でどう扱うかについて長く議論されてきたので、そこでの扱いを紹介した、それだけですよ。生物の学名はアルファベット表記で、言語的にはラテン語という建前ですから、一応発音の仕方はありますが、何しろ過去のもの故あやふやです。その上に、現実には現代の各言語の地域で、自分たちの言語で読みやすい発音が流通しており、特に日本では英語発音が幅をきかせます。その中で標準的な仮名表示を探って、一応の結論が出ているわけですよ。で、表記はともかく、アルファベットでなくカタカナ表記になってるわけ。
「「カマド・ジコ」の文字では世界の70億人のうち日本語を解する約1億3000万人しか読めず」当たり前です。この記事が世界唯一のWikipediaであるなら、そんな配慮も必要でしょうね。でも実際には、これはWikipediaの日本語版なのですよp。つまり世界中のヒトに読んでもらうためにあるのでなく、日本語の読めるヒトに読んでもらうためにある。もっと言えば日本語しか読めないヒトのためにあるんですよ。たとえば新聞記事ならまず仮名表記して、あとで綴りを示すのが普通じゃないかな。
ウインドウズのことを取り上げてますが、あれは商品名じゃないですか。勝手に変えられませんね。これまた当たり前。カマドジコって、登録商標じゃないですよね。
「その理由は凡人の私には理解が及ばない点もあるかもしれません」.つまり理由はわからないけれど、発案者がアルファベット表記にこだわっているから、記事名もアルファベット表記にすべきとの論でしょうか?記事名は看板であり、視認性がよければその方が良いんじゃないでしょうか?正式名称はこれ、とか、当事者はこう主張している、とかは記事に中にあればいい、という見方もある。私は別に正当な名前を変えろとか言ってるんじゃないんですよ。記事の名前の話です。
「日本でも中学生以上なら読めますし」一概には言えませんよ。小学生だって読む人いるだろうし。それに、発音だってはっきりしません。確かに記事を読めばスワヒリ語と日本語の組み合わせとありますが、スワヒリ語ってアルファベット表記するの?とか、kamadoだからって日本語とは限らないよね、とか。ローマ字的に読んで紛れにくくはありますが、jiは「イ」って発音する例もありそうで、紛れないとも言えないですよ。
といったところ。改めて、カタカナ表記が良いと思うんですが。--Ks会話2013年3月22日 (金) 07:21 (UTC)
一カ所誤字修正。ついでにもう一つ修正しました。--Ks会話2013年3月22日 (金) 08:10 (UTC)

コメント Ksさんに回答および質問をさせていただきます。それにしても記事すら読まずに改名提案する人は滅多にいないですね。これですと参加して一ヶ月ぐらいの利用者がやったとしても注意を書かれるレベルではないでしょうか。

私ははっきり言ってこの分野に詳しくはありません
これが何の免罪符になるのでしょうか。このノートの「加筆を考えてくださる方に」の節に「出典を良く読んで理解さえすれば、どなたでもこの記事は改善できるでしょう」と書いてありますが。記事の方には「参考文献」という節があり、どなたでも、もちろんKsさんでも、出典を良く読んで理解さえすれば、この記事を改善できる程度に詳しくなれます。だからどちらか一つを選んでもらえませんか。
  1. 出典を良く読んで理解し、この記事を改善できるようになり、正当な理由があるのであれば改名提案もする
  2. 出典など読まない、この記事を改善できるようになる気はない、だったら改名議論もしない
この記事にも斜めに目を通しただけに過ぎません。しかし、それがすなわち改名の意見を述べるに値しない、となるものなのでしょうか?
斜め読みしただけ、というより冒頭しか読んでいない段階で提案しているのは明らか (後述)で改名の意見を述べて、反論されれば徹底的に立項者と議論し、あくまで自分が提案した改名案を通そうとする行為は「値しない」どころか、「人の迷惑も考えて欲しい」レベルです。ウィキペディア衰退を招くようなマイナスの価値しかありません。
単なる記事名の問題
では改名提案取り下げの意思表示をしていただけないでしょうか。それとも、「単なる記事名の問題だ、だから私の改名提案をそのまま受け入れよ。なに、現状の記事名で行きたい? 自分の言うとおりの案で黙って従えばいいのだ、単なる記事名の問題だろうが!」のような事でしょうか。であれば矛盾も甚だしいですね。
まあ、そこは見解の差もありましょうが。
立項直後に改名提案をするという事は「立項者は正しい記事名をつける能力すら無い※※である(※※の所は、何でも心に浮かんだ文字を入れてください)よって私は立項者の思い違いを正すと共に、正しい記事名を私がつける。記事は読む必要さえ無い」という全面対決の意思表示ですから、立項者を永遠の敵に回す覚悟を決めて改名提案をなさったのですよね?
立項の際に記事名で意見が欲しければ {{Notice|記事名称がこれで良いかご意見を募集しています。ノートを参照願います。}} 程度は書きますが。しかし仮に、記事にこう書いたとしても、記事すら読まなければ何の資料も調べない人の改名提案など歓迎される・役に立つとお思いでしょうか。
このような内容を自分なりに咀嚼し、記事にまとめられたあなたは、あなたがおっしゃる知識と経験の持ち主であるのでしょうか?
いや、遠慮は結構です。お答えしますよ。私は自分なりに咀嚼し記事にまとめた結果、記事の表記に関しては知識と経験の持ち主が統一して用いると論文中に記した Kamado Jiko 表記および意図をそのまま変えずに採用するのが最善と判断する程度の理解は得ました。Ksさんは?
相対性理論の記事を書くには、アインシュタインの知能と力量、それに社会的地位を必要としますか?そんな論をここに持ち出す人の見識を疑います。
相対性理論に詳しくなく、記事を斜めに目を通しただけで自分には全然理解できないとギブアップした利用者でも、相対性理論の記事を編集したり改名提案を出す資格があるのだから好きに書かせろとでも主張したいのでしょうか。この手の人間は、「自分はもはや何かを学んだり調べたりする必要は無いほどに優れており、今の自分に理解できない事など正しい筈が無い → 相対性理論は理解できない → だから相対性理論は間違いである」のようなトンデモ編集をする懸念がありますね。Ksさんにおかれましては、自分は既に博学であるためいまさら『遠野学』の本一冊すら調べる必要も無いし、他に何も調べる必要も無く、さらに記事すら読まずに自由自在に記事に触ったり改名提案をさせるべきだという見識なわけですね。
相対性理論まで行かずとも、Ksさんは生物分野で論文を書き、これが出版物に収録され、話題となって、市区町村レベルで結構ですが何か受賞対象とされた事があるでしょうか。もしそうであれば、私たちはKsさんの事を、実名で知っている事でしょうが。
「「プロジェクト:生物#項目名の慣例はウィキペディアのあらゆる記事にあてはめられるべき」のような思い込みが今回の改名提案の動機になっているようです」?私がどこでそんな主張をしていますか?
では、Ksさんの以下は線を引いて示したように、これは関係ないから取り下げるという事でよろしいですね。
たとえば生物分野では学名が界標準にして唯一の正式名称ですが、和名があればそれを優先しますし和名がなくて学名を使う場合も仮名読みのカタカナ表記を使います(もちろん記事名の話。本文では当然のようにアルファベット表記も使います。ですから、日本語表記が存在するなら、それを優先するのは当然と思ます。
取り下げを拒否するというのであれば、それはいまだに「「プロジェクト:生物#項目名の慣例はウィキペディアのあらゆる記事にあてはめられるべき」との思い込みから一歩も抜けていない事を表しています。
生物分野に触れたのは確かですが、その冒頭に『たとえば』と書いてある意味がわからないのでしょうか?明らかに例示しているだけではありませんか。
生物分野の例をこの国際交流の分野の記事に当てはめるのは適切ではない、として生物分野の例と現実に異なる例として iPhoneAKB48ONE PIECEPlayStation (ゲーム機)World Wide Webと、色々な分野で有名な例を5つも示したのに、まだ『たとえば』と但し書きをつけつつ、結局はプロジェクト:生物#項目名の慣例を全適用せよというのでしょうか。言葉尻を捉えられたくはないので、こう伺いましょうか。Ksさんはどちらにすべきだというのですか。生物分野の例をこの記事に当てはめるべきなのか、当てはめないべきなのか、どちらですか。
それからKsさんには是非、ここで改名議論を続ける前に、 iPhoneAKB48ONE PIECEPlayStation (ゲーム機)World Wide Webの記事に改名タグを貼り、「日本語表記が存在するなら、それを優先するのは当然」と、ご自分の主張が実際に通用するのを確認してから、こちらに戻っていただけないでしょうか。口では何とでも言えますから。Ksさんでしたら、 iPhoneAKB48ONE PIECEPlayStation (ゲーム機)World Wide Webの歴代執筆者が「Ksさん、ありがとう。日本語表記が存在するなら、それを優先するのは当然だなんて知りませんでした。感謝します。改名に賛成です」となって、感謝が送られると信じておられる筈ですよね?
生物分野は一応認められた一つの分野であり、そこではアルファベット表記を日本語記事でどう扱うかについて長く議論されてきたので、そこでの扱いを紹介した、それだけですよ。
「それだけ」すなわち生物分野での扱いを別分野に押し付ける意図は無いのでしたら、速やかに改名提案を撤回していただけますか。Ksさんは実質的に延々と生物分野での扱いをここでもその通りにしろと主張し続けているではありませんか。
Ksさんが最近、新規立項なさった記事を幾つか拝見しましたが、感想として
  • 出典に共通する物が多い。以下のような出典が頻出。
    • 『日本の野生植物 草本』
    • 『牧野 新日本植物図鑑』
    • 『植物の世界 草本編』
    • 『原色日本植物図鑑 草本編』
    • 『原色日本薬用植物図鑑』
    • 『日本のイネ科植物図譜(増補版)』
    • 『琉球植物誌(追加・訂正版)』
  • 5~7kB程度の、短い記事が多い
Ksさんが立項した記事を幾つか見て、「だから(何を言った所で)生物分野でのやり方・発想・視野から一歩も出れないのか」と、幾らか判りました。確かにKsさんが立項なさっている生物分野の記事であれば、図鑑に名前があればその和名をつければ良いし、ラテン語ならカタカナ表記にする、で構わないと思います。しかしあいにくウィキペディアの記事は生物分野にとどまりません。Ksさんも、視野を広げていただきたい。私の記事は、他の記事の資料の多くを流用して次々に量産できるわけではないですし、名前も生物分野の記事のように定まったスタイルはありません。これでは「生物分野のやり方こそ唯一正しい最善にして最良の方法」と堅く思い込んでいる事に気づかず、幾ら指摘しても、『たとえば』と書いたから生物分野のやりかたを押し付けてなどいない的な主張をして、しかしすぐさま生物分野のやりかた一辺倒の主張をなさるのですね。これでは幾ら対話しても、Ksさんは口を開けば「生物分野~」を繰り返すのでは?
ウインドウズのことを取り上げてますが、あれは商品名じゃないですか。勝手に変えられませんね。これまた当たり前。カマドジコって、登録商標じゃないですよね。
この短い文章に、たくさんの問題点や突っ込み所・反論できる内容を盛り込めるというのは、興味深いですね。
  • ウインドウズはオペレーティングシステムのシリーズ名。
  • マイクロソフトは将来もオペレーティングシステムのシリーズ名を変える事ができないというのでしたら、間違いです。
  • 「カマドジコって、登録商標じゃないですよね。」だから、何なんでしょうか。もう少し、Ksさんの頭の中にある考えを、文字でちゃんと伝えていただけますでしょうか。これですとあまりに多様な解釈が可能であるため、何通りもの返事を予測して書かねばならず、こんな反論に付き合っていたら疲弊して困ります。代表的な解釈例に限って返事をしておきますが、
    • Ksさんが勝手に名前を決める権利があるというなら、違うでしょう。
    • 登録商標じゃないものは名前を勝手に変えられるという意味でしたら、人名などは勝手に変えられませんが、人名は登録商標ではありません。その意味で、全く意味をなしません。
    • 無関係の第三者がカマドジコあるいは類似の商標を登録しようとすれば、これは国際交流で既に使われている名称と混同するとして登録申請が却下される可能性もありますね。「讃岐うどん」でも色々と問題が起きていますが。
結局、Ksさんのこの短い文章は、全く意味を成しません。
でも実際には、これはWikipediaの日本語版なのですよp。つまり世界中のヒトに読んでもらうためにあるのでなく、日本語の読めるヒトに読んでもらうためにある。もっと言えば日本語しか読めないヒトのためにあるんですよ。
Ksさんは、自分のおっしゃる事を他人に求めてばかりいないで、自分にも当てはめるべきではありませんか。「これはWikipediaの日本語版なのですよp。」と自ら英語で書く人がおっしゃっても説得力はゼロです。「これはウィキペディアの日本語版なのですよp。」と書かれていれば、日本語しか読めない人のためにあるという主張と行動が矛盾しなかったのですが。これでは相手を議論で打ち負かすために、自分でも考えていない&行っていない事で批判しているに他ならず、議論の手法としていかがなものでしょうか。
「その理由は凡人の私には理解が及ばない点もあるかもしれません」.つまり理由はわからないけれど、発案者がアルファベット表記にこだわっているから、記事名もアルファベット表記にすべきとの論でしょうか?
とはいえ、菊池さんの意図に関しては、日本とアフリカの架け橋の象徴という意図を込めているであろう事は書いてありますが? (それ以外の意図もあるかもしれないものの、こちらは判りませんが) 一方、何ら出典も読まず、記事も冒頭しか読まない程度で、すかさず「もっといい名前を見つけたぁ!」と改名提案をし、徹底的に議論だけしていくKsさんの意図こそ、私には到底、理解が及びません。
記事名は看板であり
看板に正しい名前を書くな、とおっしゃりたいのですか? 同意のしようがありません。
視認性がよければその方が良いんじゃない
視認性がよいという出典は? ここは事実を議論する場であり、Ksさんの考えなど聞きたいわけではありません。なぜKsさんの案の方が視認性が良いのか、根拠を述べてください。とはいえ、Ksさんの主張は一事が万事「自分の案の方が視認性がよい。根拠:自分の感性」のような調子ですけれどね。
私は別に正当な名前を変えろとか言ってるんじゃないんですよ。記事の名前の話です。
正当な名前ではないものを記事の名前にしろ、とおっしゃりたいのですか?
「日本でも中学生以上なら読めますし」一概には言えませんよ。小学生だって読む人いるだろうし。
この一文は、Ksさんの主張の妥当性がどの程度のものかを示した物でしょうね。
確かに記事を読めばスワヒリ語と日本語の組み合わせとありますが
「確かに記事を読めば」ですか。ようやく、記事の分量で、上から見て20%ほどの所にあるKamado Jiko#名称の変遷の節にまで目を通していただけた、という事ですね。記事を山に喩えれば、二合目までは登ってくれた、と。長文記事で読むのに苦心なさったようで済みませんね。結局、改名提案をした段階では「特にこの場合、どこの外国語とも言い難いようですし。」と書いていた位ですから、Ksさんのこの言葉から
Ksさんは「記事すら読まずに改名提案を出していた」で確定
ですね。もう、ため息が出ます。実はこのノートの「改名提案を考える人に」の節に、「かつては改名提案を出す人の中にノートを見ていない人もいましたが、、、」と記してありますが、本当は、”記事さえ読まずに改名提案を出す人もいましたが”と書こうかと思ったのですが、これでは私が読者を馬鹿にしているとみなして反感を覚える人もいるかと思い、抑えた表現にしたのですが、Ksさんによって、やはり「改名提案を出す人は記事すら読まないのがデフォ」「それでも改名提案をしたが最後、通らなければ沽券に関わると考えて絶対に意見を取り下げない」「そのため凄まじい議論の応酬が続く」というのがセットで来るのを覚悟しないといけないのですね。
となると、改名提案を出すに至るKsさんの行動として
  1. 新着候補になったこの記事の冒頭をチラ見した
  2. アルファベットの記事名だ
  3. 自分が唯一理解している生物分野の慣例と異なっている
  4. 改名しなければ!と思う(記事は冒頭以外は全く読まず)
  5. 改名提案をノートに書こうとした
  6. あれ、改名しないでくれって書いてあるな。まあいいか。「上で色々説明してくださった上で言うのはあれなんですが」と提案を書く。
  7. 反論されるなんて思わなかった。てっきり感謝されると思っていた。
というパターンですね。もっとも、このノート自体も、「改名について」の節も含めて、熟読はしていないようですね。
スワヒリ語ってアルファベット表記するの?
はい。でもこの程度は質問するのではなく、Wikipediaで調べていただく方が手間が省けますよ。
kamadoだからって日本語とは限らないよね、とか。
では何語だと主張しますか?
新聞記事ならまず仮名表記して、あとで綴りを示すのが普通じゃないかな。
反例を示します。特に3番目の毎日の記事スタイルは、ローマ字名が先でカタカナの読みが一度だけ、後はローマ字名と、まさに現在のKamado Jikoの記事のスタイルと一緒です。
もっとも、Ksさんでしたら「普通はこうだろう」と反論なさるでしょうね。私が言わんとしていることは、朝日・読売・毎日に、「まず仮名表記して、あとで綴りを示」している、というわけではない記事を示した以上、Wikipediaでもまず仮名表記して、あとで綴りを示さなければいけない、だから改名すべきのような主張は崩れた事を示しました。もっとも、そもそも「まず仮名表記して、あとで綴りを示すのが普通」という主張から、だから仮名表記こそ正式名称なんだ、という主張をするのであれば、無理がありますが。
jiは「イ」って発音する例もありそうで、紛れないとも言えないですよ。
ご心配なく。ケニアもタンザニアもウガンダも英語は公用語のひとつで子供たちは学校で英語を習っています。それから私もひとつ訂正しておきます。ドイツ語に「ジ」の発音は無く、外来語としてしか存在しないので、ドイツ人だと迷うかもしれませんね。もっとも日本とアフリカの架け橋であれば、支障は無いでしょうが。

繰り返しになり申し訳ないですが、

経験上、改名提案をするようなタイプの人は、Wikipedia:記事名の付け方のルールの「記事名は信頼できる情報源における慣例を参考に」の方は一切無視して、「基本的には日本語での正式名称を使用します」の箇所だけに徹底的にこだわり、Kamado Jiko なんて表記は日本語ではない、ルール無視は認められない、のような議論をしてくると予想しています。

と書きましたが、まさに予想通りに展開となりましたね。

ところでKsさん、日本語での正式名称とは何でしょうか。ここでは、日本語での正式表記ですが。Kamado Jiko を「かまどじこ」と読むのは、異論は無いでしょうが問題はその表記です。3通りありますよね。

  1. カマド・ジコ (菊池弥生、『遠野学』)
  2. かまど ジコ (菊池弥生、第1回遠野文化奨励賞でのプレゼン資料)
  3. かまどジコ (少年ケニヤの友、公式ブログ)

どれでしょうか。念のために言いますと、私はKsさんの理解度を試すためにクイズを出しているのではありません。事実は何かを出典を元に論じるために、Ksさんにお聞きしています。聞きたいのは「出典にこう、だから正式表記はこれひとつに決まる」という事でして、Ksさんの意見・思いつき・感性など聞いていないのです。私の方を先に述べます。

『遠野学』に収録された「魔法のような Kamado Jiko-アフリカの生活を変えた遠野のかまど-」では「Kamado Jiko」表記が24回、一方「カマド・ジコ」は一回である。記事の文脈からも「カマド・ジコ」は読み仮名に過ぎず、よって「Kamado Jiko(カマド・ジコ)」と統一した名称で呼ぶ事にした。の「統一した名称」とは「Kamado Jiko」に掛かる。カマド・ジコが単なる読み仮名のひとつであり、これが正式名称でも正式表記でもない事は、菊池弥生自身が、第1回遠野文化奨励賞でのプレゼン資料(動画)で「かまど ジコ」表記を用いていた事で確定される。なぜなら、菊池弥生が遠野文化奨励賞を受賞したのは「魔法のような Kamado Jiko-アフリカの生活を変えた遠野のかまど-」の論文が認められたためであるが、それにも関わらず論文と授賞式でのプレゼンで「カマド・ジコ」と「かまど ジコ」と表記が揺れている一方、「Kamado Jiko」表記の方は論文と授賞式のプレゼンで一致する。よって正式かつ統一した名称は「Kamado Jiko」だけであり、日本語の表記は不定である。現状の出典からは「正しい日本語表記は存在しない」と判断する以外に無いため、「Kamado Jiko」の記事名を、不定である日本語のどれかの表記で置き換えることはできない。現状の正確な表記を、不正確な表記に改名しようというのでは、改悪提案にしかならない。

一部、前回のKsさんの反論に回答していない箇所もありますが、それは、長くなりましたので返答するに及ばないと思った箇所を割愛させていただいただけでして、もし図星で返答できないと思われたような箇所がありましたら再度反論してみてください。ただし「生物分野~」はもう引き合いに出さないでください。分野によらないウィキペディアでのルールに基づいて議論してください。

それにしてもjawpっていったい何の罰ゲームなんだろうと思いますね。頑張って記事を立て新着候補になるや、記事すら読まずに改名提案を出され、議論を強いられる。時間の浪費に耐えかねて議論を降りれば正確性を損ねる方向への改名提案通りになってしまう。もう既に、Kamado Jiko と同時期に立項した『フラットブレッド』を翻訳・仕上げに要した時間以上を、ここでの議論に費やしています。仮に、このような改名議論につき合わされなくて、その時間を私は他の記事書きに充てられていたら、フラットブレッド程度の記事ならもうひとつ誕生したわけですから、改名議論による時間の浪費で立項者が疲弊するのが当たり前、という状況はウィキペディア衰退を招く原因のひとつでしょう。当然、「記事なんか書くんじゃなかった」と思うようになりますから。

以上です。--210.253.249.67 2013年3月24日 (日) 13:20 (UTC)

エーと、今は気力がないので、三つだけ。
一つ目、内容について。斜め読みして理解したのは、要するに次のようなことです。「アフリカで日本人が竈を参考にしてよりよいカマドを考案、それが広く使われています」それでいいですよね?
2つ目、あなたは沢山書きすぎる。「頑張って記事を立て(中略)翻訳・仕上げに要した時間以上を、ここでの議論に費やしています。」それは多分、沢山書くからでは?その大部分は、「あなたって多分こういう人ですよね」に費やされていますよね。それって、意味ないですか?あと、ついでにいうと、あなたが確認したのは私の植物関連記事だけですよね?
最後、議論をふっかけてくる相手は敵ですか?
あとは後日。--Ks会話2013年3月24日 (日) 14:05 (UTC)


コメント Ksさん、まだ iPhoneAKB48ONE PIECEPlayStation (ゲーム機)World Wide Webに{{改名提案}}が貼られていないのはなぜでしょうか。ご自分がおっしゃった「日本語表記が存在するなら、それを優先するのは当然」と本当にお考えでしたら、速やかにその理由を添えてiPhoneAKB48ONE PIECEPlayStation (ゲーム機)World Wide Webに改名提案のタグを貼り、そちらで先に議論して改名で合意が取れてからこちらに戻ってください。

エーと、今は気力がないので、三つだけ
改名議論を始めたのはKsさんの方だという事をお忘れですか。やはり、議論を持ち出せば当然反論もあり得る、と予想していなかったわけですね。これはKsさんの改名提案がいかに「熟慮」の正反対かを示すものでしょう。
斜め読みして理解したのは、要するに次のようなことです。「アフリカで日本人が竈を参考にしてよりよいカマドを考案、それが広く使われています」それでいいですよね?
Ksさんは「記事すら読まずに改名提案を出していた」と言われたばかりなのに、いまだに斜め読みのままで議論を続けますか。そんな程度の理解でいいわけが無いでしょう。もっと正確を期してください。記事の最初の方、1.2節の遠野かまどとの比較の所に
Kamado Jiko が改良かまどであるというのは、アフリカ用に改良したかまどの意味ではなく、遠野で改良かまどと呼ばれていた台所用のかまどを現地の粘土や石を利用して製作したという意味である。
と書いてありますから、Ksさんは
まだ記事の最初の部分も読まずに議論を続けている
ので確定、ですね。他にも不正確が一箇所ありますが。このノートの「立項後の編集に関して」の節を見れば、私が記事の正確性には腐心しているタイプだというのが解りませんか。Ksさんの書いている記事では緩い正確性で済ませているのかは知りませんが、この程度の理解で改名提案やら議論されたら迷惑なんですが。(後述します)
それにしてここまで徹底して Kamado Jiko など読む価値も無い記事と思われるのでしたら、なぜ改名で食い下がるのか理解できません。それとも、無価値な Kamado Jiko の記事だが私の卓越したルール解釈と記事命名センスで改名する事により良記事に変わる、とでもお考えですか。
あなたは沢山書きすぎる。
「今は気力がないので、三つだけ。」という事は、自分は、追加であとは後日に沢山書くぞ、という事ですよね。このようにKsさんはご自分の論法に矛盾が多い事の自覚が無く、コテンパンに反論してくださいと言わんばかりの論点を次から次へ沢山書きすぎていらっしゃるので。ですが直ちに改名提案を取り下げてこのノートから引き下がっていただければ、もう私がこのノートにKsさんの意見に対する反論を書く事はなくなりますが。それとも「自分は反論するが、そちらは反論するな」という事でしょうか。
「あなたって多分こういう人ですよね」に費やされています
間違い・不正確な主張に対する指摘が中心だと思われますが? では、はぐらかさないで答えてもらいたいのですが、
「Ksさんって多分、改名提案をノートに書く前に記事さえ読まなかったような人ですよね」
それともKsさんの基準ですと、最初の1行は見たから自分は確かに斜め読みをしている、位は言うかもしれませんが。
ついでにいうと、あなたが確認したのは私の植物関連記事だけですよね?
そうおっしゃるのでしたら、改めてKsさんの編集履歴を1000件ほど拝見しましたが、去年の12月頃以降では新記事は植物中心。加筆は昆虫もあり。後は記事の移動やノートの議論が多いですね。ここ4ヶ月程に関してはKsさんが立項する記事は数冊の図鑑を見れば書けるような記事で内容も短いですね。ですが自分は優れた執筆者だと主張したいのであれば、過去に立項しFA、GA、新記事賞を取った物について「この記事は私が書いた」とお知らせください。(利用者がほとんどいなかった昔の物でしたら、今でもFA、GAになっている物でお願いします) 新記事の候補止まりだった記事でしたら挙げていただかなくて結構です。
最後、議論をふっかけてくる相手は敵ですか?
それはもちろん、
  • 頼りになる味方:参考文献を読んで理解し記事強化に協力してくれる有能な書き手
  • 味方:小粒でも記事にプラスになる編集をしてくれる人
  • 味方候補:良かれと思って編集してくれるが参考文献の読み込みが僅かに不足している人
  • 敵:記事のグレードダウンしかしない人
  • 永遠の敵:記事の強化に協力など眼中に無いどころか記事さえ読まずに改名提案を出した挙句に議論をふっかけて自分の思い通りになるまで一歩も退かない人
ですね。Ksさんは現在、どの分類に入る行動をしていますか。もちろん、Ksさんの努力次第で上の分類に移る事は可能です。これは私ではなくKsさんの行動が決める事です。味方を名乗るのでしたら、味方として行動してください。

(後述の件) 記事を読まずに改名を提案するほどですから、このノートの「内容及び構成に関して」の節などは眼中に無いと思われますが、ここで理解度を推し量るクイズを出していましたが。少し意地悪かなとも思いましたが、麻布中学の入試問題ほどではなかったようですが(麻布中学「ドラえもん問題」の真相) 私が望んでいるのは、Kamado Jiko の熱効率は何%、室内の CO と PM2.5 濃度は何%の何μg/m3位になりそうかを推測した数字とそう推察した理由を説明できるレベルの理解です。本来でしたら「Ksさんは何のためにKamado Jiko#参考文献の節があると思っているのでしょうか」と言いたい所ですが、Ksさんの実情を見ておりますとむしろ「記事を最後まで、ノートは改名についてより前の部分で結構ですので読み通しましたらその旨を知らせてください」と頼まないといけないようですね。

この機会にKsさんのノートも拝見しましたが、冒頭を見ますと2011年10月に月間感謝賞を取った水凪唯維さんと2012年3月頃に何か対立を起こし、菌学の分野から水凪唯維さんを撤退させる原因になったのがKsさん、のようですが。気が滅入りそうであまり詳しく見たくありませんが、菌学に関しては水凪唯維さんは書籍も執筆している専門家、一方Ksさんはそのような事は無い非専門家ですよね? そうであれば記事を巡って意見が対立したら非専門家のKsさんが引くべきではありませんでしたか。それなのに水凪唯維さんが撤退の挨拶で理由として記した

こつこつ文献を収集し、それをつぶさに読み、それらの中で引用されている文献も可能な限り入手して、やはりこつこつと読み、コピー・アンド・ペーストとして批判されないような引用方式を模索し、誤字脱字が生じないような執筆を心掛け、図や表や画像を探し、根拠を ref タグで示すといった作業によって構築した加筆内容が全面差し戻しされてしまうかもしれないという不安に怯えながら、これ以上、菌類関係の記事の執筆・加筆・補足に関わっていけるほど、私は強くないからです。

ですとか、

一括差し戻しという大胆な処置をかくも頻繁に行う

という悲痛な叫びを見ていますと、Ksさんとは手段を選ばない人だと判断せざるを得ません。今回も「相対性理論の記事を書くには、アインシュタインの知能と力量、それに社会的地位を必要としますか?そんな論をここに持ち出す人の見識を疑います。」のような意見を記していますが、要するにKsさんの信条とは、いわば「知識が無いからといって何だ! 調べてないからといって何だ! 記事を読んでいなくて何が悪い! 調べなければ記事に触れられないのか! 記事を書くのにそんな物は必要ない!!」的な思考なわけですね。それで自分より相手の方が詳しいと解っていても、意見が異なれば絶対に譲らず自分の意見を貫く。
それにしてもKsさんが水凪唯維さんに投げかけた「なぜ手を引くのですか」とは、ずいぶんな言い草ですね。つまり、そちらが専門家だろうと関係ない自分の意見が絶対なのだ自分に服従する手下になって共にこの分野で協力しろ、と言っている様なものですから、これでは嫌気も差すでしょう。Ksさん、水凪唯維さんがKsさんのノートに残した発言を過去ログにして隠さないでくださいね。--210.253.249.84 2013年3月25日 (月) 14:41 (UTC)
いやあ、実は今、ちょうど反論を書いていたんですよ。それが急に消えまして、何かと思ったら、あなたの書き込みにぶつかってました。いや、これはあなたのせいだとか言うつもりはありません。本当に偶然でして。ですから、今からもう一度書くのが難しくて、明日にしたいと思います。
あと、水凪唯維さんは確かに専門家だったみたいですし、いなくなった(戻ってきてくれることは期待してます)のは残念です。ただ、言っておきますが、私は他人が書いてくれたノートは過去ログであっても保存しますが、彼はそうではなかった。その点でも残念です。--Ks会話2013年3月25日 (月) 15:28 (UTC)
では改めまして。
少々の行き違いで二段階の反論に対してまとめて反論する形になりまして申し訳ない。で、あなたの論ですが、まず気になるのは私への個人攻撃に近い性質が強いことですね。確かに私は生物分野を専門にしてます。そちらは違うようですので、わからなくて仕方ないとは思うんですが、以下の言葉ははっきり言って筋違いです。
  • 「出典に共通する物が多い」ここに並んでいるのが日本における標準的な図鑑である以上、当然そうなるでしょう。ちなみに、書名の間違いが少々、あと、複数巻からなるものをまとめてありますよね。あなたが挙げた一覧、実際の本で見ると二〇冊くらいあるんですよ。あと、琉球植物誌とイネ科図譜は結構敷居高いです。
  • 「5~7kB程度の、短い記事が多い」これ、なかなか大変なんですよ。実用性のない、地味な生き物の単独種の記事でこれだけ書くのは。
  • 「数冊の図鑑を見れば書けるような記事」なら、数冊の図鑑見て書いてみると良いです。そうしてくれる人がほしい分野なので。というのは冗談として、実際には記述のどこが重要なのかを見極める必要があってね。見通しのいい記事にするのはそれなりの力がいるんですよ。
  • あとは自慢になるのであれですが、起草した記事は800足らず、FAはありません。GAは3つかな。新着に載ったのは数えてないですが100くらい?
補足です。GAになってるのは新記事賞もらったやつ。イソギンチャク・触手・退化・あと菌糸。でも、見直したら退化と触手は取り下げられてたから、二つだけでした。すみませんな。ああ、新記事賞もらって良質から落とされたのにもう一つ、社会性昆虫もあった。あと、新着は一応メインページに出たやつで、新記事賞候補に残ったやつ。要するに私は優秀な記事は書いてないけど、ある程度認められる記事はたくさん書いてる、そんな判断になるのかな。--Ks会話2013年3月27日 (水) 07:20 (UTC)
  • 「加筆は昆虫もあり」あんまりしてないと思うんですが。むしろクモを中心にしてるはずです。
生物の話はこれまでとします。ここまでは、知らない分野でくさすのは難しいですよという話。それと、くさそうと思えば人間どこまでだってくさせますが、それは書き手の品性をよく見せる効果はないです。あと、私が打ち損ねて残したpをわざと残すあたりなどに、揶揄しようとの姿勢を感じ足りもしますが、今回はそのあたりは無視の方向で。
で、次に基本姿勢ですが、「議論をふっかけてくる相手は敵ですか?」に対して明確に敵味方を語ってくれましたね。ある意味驚いています。私は記事に関わる人間はすべて協力者なのだと思っています。それがここで求められる態度だと思うんですけどね。
で、改めて改名についてですが、私はこの記事内容については十分に承知していませんが、以下のような理解はしています。「アフリカで、日本人が改良工夫したかまどが利用され、大いに役立っている」「それに日本語とスワヒリ語を組み合わせて名前をつけた」こうですよね?
で、ついた名前がkamado-jikoだというわけですが、これがアルファベット表記でなければならない理由が感じられないのですよ。創始者がその表記にこだわっているのはわかりました。だが、それがその表記を維持しなければならない理由になるのでしょうか?
私自身は、百科事典は万人に読んでもらうものですから、表記はたとえば新聞みたいな感じになるんじゃないかと思います。日本語の新聞ではアルファベット表記の名前は、やはりカタカナにするんじゃないですか?たとえばウィンドウズの新版が出た場合、見出しでは『新しいウインドウズの販売云々』となって、記事の中で「Windows8がどーのこーの」となる。i-Padなんかはその点困るんで、これは多分アルファベット表記されますよね。でも、これは多分アルファベット名を頭文字の略称で示す場合にアルファベットで表記するしかない、というのに準じているんじゃないかと。カマドジコ(この表記が良いと思って書いてはいません。一番簡単だから)はその点、仮名表記がしやすいはず。
以下、繰り返しになる部分もありますが、再度。それと、私の意図の通じにくさには困惑しています。それが私の物言いの舌足らずによるのであれば、申し訳ありませんでした。
  • 「ウインドウズのことを取り上げてますが(中略)カマドジコって、登録商標じゃないですよね」に対して「ウインドウズはオペレーティングシステムのシリーズ名」とのお言葉。つまり、そういう性質の商品ですよね。「マイクロソフトは将来もオペレーティングシステムのシリーズ名を変える事ができないというのでしたら、間違いです」その通りですが、作った人が名前を決めるのは商品では当たり前で、利用者がそれを変えることが出来ない、ということが言いたかったんです。人名は確かに登録商標ではありませんが勝手に変えられませんね。でも、アルファベット表記が標準の国の人が日本に来たとき、カナ表記されることはごく普通にありますよね。
話を戻すと,私がカナ表記にすべきだとの言葉に対してWindowsなどはどうなのか、とのお言葉でしたね。だから登録商標だから変えるわけにはいかないだろう、といったわけです。もう一度丁寧に言い直します。Windowsのように商品であってその表記が決められているなら、ウィキペディアでもその表記に従わなければならないかもしれません(そこも考慮対象になるかもしれないけれど、別の問題だと思うのでここでは論じません)。しかし、このたびのカマドジコは普通名詞であり、日本の本ではカナ表記された例もあるのですから、必ずしもアルファベット表記を記事名にする必要はないのではないですか?
この言葉が日本語とスワヒリ語の組み合わせであることが重要だとの話もあるようですが、それはアルファベット表記の記事名だけを見せられてもわかりません。というか、何語であるかも判断できないでしょう。もちろん記事内容を読めばわかるのですが、ここではまず記事名だけを見たときのことを考えています。であれば、まず記事名は読みやすいものが良いのは当然だと思います。
以上、ある程度主張は絞ってみたつもりです。--Ks会話2013年3月26日 (火) 01:52 (UTC)
追加確認ですが、カマドジコについて、Kamado Jikoが望ましい表記だと伺える記述はある、というのを前提にして、「Kamado Jikoこそが正式な表記だ」と言及している出典はないのですよね?そして、これに関する当事者に基づく著作には仮名表記があるのですよね?そういう判断で良いですか?--Ks会話2013年3月31日 (日) 14:09 (UTC)
ついでにチェックします。最初のご返事で『ふり仮名と「よく知られている別名」を兼ねさせただけです』とありますよね。つまり、わざわざWikipediaのスタイルマニュアルをひきつつ、なのになぜか読み仮名を勝手にカタカナ表記の別名で代用させてますよね。つまり、スタイルマニュアルを引きながら、それに従っていない。そして、そこに使ったのはカタカナ表記の別名。これはもう、この仮名表記が使えるという意思表示になっていませんか?だったら、それを記事の表記にすればいいのでは?--Ks会話2013年3月31日 (日) 14:20 (UTC)

コメント またもやKsさんが記事を良く見ていない事が発言から明らかになり、現在に至るまで論拠となる出典も提示されないまま自説を繰り返されて議論として成立していませんが、私が立項したばかりに記事が変な名前に改名され当事者が意図しない名前を普及させて迷惑をかける事態だけは阻止しなくてはと思います。

それにしても最初の3月20日には「カマド・ジコ」と言っていたKsさんが、3月26日には「カマドジコ」が一番簡単とか普通名詞という主張を始めました。この改名議論の価値を示した物かと思われます。
実は今、ちょうど反論を書いていたんですよ。それが急に消えまして、何かと思ったら、あなたの書き込みにぶつかってました。
Ksさんが初心者同然の方法で編集されている事に驚きました。「一括投稿のお願い」というのがありまして、そこにWikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす#テキストエディタや文書作成ソフトでの編集という案内があります。テキストエディタや文書作成ソフトを使うと、もう一度書く必要はありません。これ無しですと短い記事しか書けませんので、ぜひお使いください。
水凪唯維さんは確かに専門家だったみたいですし
私もKsさんと水凪唯維さんの対立を見て、専門家は水凪唯維さん、一方Ksさんはアマチュアだという事が判りました。
いなくなった(戻ってきてくれることは期待してます)のは残念です。
水凪唯維さんが分野から撤退する原因となったKsさんがそれを言いますか。
ただ、言っておきますが、私は他人が書いてくれたノートは過去ログであっても保存しますが、彼はそうではなかった。その点でも残念です。
この文面を見て以降、私はKsさんの言動は「善意に取る」事など不可能な人間だなと、考えを変えました。利用者の会話ページは、利用者間で個人的に対話するために使うのであって、一方的に強要じみた内容を書く残すなら「個人攻撃」を超える問題行為ではありませんか。Help:ノートページ#利用者ページにはこうあります。

利用者の会話ページは、利用者間で個人的に対話するために使えます。

ですから、個人攻撃や付きまとい行為をするために使うのは、目的外使用です。
Help:ノートページ#他の利用者のコメント にはこうあります。

他の利用者のコメントを書き換えたり、編集除去したりしないでください。署名を書き換えることも含みます。これはウィキペディア上に限らずいわば不文律と考えられますし、悪質な行為は投稿ブロックの対象ともなりますので、注意してください。

以下はその「例外」として、修正や編集除去が許されるケースです。

4. 個人攻撃の除去 のための修正

個人攻撃の除去。これは、まさに除去が許される正当な理由ではありませんか。

水凪唯維さんの会話ページの2012年3月2日 13:44版の「改めて」の節にKsさんが書いているのは、一体なんなんですか?

要旨:ロボスポランギウムは戻したから書け Ks 2011年12月17日

要旨:なぜ手を引く Ks 2012年2月24日

(嫌がって返事をしていないのに)議論 Ks (会話) 2012年3月2日

のような事を一方的に書く事の、どこが対話なのでしょうか。また

はっきり言って、「Ksが手を出したものはさわらない」なんて、子供ですか?それだったら、こんな所にこなければいいんですよ。

この言い方も酷い。私だって、出典どころか記事さえ読まないKsさんが Kamado Jiko を編集して議論とか始めたら、共同編集など無理な相手ですしどんな嫌な思いをさせられるか分りませんから全力で逃げます。

編集を巡って意見が対立した水凪唯維さんの対話ページに、個人攻撃を書いたのがKsさん。自分の対話ページから個人攻撃を除去したのが水凪唯維さん。それなのに個人攻撃を書いた事は棚に上げ、Wikipediaのルールから自分に都合の良い箇所だけを取り出して、投稿ブロックをチラつかせた捨て台詞を書き残すとはKsさんが全面的に悪いでしょう。よくこれで問題とならなかったものですね。

まず気になるのは私への個人攻撃に近い性質が強いこと
水凪唯維さんと編集合戦をした挙句に会話ページにストーカー的につきまとって分野から追いやったKsさんの口が、良く個人攻撃などと他人に言えますね。悪い行動を立派だと褒めさせたいのですか。詳しく検証してみましょう。『ロボスポランギウム』のこの版間の差分およびこのノート:ロボスポランギウムの言いようは何なのですか。「酷すぎる」のような単語では形容し切れないほどの酷さですね。
Ksさんが編集合戦を始めたのは2011年12月6日。水凪唯維さんの編集した成果を、僅か5時間で一方的に消していますが、以下の差分の一部を見ただけでも、優劣は明らかですね。水凪唯維さんの方が書き手として優れており、Ksさんは劣っている。
2011年12月5日 19:17版 水凪唯維 2011年12月6日 01:19版 Ks
他方で、これをクサレケカビ科に含める説もある<ref>Zycha, H., and R. Siepmann, 1969. Mucorales. J. Cramer, Lehre.</ref>。この見解には反対する意見もあった<ref name=Ellis/>が、[[分子系統]]学的な解析結果もこれを支持している<ref name=white>White W. M., James, T. Y., O'Donnell, K., Cafaro, M. J., Tanabe Y., and J. Sugiyama, 2006. Phylogeny of the Zygomycota based on nuclear ribosomal sequence data. Mycologia 98: 872-884.</ref>ことから、現在ではこの位置づけがほぼ確定している。 他方で、これをクサレケカビ科に含める説もあり、Zychaらは1969年にこの考えを示している<ref>HesseltineらはEllis & Hesseltine,(1974)p.90で、彼らが何らの考察を示すこともなくこれを行ったと苦情混じりに書いている。</ref>。その後、この説をとる研究者が多くなり、特に[[分子系統]]による情報がこの説を支持している<ref>White et al.(2006)p.875,877</ref>ことから、ほぼこの扱いが確定している。

しかも

  • 「差し戻します」などと称していますが、実体は水凪唯維さんの3回の編集を無にしている
  • 要するに、Ksさんには<ref name="example"> のような脚注の記述方を駆使する能力が無かっただけの話。(証拠:2012年5月9日 05:31 のジョウカイボン科の出典の出し方。同じ出典で同じページなのに、同じ内容の <ref> を繰り返している)
  • <ref name="example"> のような書き方は、Help:脚注#複数箇所に同じ脚注を付けるにある通り、2009年には利用可能だった方法。
「差し戻します。理由はノートへ。」と要約にありますが、消してからノートで「答えろ」的な手順ではなく、ノートで議論してから編集すべきでしょう。これが共同編集というものではないのですか。まして、Ksさんの記述の方が水凪唯維さんの記述より内容で劣っているのですから。
ノート:ロボスポランギウムの水凪唯維さんの言い分は、全て道理に適っています。<ref name="example"> のような書き方だとページ数は示されませんが、Help:脚注で認められている表記だがこのKsは断じて認めないのごとき意見はルール無視の極地でしょう。さらに

なにやらけんか腰ですが、何かご気分の悪くなることでもありましたか?(中略)Ks 2011年12月6日 (火) 04:08 (UTC)

これは酷いですね。自分から喧嘩を売っておいてこの言い様。見ていて本当に気分が悪くなります。
Zycha の著作に関する見解も、完全に水凪唯維さんの言い分が正しい。Ksさんの「だから孫引きしました。そこにまで厳密性を要求しますか?」は、書き手失格の証明みたいなものでしょう。まして相手は直接、出典から引用して書いているのに、それを「他方で、これをクサレケカビ科に含める説もあり、Zychaらは1969年にこの考えを示している」と出典を削除した上で自分の雑な表現に改悪すなわち差し戻したというのは、正当な理由無き出典に基づく記述の除去です。Zychaを読んでいない人が、読んで書いた人の記述をリバートとは。挙句にノートで何が悪い的な自説を展開。これでは共同編集など無理で、少なくとも生物分野では論文を書く訓練を受けずに社会に出た人としか思えません。ここまでしておいて

そういうわけで、以上のような判断も聞いてもらった上で、改めて大いに手をつけてください。どうかよろしくお願いします。--Ks 2011年12月6日 (火) 04:08 (UTC)

Ksさん、喧嘩売っているでしょう。これは酷い。 一方、このような仕打ちをされても水凪唯維さんはあくまで立派な対応をしています。Ksさんの会話ページにこう残しています。無念だったでしょうね。

『孫引きされても小生はもう訂正いたしませんし、Ksさまが作成されました記事についての加筆・補足・育成も行う予定はございませんので、ご自身の信じるところに拠って今後ともご活動を。』--水凪唯維 (会話) 2012年3月2日 (金) 04:37 (UTC)

にも関わらず、Ksさんが今も水凪唯維さんの会話ページに残している以下の部分ですが、

ひと言

他人の発言を改ざん(もちろん消去も)するのは御法度だというのはご存じですか?その上で、この発言は消してくださっても結構ですよ。それではまた。--Ks(会話) 2012年3月18日 (日) 21:54 (UTC)

「御法度」というのは、前述した通り「他の利用者のコメントを書き換えたり、編集除去したりしないでください。署名を書き換えることも含みます。これはウィキペディア上に限らずいわば不文律と考えられますし、悪質な行為は投稿ブロックの対象ともなりますので、注意してください。」の意味ですよね。しかし自分が先に、「例外」として、修正や編集除去が許されるケースである個人攻撃をした事を棚に上げ、実質的に「発言を消去するなら投稿ブロックの対象となるぞ」と脅してるわけですよね。他人の会話ページに繰り返し不快感を与える内容を残すのは「発言」に値するでしょうか。遅きに失したとはいえ水凪唯維さんに謝罪して、水凪唯維さんの会話ページからあなたの脅迫めいた文面を自分で削除する意思はないのでしょうか。もちろん、水凪唯維さんはKsさんと関わりになるのを一番嫌がっているでしょうから、コメント欄に謝罪の言葉をごく短く残す、以上に関わるのは傷をえぐる事になると思います。
書名の間違いが少々
シリーズ物もIIかIIIかで分けて全部書くなどした方が良かったですか。
「5~7kB程度の、短い記事が多い」これ、なかなか大変なんですよ。実用性のない、地味な生き物の単独種の記事でこれだけ書くのは。
1ヶ月とかかかりますか? GAになりましたか。だいたいWikipediaにハウツー物の内容など百科事典でない内容として削除されますから実用性のある記事など無い筈で、地味な生き物の単独種の記事は短くても注目されなくても偉いという理屈になりますかね。世界は自分を中心に回っている、生物分野以外は価値が劣る、のような考えが強いですね。
「数冊の図鑑を見れば書けるような記事」なら、数冊の図鑑見て書いてみると良いです。
お誘いありがとうございますが、水凪唯維さんみたいにはなりたくありませんのでKsさんのおられる生物の分野は辞退させていただきます。ただし何か書いたらKsさんがWikipediaから一切手を引いていただけるという事でしたら再検討させていただきます。それで水凪唯維さんが戻ってくれれば嬉しいです。
そうしてくれる人がほしい分野なので。
この議論が契機となり生物分野に人が少ない理由が良く理解できました。全く生物と関係ない分野の記事でさえここまで議論をふっかけられるのですから、Ksさんが「君臨」なさっている分野で一緒に書こうものなら、この調子で議論をふっかけられ続けて疲弊しストレスで精神を病みそうですね。これなら生物分野に詳しい人でも、書くならKsさんと遭遇しない他の分野に移るか、Wikipediaを去るでしょう。
補足です。GAになってるのは新記事賞もらったやつ。イソギンチャク・触手・退化・あと菌糸。
Ksさんは現実を直視すべきでしょう。月間新記事賞が取れたのは4記事共に2005年。以降は幾ら書けども新記事賞が取れないという結果が現在の執筆力を示しているわけです。にも関わらず執筆力を過信し議論で一切妥協しないのが各所でトラブルになる原因ですね。さて、過去の武勇伝を検証すると、ウィキペディア 多言語統計によれば月に5回以上投稿した人の数が今の10分の1位の時代ですよね。イソギンチャクはWikipedia:月間新記事賞/2005年5月で菌糸はWikipedia:月間新記事賞/2005年8月ですか。当時のイソギンチャク菌糸は、出典ゼロかつ「何かぬるぬるして、触ると引きずり込むような感触が卑猥な想像を呼び、そのような方面でその名が使われる場合もある」のような品位的にダメ出しされる表現があっても新記事賞になったのですね。今もGAを維持しているのは、他の利用者達が記事の強化に貢献したためでしょう。
見直したら退化と触手は取り下げられてたから、二つだけでした。
触手と退化は2005年3月選出ですか。投票期間からすると選ばれた時の触手は2005年3月30日版また退化は2005年4月5日版ですね。
これらは「2005年はこのような質の記事で新記事賞が取れたのか!」と驚く以外にありません。当時の触手の記事は今なら新記事賞の候補どころか立項と同時に独自研究で削除依頼が出るでしょう。Ksさんのこの編集は強烈ですね。初版を拝見しますと、「一般的印象としての触手」の節もKsさんが書いたのですか。これではWikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考/触手 20110828となるのも当然でしょう。Wikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考/退化 20091017も、なかなかですね。Ksさんのこの加筆の「退化に関する誤解」の節を見て、Ksさんが、辞典以外に、科学漫画も見て書いている事が判りました。漫画を出典とする「ミミズの怪物(?)」の記述を見て私も漫画を見たくなりました。これらKsさんの過去の執筆内容は、専門家である筈がない事を改めて証していますね。
「2005年には月間新記事賞が取れた」というのは、以前から参加していたという事を意味するに過ぎず、逆に2005年の当時しか月間新記事賞が取れない人という解釈も可能であり、とりわけ触手に関しては誇る内容ではなく、むしろ「誇る」の反対に感じるべき内容に思います。
新着は一応メインページに出たやつで、新記事賞候補に残ったやつ。
「メインページに出た」ですとか「新記事賞候補に残った」といわれましても、この Kamado Jiko もWikipedia:月間新記事賞の2013年3月の候補に載せていただいていて、メインページに表示されていた事もありますので。これはKsさんが、私の事を、現在時点で、ある程度認められる記事を1つは書いた利用者であるとお褒め頂いたという事でしょうか。そうであれば早く改名議論を止めてもらえますと幸いです。
私も「新記事賞が取れるかも」と儚い期待を持った時期もありましたが、Ksさんのお蔭様をもちまして、ノートをチラとでも見た人は「悲惨で不毛な争い」「深刻な問題がある記事」「書いた人間はおかしい」と大きくマイナスの印象を与えるでしょうね。もう新記事賞は諦め、関係者が望まない名前にされ迷惑がかかるのを阻止する一点に注力します。それにしても、Ksさんが頑張ってこれから新記事賞が取れそうな記事を立項するや否や全く分野に知識の無い利用者から改名提案をされて徹底的に食い下がられどんな出典を示しても一切納得せずに自説を述べ続けられたら迷惑に思わないのでしょうか。
要するに私は優秀な記事は書いてないけど、ある程度認められる記事はたくさん書いてる、そんな判断になるのかな。
「書いていた」と過去形にすべきでしょう。過去は過去。今も現役で月間新記事賞が取れる人かどうかが有能な書き手と認められるかどうかの分かれ目ですね。Ksさんもタイミンタチバナでエントリーしていますか。とはいえ、このノートでのKsさんの議論を見ている人なら、Ksさんの、出典や事実に対する例を見ない軽視ぶりと、出典や事実より自分が考えた事こそ正しいとする態度は分かってしまいますから、記事に独自研究が含まれているのではないかと懸念を抱くでしょうね。
では、こうしましょう。チェスや将棋が知的な勝負であるように、改名議論も執筆力で勝負。Kamado Jikoタイミンタチバナはどちらが多くの得票を獲得するか。票が少なかったほうが議論から手を引く、というのはいかがでしょうか。同意してくだされば、私も約束しますよ。
むしろクモを中心にしてるはずです。
確かに。これは書いた後で「しまった、クモは昆虫じゃないって言われるな」と思いました。私は生物分野に知識が無い事は自覚しています。しかし、
知らない分野でくさすのは難しいですよという話。
Ksさんはかまどや薪ストーブの専門家でしょうか? 知ろうともしていない分野でなぜここまで食い下がりますか。
私が打ち損ねて残したpをわざと残すあたりなどに、揶揄しようとの姿勢を感じ足りもしますが、今回はそのあたりは無視の方向で。
いえ、お構いなく。お答えします。意見が対立した利用者の会話ページに個人攻撃を一方的に繰り返し書いておきながら、「個人攻撃の除去」という正当な理由で消した相手に、発言を消すなら投稿ブロックをチラつかせるような事を過去にやっているKsさんがなさった発言ですから、ほんの一部であっても修正でもしようものなら、書名付きで書かれた発言内容を改竄した、のような攻撃の口実をKsさんに与え、私も投稿ブロックだとされたら恐ろしいと思っただけです。それにしてもKsさんがタイプミスしてプレビュー機能を使わなかったのは私が悪いかのように主張するあたり、Ksさんの議論手法の妥当性が表れていますね。「一括投稿のお願い」にある通りテキストエディタや文書作成ソフトを使ったらどうでしょうか。
私は記事に関わる人間はすべて協力者なのだと思っています。それがここで求められる態度だと思うんですけどね。
Ksさんは、議論で自説を通すために、自分がされたら到底容認できない事を平気で求めてくるというのはもう「お約束」ですね。記事に関わる人間はすべて協力者なのだと本当に思っていますか。その理屈が正しければ、Ksさんが書いてその後にKsさん以外の人の編集が無い記事を、たとえば30ばかり、全く生物分野を知らない私がメチャクチャに書き換えたり削除依頼を出したり改名提案をしたとしても、私はKsさんの味方であり協力者と思うはずですが。それとも別のたとえの方がいいですかね。小中学校のクラスで教師が「みんな、実はウィキペディアは誰でも書き換えられるんだよ。試しに好きな記事で実験してごらん」とやったら、小中学生は協力者ですか。違うでしょう。ウィキペディアは百科事典を造るプロジェクトですので、貢献してこそ協力者、でしょう。邪魔や妨害に関わる人間は協力者たり得ません。出典とそこから自明である事実を元に議論するのでしたら歓迎しますが、Ksさんは出典を何一つ調べず、それどころかいまだに記事さえ読まず(後述します)に自説を振りかざして議論を続けて、いったいそれでこの記事に何の貢献しているのでしょうか。記事の大半を書いた人間が、大迷惑だと言っているのですが。
改めて改名についてですが、私はこの記事内容については十分に承知していませんが
記事内容について承知していないという自覚があるのでしたら、改名議論から手を引いていただけないでしょうか。
「アフリカで、日本人が改良工夫したかまどが利用され、大いに役立っている」
「そんな程度の理解でいいわけが無いでしょう。」と上の方で言っていませんでしたか? また同様の事を言いますか?
かまどが改良されているとは書いておりません
パッと見ただけの人はそう思うでしょうけれど。性能に言及するのであれば、「私が望んでいるのは、Kamado Jiko の熱効率は何%、室内の CO とPM2.5 濃度は何%の何μg/m3位になりそうかを推測した数字とそう推察した理由を説明できるレベルの理解」とも上の方で言っていませんでしたか? 改良を言うなら「何が何に対して数字でどう変化した」というのを出さないと。
Ksさんが改名提案を出すより前にノート:Kamado Jiko#内容及び構成に関してを私は書いていまして。そこに「脚注の資料を丹念に読んで理解に努めれば何かしら推測・見当・考えはあろうかと思います」と書いてありますよね。「Ksさんは何のためにKamado Jiko#参考文献の節があると思っているのでしょうか」と、改めて言っておきます。それでネットで無償でPDFで読める資料も読んで理解する気もない人間が、記事を斜め読みしただけで内容を理解した気になって、いつまで議論をするつもりですか。かまどが改良されているか否かでしたら、参考文献の節の "Cooking Options in Refugee Situations" 以下を全部読んで理解すれば答えられますよ。英語は読めますよね? (とは言っても出典を見て読む努力を払う気は無いが理解できるようになりたいとか、分るまで教えて欲しいのような希望は無理ですが)
Ksさんは「百科事典は万人に読んでもらうもの」と述べていますよね。私もこのノートの上の方に、赴任中の青年海外協力隊の隊員やODA関係の人が読むかもしれないと考えたと書いてありますが。議論した限りではKsさんはまだノートをご覧いただいていないようですが、記事はかまどで現地の生活改善を図らないといけない人や、かまどの得失を検討する必要のある人にも役に立って欲しいと思って書いていて、それで参考文献の節があります。もちろん列挙してあるだけではなく実際に記事中で参照していますが。それで、Ksさんのようにチラ見して「自分はもう分ったぞ!」と改名議論をする人だけではないのですよ。
「それに日本語とスワヒリ語を組み合わせて名前をつけた」
これは合っています。
ついた名前がkamado-jikoだというわけですが
kamado-jiko .... これはKsさんの揶揄ですか?
アルファベット表記でなければならない理由が感じられないのですよ。
あなたがどう感じるかはどうでもいい事です。出典に基づく事実とWikipediaのルールに基づいて表記を決めるべきです。
日本語とスワヒリ語の合成語である Kamado Jiko は、日本とアフリカの架け橋の象徴とも言える。 — 『遠野学』p. 252

とあります。KsさんはWikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはにおいて

ウィキペディアにおいては、あらゆる記事にはひとつ題名を付ける必要があります。記事名は理想的には次のような基準を満たすのが望ましいです。
  • 認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。
  • 曖昧でない - その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること。
とあるのをご存知無いのでしょうか。ここに
  • 信頼できる情報源 = 『遠野学』に収録された論文で24回すなわち最も一般的に使われた Kamado Jiko でしょう。
  • 曖昧でない = 統一した名称として望んでる Kamado Jiko でしょう。
逆に、カナ表記は「カマド・ジコ」なのか「かまどジコ」なのか「かまど_ジコ」(半角スペース)なのか「かまど・ジコ」なのか曖昧ではっきりせず、記事名として不適切です。
創始者がその表記にこだわっているのはわかりました。
皆さん。これが改名提案している人の記事理解度です
何も分っていないのを分って欲しいのですが、創始者ではありません。Ksさんはいまだに記事さえ良く読んでいないのか、記事を読んで理解できないのどちらはかは知りませんが、本当にいい加減にして欲しいです。Ksさんの側はこれで議論しているつもりになっていて、挙句に「記事に関わる人間はすべて協力者なのだと思って」いるのかもしれませんが、こちら側は大迷惑以外の何物でもないです。
だが、それがその表記を維持しなければならない理由になるのでしょうか?
この記事は私が出典を見て当事者に無断かつ勝手に書いた物に過ぎません。Wikipediaの記事名が原因で当事者に迷惑をかけるというのは皆さんが望む結果でしょうか。私もKsさんも、当事者と無関係の部外者ですよね? Ksさんは改名提案が通れば手を叩いて喜ぶのかもしれませんが、当事者が望んでいるのと違うおかしな記事名に改名すれば、それが Google で検索の上位に来て、またどこかで参照される事でおかしな名称を普及させてしまうのが必至という、とても大きな問題をわざわざ創り出す事になります。まだ日本語の出典で用いられている表記が存在しない・幾ら探しても確認できないため出典から記事名をつけることがどうしてもできず、やむなくエイヤで記事名をつざる以外に無く、でもその結果として Wikipedia の記事名で広く知られるようになったとしても誰にも何の迷惑がからない、というケースとは大きく異なります。Ksさんは、自分さえ満足するなら当事者に迷惑をかけて一向に構わないという考えでしょうか。子供の頃に「人様には迷惑をかけちゃいけないぞ」と教わりませんでしたか。教わらなかったからこうして議論(と呼ぶには値しないが)をふっかけているのかもしれませんが。
レスター大学の大学院卒で文部科学省から国際交流の専門家として派遣されて Kamado Jiko を論文に書いて評価され遠野市から賞を取ったのであれば、その論文の表記を採用したらどうですか。学歴信仰というわけではないですが、何一つ調べようとしないKsさんが、自分の考えは常に正しく当事者よりも優れているかのごとき考えに付き合うのは辟易します。
私自身は、百科事典は万人に読んでもらうものですから、表記はたとえば新聞みたいな感じになるんじゃないかと思います。
Ksさんがどう思うかは関係ありません。新聞でも、Ksさんが考えるスタイルと異なり、この Kamado Jiko のような表記・スタイルで書かれた例を示した以上「表記はたとえば新聞みたいな感じ」というのは何ら意味を持ちません。そもそも新聞は絶対に従わなければいけない規範であるといったルールがjawpにありますか、それともこれはKsさんの「オレオレルール」でしょうか。分野に関わらず記事は新聞のスタイルに従うべきというWikipediaのルールがありましたら提示をお願いします。
ウィンドウズの新版が出た場合、見出しでは『新しいウインドウズの販売云々』となって、記事の中で
全然間違っています。
などがありますが。でもこんな反例を示しても無駄ですよね。意見を言う前に調べないし、間違っている事を証明しても「そうか、では Kamado Jiko に賛成する」となりませんからね。
私の意図の通じにくさには困惑しています。
「創始者がその表記にこだわっている」のような事を言いながら改名議論をやめない人の意図を理解できる人はいません。Ksさんの言うことの全てに関して根拠の無さ・間違いの多さが、説得力を無いものにしています。「言い方」の問題ではないです。「内容」が問題です。前述した通り、Ksさんはいまだに記事さえ良く読んでいないのか、記事を読んで理解できないかで見当違いの理解のまま、婉曲表現ですと「理解し辛い」議論を続けていますから、通じるわけかないでしょう。
利用者がそれを変えることが出来ない、ということが言いたかったんです。
ならば、Ksさんの主張の間違いは証明されましたね。Ksさんは Kamado Jiko の日本語表記を決める立場ではないから。Ksさんは意味の通じない主張をする事がしばしばあり、間違いを指摘するだけでも意味を問い合わせる必要があって時間がかかりますね。
アルファベット表記が標準の国の人が日本に来たとき、カナ表記されることはごく普通にありますよね。
日本であえてアルファベット表記にこだわっている場合はどうでしょうか。『DJ OZMA』を『ディージェイ オズマ』に改名せよ、のような理屈ですね。本人の意思を尊重すべきでは。
もう一度丁寧に言い直します。Windowsのように商品であってその表記が決められているなら、ウィキペディアでもその表記に従わなければならないかもしれません
間違いをなんべん丁寧に言い直しても間違いに変わりはありません。当事者が、Kamado Jiko と統一した名称で呼ぶことに決めたのですから、ウィキペディアでもその表記に従った記事名で立項したのですよ、私は。
Kamado Jiko の表記はひとつに決まっていない点でもKsさんの主張は間違いです。後述します。
カマドジコは普通名詞であり、
Ksさん得意の独自研究ですか? カマドジコが普通名詞であるという出典を示して下さるようお願いします。「オレオレ出典」では困ります。改名提案においてこれは大変に重要ですから、必ず出典明記の上での回答をお願いします。もしカマドジコが普通名詞であるという出典を示さずに議論を続けるなら、実質的な対話拒否で改名議論の放棄と見なさせていただきます。
最初の3月20日には「カマド・ジコ」と言っていたKsさんが意見を変えるのですか? Ksさんは一体、何に改名したいのですか。まずKsさんの頭の中で「カマド・ジコ」なのか「カマドジコ」なのか1人で議論して欲しいと思います。それとも表記などんでもいいから適当に投票かジャンケンでもして任意に選べば良く出典など一切不要、という事でしょうか。
日本の本ではカナ表記された例もあるのですから
Ksさんには同じ事を何べん言わないといけないのだろうと思うのですが、『遠野学』の論文の全体を読めば、カマド・ジコは単に一度出ただけの、Kamado Jiko の名称に対する振り仮名に過ぎず、統一した名称は Kamado Jiko だというのが明らかなんですがね。それにしても「日本の本ではカナ表記された例」ですか。出典に用いた本も調べず、よく憶測だけでこれだけ無駄な議論が続けられるものですね。
Ksさんには、あと5回か10回は同じ事を言わないとダメかもしれませんが、3月24日に書いた事と同様の内容を繰り返しますね。今度は、箇条書きにしてみましょうか。
  • 日本語の定まった表記はありません
  • 統一した名称は Kamado Jiko
  • Kamado Jiko の読み方は一種類。
  • ただし Kamado Jiko の振り仮名は以下の3種類の表記があります。
    • 「カマド・ジコ」(出所は菊池弥生の『遠野学』)
    • 「かまど ジコ」(出所は菊池弥生が遠野文化奨励賞を受賞した時のプレゼン資料)
    • 「かまどジコ」(推進団体の「少年ケニヤ」の公式ブログでの表記)
  • つまり、日本語の表記は不定です。これが出典に基づいた事実です。
必ずしもアルファベット表記を記事名にする必要はないのではないですか?
Ksさんが、カナ表記だと思っているのは、私の記事のほんの6文字×2箇所を見てそう思い込んだだけでしょう。確かに記事中では「かまど ジコ」のような書き方はしていませんが、それは「かまど ジコ」のような書かれ方をした出典が存在しない事を意味しませんので。
ちなみに私でしたら、現在の記事で「カマド・ジコ」と書かれている箇所を「かまど ジコ」に変える事は可能だったんですよ。もちろん今からやったら「改名を阻止するために記事を書き換えた、許せない!」と騒動になるとは思いますが、菊池弥生が遠野文化奨励賞を受賞した時のプレゼン資料は、違法動画ならいざ知らず、岩手さん.comという地元の会社が、YouTube を利用して公開している著作権法上問題の無い動画ですので出典として何ら不足は無いでしょう。まして受賞の際にプレゼンをしているのは菊池弥生本人です。誰も、改名議論をする人間すら読もうとしない『遠野学』の論文より、読者の便宜を考え閲覧しやすい動画資料の出典およびそこでの振り仮名の表記で記事を立項しました、こんなのはただの振り仮名ですから何だっていいでしょう、とする事だって書き手の裁量の範囲だったのですがね。そうしたらKsさんは「かまど ジコ」か「かまどジコ」か「かまど・ジコ」のどれかに改名しよう、投票だ!とやっていたでしょうね。Ksさんの言っている事は、その程度のことです。
Kamado Jikoこそが正式な表記だ」と言及している出典はないのですよね?
いい加減にしてください。『遠野学』p.252 にあります。出典を見る気が無いのでしたら、無意味な議論をやめてください。
わざわざWikipediaのスタイルマニュアルをひきつつ
これは意味を成していませんね。KsさんはWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)などは一切無視しているのですか?

導入部は、以下のようにします。

  1. 第1文の主題(主語)を項目名とし、定義を記載する。その時には項目名を太字(''')にする。
  2. 項目名の後には括弧()でくくって中に読み仮名をいれる。括弧の中には読み仮名の後に付加情報(生年月日など)を書いてもよい。

これに従うなとでも主張したいのでしょうか。

これはもう、この仮名表記が使えるという意思表示になっていませんか?
本当に、Ksさんの主張たるや「根拠ゼロ」「出典ゼロ」「ルール無視」「事実無視」「我思う故に我正しい」で徹底していますね。自分からスタイルマニュアルを持ち出しておいて、そこに「項目名の後には括弧()でくくって中に読み仮名をいれる」とあるのに、記事を読んで「これは読み仮名じゃない、この仮名表記が使えるという意思表示に違いない。きっとそうだ!」と考えるわけですね。違います。意思表示はしておりません。
それにしても立項時にノート:Kamado Jiko#加筆を考えてくださる方にに書いても、Ksさんのような人の登場を防ぐ効果が無かった事、残念に思います。もしKsさんがいつか、主要な出典である『遠野学』を読めば「自分は全く意味の無い議論を延々と繰り広げていたのか!」と思うでしょう。もっともいまだ記事さえよく読まずに自説を言い続けるKsさんですから、その日は来ないでしょう。というより、次にKsさんが何かここに書く前に何であれ調べるという事はない公算が高いですね。むしろ改名提案タグを貼って来る頃でしょうかね。--210.253.249.78 2013年3月31日 (日) 15:01 (UTC)
とりあえず、前半すべてを黙殺します。私の執筆態度や他者とのやりとりが、ここの議論に何の関係があるのでしょうか?しかも、そこでの態度もひどく失礼ですし。水凪氏とのやりとりにせよ、私にはそれなりに言いたいことはありますが、あえて触れません。その上に「改名議論も執筆力で勝負。Kamado Jikoとタイミンタチバナはどちらが多くの得票を獲得するか。票が少なかったほうが議論から手を引く、というのはいかがでしょうか」ですか?私は勝負に乗りません。理由は一つ、勝てないから。そんなの見ればわかる。この記事そのものはたいしたものですよ。もっとああすればはあるにしてもね。しかし、「もし負ければ記事名を変えていい」くらいなら、すぐに記事名を変えてはどうですか?つまり些事であるとの認識なんでしょう?
それから、ウィンドウズの件はまあいいです。私の方で引きます。ですが、論旨そのものは変わりません。ウィンドウズはアルファベット表記にするかも知れません。ですが、それはやはり商品名だからではないでしょうか?
日本国外産でアルファベット表記を標準とする語であっても、たとえば人名、地名、国名、そういうのすべて仮名表記するではありませんか。品物であっても楽器だって道具だって仮名表記ですよね?そんな中でカマドジコをアルファベット表記にする理由って何です?
  • 「信頼できる情報源 = 『遠野学』に収録された論文」はまあいいでしょう。だが、「で24回」=「すなわち最も一般的」は変ですよね。いかに重要な文献とはいえ、その本の中で一番よく使われたことと、一般的とは別のものです。
  • 「曖昧でない = 統一した名称として望んでる」これもその人が「望んでいる」ことが曖昧でないこととは繋がってませんね。
要するに、どちらも「偉い人がこう望んでいる」に過ぎません。それはいわば、「単独の出典に依存している状態」ではないのでしょうか?--Ks会話2013年4月2日 (火) 12:56 (UTC)

コメントこの場で生物分野での慣例を繰り返し持ち出して改名を説得しようとしたのはKsさんである事はお忘れですか。また相対性理論を引き合いにして私の見識を疑ったのはKsさんである事はお忘れですか。出典無しに改名を主張し続けているのはKsさんですよね。そうであれば、Ksさんの書き手としての技量を明らかにせざるを得ません。私の知識と経験・見識が低い一方でKsさんは極めて優れた書き手であるから出典が無くてもKsさんの改名提案を受け入れるべき、という理屈が成り立つか。そこでKsさんの会話ページを拝見した所、水凪唯維さんとのやりとりで気になる所があった。その後、「あなたが確認したのは私の植物関連記事だけですよね?」となり、過去にどんな記事を書いたかの話になり、イソギンチャク・触手・退化・菌糸という事でしたが、私が記事を拝見した所、到底「出典が無くても提案を受け入れるのも妥当と思えるほど格別な執筆力」とは言いがたかった。こういう経緯ですよね。

私の執筆態度や他者とのやりとりが、ここの議論に何の関係があるのでしょうか?
Ksさんが過去に書いた記事およびノートの議論は、Ksさんの根深い出典軽視傾向と議論の進め方に問題がある事を示していますね。ここでも同じ問題が出ています。
「偉い人がこう望んでいる」に過ぎません。
どうもKsさんは「自分は偉いから出典などどうでも良く自分の望む記事名に改名せよ」的な傾向が非常に強く、違和感を感じます。
それはいわば、「単独の出典に依存している状態」ではないのでしょうか?
また「オレオレルール」ですか? Wikipedia:Template メッセージの一覧/問題のある記事には{{単一の出典}}というのもありますが、それを貼ると「この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。他の出典も追加して記事の正確性・中立性向上にご協力ください。」と表示されるので、Ksさんが何か主張したがっているというのは理解できますが、この記事は出典は多い部類ですので、{{単一の出典}} の問題は有しておりません。
また前回

菊池弥生が遠野文化奨励賞を受賞した時のプレゼン資料は、違法動画ならいざ知らず、岩手さん.comという地元の会社が、YouTube を利用して公開している著作権法上問題の無い動画ですので出典として何ら不足は無いでしょう。

と書いてあります。こちらも出典たりえるでしょう。
Kamado Jiko#注釈の注釈3に

既に2000年には「少年ケニヤの友」はナイロビで Introducing the improved cooking stove, Kamado Jiko というガイドブックを発行しており、英語では Kamado Jiko の名称を使用していた。『遠野学』p.252, 265を参照。

これは直接、資料に当たったわけではない (とはいえ、このガイドブックは存在しない架空の物とは考えにくい) ですし、英語ですし、一般売りしていない模様ですが、ご参考まで。
そこでの態度もひどく失礼ですし。
私などは、読んでくださいと立項時にノートに書いた出典はおろか記事さえも読まずに改名議論を続けて迷惑も顧みず延々と自説を主張し続けるKsさんの足元にも及びません。
一方、水凪唯維さんに対するKsさんの態度は「失礼」ではなく「非礼」です。「Zychaらが1969年にこの考えを示した」のような憶測で書いたKsさんに対し、水凪唯維さんはきちっと出典をつけた。それをZychaの書著も読んでいないKsさんがいきなりリバートして議論しろ、でしょう。あれでは完全に「よくも自分の記事に手を出したな!」の世界です。しかもノート:ロボスポランギウムのKsさんの主張たるや

Zychaの図鑑っぽいやつは持ってません。でも、コピー持ってる。ただし読めない。ドイツ語出来ないから。記載くらいは何とか読むけど、議論については無理。だから孫引きしました。そこにまで厳密性を要求しますか?

ですとか

ここは一般向けの百科事典であり、学問のための場でさえないのです。私はそのつもりで書いてます。だから、堅苦しい厳密性よりは、お話であるべきだと思う。

と目を覆いたくなる内容。これでは水凪唯維さんでなくても、議論しても無駄な相手だと思うでしょうね。Wikipediaはデタラメ・独自研究を書く場ではありません。
Ksさんが水凪唯維さんのノートに書いた内容もひどい。(現在は消されている)

はっきり言って、「Ksが手を出したものはさわらない」なんて、子供ですか?それだったら、こんな所にこなければいいんですよ。誰が手を出してくるかわからないんですよ?私なんか、かわいい方です。

こういうのを、私は「Ksさん論法」と呼ばさせて頂きます。
もっとああすればはあるにしてもね。
記事も読まずに「Kamado Jiko は創始者がその表記にこだわっている」のようなデタラメを書くことが、Ksさんの基準では記事の改善なんでしょうね。
「もし負ければ記事名を変えていい」くらいなら、すぐに記事名を変えてはどうですか?
この議論を我慢強く見ている人であれば、このように出典も事実も無視した議論をするようではどの分野であれKsさんに出典の充実した正確性の高い記事が書けるはずが無い、と感じるかもしれません。私もKsさんの技量の見極めはついていますので、「負ける位なら死んでもいい」と書いても大丈夫だろうとは思いましたが、それでは極端なので、このあたりにしておきました。
つまり些事であるとの認識なんでしょう?
勝てないからと勝負に乗らないでおきながら、すぐに記事名を変えを変えては、と言うあたりがいかにも「Ksさん論法」ですね。
些事であるとは認識しておりません。

Ksさん。改名が妥当であるという提案を支持する出典・事実が明確に示せれば提案は(絶対とは言えませんが)すんなり通る可能性が高いですよ。一方、これ無しで改名議論をすると確実に紛糾します。改名に反対のしようがない事実を示せるかどうかがポイントでしょう。それから、あまりに反対が強い/意見がことごとく反論に会う場合は、もしかしたら自分の改名提案が思ったほどは良くないからなのかもしれない、と振り返っていただければと思います。--210.253.249.111 2013年4月3日 (水) 15:41 (UTC)

議論中断のお知らせ

読者の皆様には恐縮です。長い議論となっていますが、現状では

  • 改名提案が妥当である事を支持する出典が一つも示されていない
  • 何に改名したいのかもはっきりしない。議論途中で変わってしまっている。
  • たとえば「カマドジコは普通名詞であり」との主張もなされたのに対し

    もしカマドジコが普通名詞であるという出典を示さずに議論を続けるなら、実質的な対話拒否で改名議論の放棄と見なさせていただきます。

    とまで求めても完全に無視される、といった調子で議論として成立していない。
  • 「出典にはこうあります」「記事を読んでください」「ノートを読んでください」で反論できる物の割合が高い

という理由にくわえ、議論の流れとして時系列で示すと

菊池さんは論文内でローマ字表記の Kamado Jiko を、論文のタイトルを含め全体に渡り24回用いています。このKamado Jikoの記事も、それと同じ表記で書いています。 --210.253.249.89 2013年3月17日 (日) 12:35 (UTC)
「Kamado Jikoこそが正式な表記だ」と言及している出典はないのですよね? --Ks(会話) 2013年3月31日 (日) 14:09 (UTC)
いい加減にしてください。『遠野学』p.252 にあります。出典を見る気が無いのでしたら、無意味な議論をやめてください。--210.253.249.78 2013年3月31日 (日) 15:01 (UTC)
「信頼できる情報源 = 『遠野学』に収録された論文」はまあいいでしょう。だが、「で24回」=「すなわち最も一般的」は変ですよね。いかに重要な文献とはいえ、その本の中で一番よく使われたことと、一般的とは別のものです。-Ks(会話) 2013年4月2日 (火) 12:56 (UTC)

しかし私は 3月31日 (日) 15:01 (UTC) 時点で Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはを引用し

* 認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。

と示しています。このように

  • 立項時のノートを見ても『遠野学』に Kamado Jiko と書いてある事が理解できない。
  • 自分では出典を何一つ調べず、『遠野学』も見もしないで、Kamado Jiko などという表記が書かれた出典はないと思い込んで立項者の私に聞いている有様で議論の体をなしていない。出典は改名を提案する側が調べるものであり、「Kamado Jiko なんて出典は無いよね? ねぇ、無いんでしょう?」のごとき憶測に基づいて相手に聞いてくるとは、この議論をエイプリルフール記事にノミネートしたいのかと聞きたくなります。
  • ルールの捻じ曲げが目立つ。例えば『遠野学』で Kamado Jiko 表記は24回、カマド・ジコは1回出ただけと書いているのに、24回では、「信頼できる情報源において最も一般的に使われており」ではないとの主張。

これ以上改名議論を続けても、同様の事が繰り返されるだけで益は乏しい事、改名側に理が無い事は既に読者の目に明らかになっているのでもう必要ないだろうと判断しましたので、私の方はいったん議論から撤退しようかと思います。

もちろん『かくかく』という出典では「しかじか」として書かれており、それは『遠野学』の Kamado Jiko 表記より信頼がおける物である。さらに『なになに』という出典にも「しかじか」と書かれている。よって Kamado Jiko は「しかじか」に改名すべき、といった議論がなされるのでしたら価値がありますので私に再度議論に参加させてもらうかもしれませんし、その際は主張に正当性があれば私も別に反対はしません。ただ、今のところそのような出典に基づいた議論が皆無で、出典の内容を相手に聞いている状況というのは残念です。--210.253.249.111 2013年4月3日 (水) 15:41 (UTC)

まあ、これだけ沢山書くのは大変ではあるのでしょうね。
それはそれとして、私も一旦引っ込むことにしました。実のところ、飼料に一切あたらずに議論して他のは、一つには参考文献を色々入手することの出来る場にいないこと、そこまで手を出す気にはなってないこともあり、その上で、通りすがりの別分野執筆者として疑問を感じた、という立場でやってみたかったから。
だが、さすがに無理がありましたので、せめてググってやろうかと、googleとかgoogle scholarつかってみたんですが。そしたら、むしろエンザロ・ジコの方がヒットしやがるんですね。で、カマド・ジコ(表記は何通りかで試した)も数の上では多いんですが、そのほとんどが同じ本に関する言及であったりして、要するに言及先は少ないんです。記事の方でもエンザロ・ジコから改名したとの記述がありますが、このあたりは今ひとつわからない。で、そこに首をつっこむのはややこしいみたい。この記事ってそういうあたりは記述がひどく簡素なんですよね。
で、そんな情報に接触が持てるまでは、もう触れないことにした次第。お騒がせして申し訳なかったですな。
ただ、今も仮名書きの方が良いとは思ってます。代案を出せる状況でなくなったので、ということで。--Ks会話2013年4月5日 (金) 08:53 (UTC)

賛成 カナ読みがあるならそちらで。原語「Kamado Jiko」はリダイレクトで誘導。iPhone、AKB48、ONE PIECE、PlayStationなどの認知度と比較にならない。バンド名などカッコ付け(もといクールな)分野とも違う。その後、社会での原語での流通具合をみて再改名を考えても遅くは無い。--Triglav会話2015年1月24日 (土) 12:30 (UTC)

反論も出てこないようですから、やっていいんじゃないですか?--Keisotyo会話2015年2月7日 (土) 03:32 (UTC)

反対 初版投稿者と利用者:Ks(現利用者:Keisotyo)との議論(とも呼べない、というか、ただの思いつきクレーム)を覆すほどの改名するべき根拠が示されたとは考えられない。あと、あれだけデタラメな改名提案をした挙句、ろくに資料も調べず、尻尾を巻いて逃げ出しておいて、他人の尻馬に乗ろうとすることを少しは恥ずかしく思ったらいかが?誰のこと、とは敢えて明言しませんが。--ikedat76会話2015年2月7日 (土) 03:50 (UTC)

ならば、反論すればよかったのでは?私が発言した途端にこれですか?それはそれで、と思いますが。
しかも、反対理由がないですね。今回改名の意見を出しているのは私ではありません。ここで反対を表明するなら、Triglav様の意見に対して反論すべきであり、それがなくて、私の態度を批判するのは、まともな反対ではなく、個人攻撃に類する行動と思われます。--Keisotyo会話2015年2月7日 (土) 05:49 (UTC)
コメント お二人とも出来ましたら乱闘は2chやtwitterを活用していただければと思うのですが。そのほうが盛り上がりますし(笑)。
私は「改名してから様子見」と言いましたが、「改名せず様子見」でも暫定という意味では同じことですので、そちらに切り替えても問題ありません。理由は(あまり使いたくはないのですけど)執筆者のアドバンテージ適用とかでもいいですよ。その代わりリダイレクトのほうは積極活用でお願いします。他ページ上に「カマド・ジコ」というリンクがあったら「Kamado Jiko」へのリンクの貼り替えなどは一切しないということにしておけば、執筆者同士の衝突は回避できると思います。
予めノートに防御線を張るところからして、執筆者様自身が現行記事名に対して一番不安視している立場にあるのかと思います。防御線を張るときに「なぜ当事者は原語直輸入という手段を選んだのか?」についてIP様自身のお考えを示されていたほうがその後の議論がスムーズに進んでいたような気がします。
あと、IP利用者が相手論者の過去の履歴を探ったり、これからの行動を追跡したりするのは、決まって反発されますのでお止めください。今後、自分のメリットではなくて相手執筆者のためにアカウント取っていただけると嬉しいです。--Triglav会話2015年2月7日 (土) 11:21 (UTC)

賛成 カナ読みへの改名に賛成です。イワタニリンナイの作った製品、規格だというのならばiPhoneの例えも分かりますが、記事を読んだ感じ一般名詞として受け入れられているように見えますし、考案者もそれを望んでいるように思えます。タンドールと同じ種類の名詞でしょう。「タンドール」の記事名が「Tandoor」になっていたらわたしには違和感があります。--Akiyama(tentative)会話2015年2月7日 (土) 13:00 (UTC)

  • 反対 今日は国会図書館に行ったので『遠野学』や岸田氏の書いた記事、さくまゆみこ氏の著作を読み、またさんざんkamadojikoについて探してきました。結局は初版投稿してくださったIPさんが言われている以上の物は見つけられなかったわけですが、IPさんが上で述べられていることに齟齬はありません。IP氏が文献を提示され、またiphoneなどの例を出して論拠を述べられており、そして改名提案は合意せずで終っているわけです。それをだれもが忘れたであろう頃に、(新たな論拠を元に改名の再提案をするのならともかく)人知れず賛成票をいれ、たった1票でしかなのに、2週間経ったから「反論も出てこないようですから、やっていいんじゃないですか?」という進めかたはあんまりでしょう。団体としてNPO法人「少年ケニヤの友」は「かまど・ジコ」を使用しているように、絶対に「kamado jiko」以外は認めん都は言いませんが、どちらでもOKと言う場合は苦労して記事を立ち上げた初版立項者さんの言に沿いましょう。どっちでもいいことでは「記事に何も貢献していない人」が自分の好みを押し付けて執筆者のヤル気を削ぐような事は避けるべきです。TriglavさんもKsさんもこんなすでに終った議論をひそかに引っ繰り返すのではなく、IP氏の言以上の説得力ある論拠できちんと堂々と改名の再提案をしてください。Triglavさんはkamado jiko はiphoneのような著名度は無いといわれましたが、iphoneは一例として提示されているのであって、それほど有名では無いがラテン文字表記の記事はすくなからずあります。さすがにハングルやビルマ文字、アラビア文字の記事名だったら日本語話者には読めないので改名は仕方ないですが、ローマ字はたしか小学校で習うはず。--ぱたごん会話2015年2月10日 (火) 10:41 (UTC)
深読みしないでください(笑)。先の議論が執筆者がアルファベット表記で譲らない状態で膠着しているものを(執筆者の意向を確認せずに)強行などしませんよ。改名への賛成意思を持つものは他にもいるよ、ということを示したかったので書き残しました。
ぱたごん様、詳しく調査いただきありがとうございます。当然ながら資料を読む限りの結論はIP様が事前に示されているとおりなのだとおもいます。だけれども、業界紙などの内々では Kamado Jiko を使っても一般向けに紹介するときは「かまど・ジコ」になってしまうのですかねぇ?
まずは記事名が違和感のある状態であることを認めていただいて、(事前の綿密な調査をした)執筆者を尊重して現行記事名で暫定とし、実社会のいろんな場面で紹介されることを祈って、その後の状況で判断してみませんか? 賛成票を出されている方々いかがでしょうか?--Triglav会話2015年2月12日 (木) 12:30 (UTC)

時間が取れたので頑張って新記事を書いて月間新記事賞の候補になった途端に目をつけられ辟易する改名議論。良く調査し正確性を競う議論ならまだしも、出典無視の議論に延々とつき合わされ膨大な時間を無駄にさせられ、でも議論を降りれば「逃亡・敗北」になるとは、ウィキペディアは何て罰ゲーム・ブラックサイトなんでしょうか。このような議論では2chやtwitterでさえ「ウィキペディアってこんな所」という悪例にされるのではと思います。この労力を記事充実に用いようとしないのがウィキペディアかと思うと嫌気が差してしばらく遠ざかっていましたが、また改名議論ですか。初版立項者が根負けするまで議論を続ければ出典皆無でも何でも思い通りにできるという考えであれば、間違いは間違いと指摘して反論するしかないようですね。個別に行きます。

カナ読みがあるならそちらで。原語「Kamado Jiko」はリダイレクトで誘導。iPhone、AKB48、ONE PIECE、PlayStationなどの認知度と比較にならない。
Triglavさん、あるのは振り仮名が幾通りかあるに過ぎず、定まったカナ表記はありません。Kamado Jiko を原語と言っていますが、出典にある正式名称であり、日本語の論文中で Kamado Jiko 表記がされている以上、日本語版の記事名も出典通り正式名称にする以外に無いでしょう。それから「認知度と比較にならない」との主張ですが、俺様ルールを作るのはやめていただけませんか? Wikipedia:記事名の付け方#略号・記号・片仮名語には確かにアルファベットの記事名の例として「TeX」「DVD」「iPhone」が載っていますが、これをどう読んだら、iPhone、AKB48、ONE PIECE、PlayStation 並みに認知度の高いもの以外はアルファベットの記事名を許さないという理屈になるのですか? TeX は認知度が高いでしょうか。自分の意見を通すためにガイドラインを捻じ曲げ勝手にルールを付け足し都合のいいように当てはめるのは悪用ですので強い反発を買いますよ。認知度の高いもの以外はアルファベットの記事名は許さないと主張したければ、ガイドラインのノートで議論して賛意を得てからにしてもらえますか。
理由は(あまり使いたくはないのですけど)執筆者のアドバンテージ適用とかでもいいですよ。
これですと、Triglavさんとしては、自分の言っていることは正論で執筆者が間違いなのだが、もう書かれてしまったし変えたら可哀想だから譲歩して現状維持でもいいですよ、と主張しているようですね。Triglavさんの過去の活動履歴などは調べませんが、図書館に行き手に入る文献を全て調査し構成を考えて正確性に注意し出典の明示に努めて新規に記事を書く、などという経験は絶無な人だというのが一目瞭然です。パッとウェッブサーフィンした程度で新記事を立項した事ならあるかもしれませんが。Kamado Jiko#参考文献を見て、相当に調べなければ記事が立項できなかっただろうと理解できないのだから、もうこれは、Triglavさんが相当な人、と判断するしかないですね。知らない人が一見すると違和感があるかもしれないが、手に入る資料は全て調べた結果、記事名は Kamado Jiko にする以外に無いと判断して立項し、無益な議論を避けたくてノートに防御線まで張っている以上、何一つ調査していない人が執筆者に改名議論を挑んでも”勝てる”見込みは乏しいと思いませんか。これでは竹槍で戦車というよりバンザイしながら肉弾で戦車に向かって自分は勝つと信じるようなものです。戦車に挑むなら戦車(すなわち優れた出典)を用意した上でなければ話になりません。Triglavさんは、執筆者のアドバンテージ適用などと言わず、なぜ執筆者と同等あるいはそれ以上に調べてから改名提案をしようとしないのでしょうか。そろそろウィキペディアとして、改名議論において、執筆しない者のディスアドバンテージ適用とかルールを決めないと衰退に拍車がかかりますね。
防御線を張るときに「なぜ当事者は原語直輸入という手段を選んだのか?」についてIP様自身のお考えを示されていたほうがその後の議論がスムーズに進んでいたような気がします。
Triglavさん、冗談はやめてください。2013年3月21日の時点で「Kamado はかまど、Jikoはスワヒリ語でかまどであるから、日本語では「かまど・かまど」になる。日本語とスワヒリ語の合成語である Kamado Jiko は、日本とアフリカの架け橋の象徴ともいえる。」と書いてあるでしょう? 記事立項と同時にノートに書いた内容すら見ていない人がそのような批判を加えながら改名議論ですか。それよりも前回の改名議論終結後、1年9ヶ月も経ってから、なんら新しい情報・根拠・出典・状況の変化の事実も示さずに「賛成」として改名議論を始めたのは、一体何を考えてそうしたのかTriglavさんの考えを示す方が先でしょう。
アカウントを取っても匿名なのは変わりませんのでIPで書いていますが、ちょっとびっくりする物言いの方がいらっしゃったので、この人とどうやって議論し記事悪化を防げるかと悩み、失礼とは思いましたがその方の履歴を拝見しました。その結果、この記事より深刻な点が見つかりノート:自給自足に書いておきましたが、関連書に書籍を列挙しておきながら実は書籍は参考にしていないというのはどう思われますか。本来はTriglavさんのような方こそ問題を発見していただきたい所です。
ならば、反論すればよかったのでは?
Keisotyoさん。せめて節を設けて正式に改名を再提案する事もせず、議論クローズ後に突然賛成票が入った事を理由に、まるで、初心貫徹だ今のうちに改名してしまえこれでこっちの思い通りだ、のようなやり方は、Keisotyoさんがどういう人かを判断する材料のひとつにされるでしょう。それから、前からずっと疑問に思っていたのですが、

要するに、どちらも「偉い人がこう望んでいる」に過ぎません。それはいわば、「単独の出典に依存している状態」ではないのでしょうか?--Ks(会話) 2013年4月2日 (火) 12:56 (UTC)

と書いていますが、出典を示して改名には根拠は無く賛成しかねるという相手に何一つ出典を示さずに延々と改名議論を続けている人が「単独の出典に依存」と批判していますが、それで何の疑問も矛盾も感じなかったのですか? 私はこれを見て「このような人とは到底、意義のある議論などは無理だ」と断念しノート:Kamado Jiko#議論中断のお知らせとさせていただきましたが、今回も何一つ出典が示されない時点で改名賛成ですか。以前に聞きましたよね? 『遠野学』を書いた菊池弥生は Kamado Jiko に関して執筆するにふさわしい経歴の持ち主である一方、Ksさんは、出典が何だ私の考えこそ正しのだ、的な考えに終始しているので、九分九厘ちがうだろうとは思いましたが、Kamado Jiko に関する専門家だと言えるような資格があるのかと。例えば知識なら菊池弥生に負けないとか、あるいはアフリカで Kamado Jiko を100個作ったというのであれば、Ksさんの意見を専門家/関係者の意見と扱うこともあり得たからです。しかし回答が無かったので、Ksさんは Kamado Jiko に関する何の知識も実績も無いが、自分は極めて偉い人物なので自分が望んだ名称こそが記事名に採用されるべきで出典など関係無いとお考えになるような人と判断しました。それも前回「付き合いきれない」と思った理由です。新たに反論を求めるのであればそれにふさわしい新証拠・新論拠を出して頂きたい所です。

記事を読んだ感じ一般名詞として受け入れられているように見えますし、考案者もそれを望んでいるように思えます。
Akiyama(tentative)さん。あなたの「感じ」ではなく、Kamado Jiko の定まったカナ表記があってそれが受け入れられているという出典を示してください。それは『遠野学』より重要度・正確性の高いものである必要があります。「考案者もそれを望んでいるように思えます。」という主張の方ですが、ノート:Kamado Jiko#改名提案を考える人にでは「菊池さんは論文内でローマ字表記の Kamado Jiko を、論文のタイトルを含め全体に渡り24回用いています。」と書かれてある通りで明らかに間違いです。ノート:Kamado Jiko#改名提案を考える人には「かつては改名提案を出す人の中にノートを見ていない人もいましたが、、、提案前に目を通して頂ければ幸いです。」と書いてありますので、併せてご覧ください。
業界紙などの内々では Kamado Jiko を使っても一般向けに紹介するときは「かまど・ジコ」になってしまうのですかねぇ?
Triglavさん、『遠野学』を「業界紙」呼ばわりですか。一切、調べる気も無しに思いつきで議論することしかできない人なのか、それとも『遠野学』など信頼できる情報源ではない、あるいは、検証可能性を満たさないかのような事実と違う主張をしたいのでしょうか。よろしければ遠野市立の遠野文化研究センターがどの特定の業界の「業界紙」を出しているのか今後の参考に教えてください。この件については必ず回答してくださるようにお願いします。
一般向けに紹介するときは「かまど・ジコ」になってしまう程度を有力な”出典”と思い込みましたか。これは、Triglavさんの記事執筆、および、議論における力量を表していますね。まず、このノートの以前の改名議論でなされた内容を見ていない・理解していないのが明らかで、これは改名を提案する側として致命的です。
あと5回か10回は同じ事を言わないとダメかもしれませんが、3月24日に書いた事と同様の内容を繰り返しますね。今度は、箇条書きにしてみましょうか。
  • 日本語の定まった表記はありません
  • 統一した名称は Kamado Jiko
  • Kamado Jiko の読み方は一種類。
  • ただし Kamado Jiko の振り仮名は以下の3種類の表記があります。
    • 「カマド・ジコ」(出所は菊池弥生の『遠野学』)
    • 「かまど ジコ」(出所は菊池弥生が遠野文化奨励賞を受賞した時のプレゼン資料)
    • 「かまどジコ」(推進団体の「少年ケニヤ」の公式ブログでの表記)
状況が変化した点としては、当時は「少年ケニヤ」の公式ブログ表記がかまどジコだったのに対し、最近は「かまど・ジコ」になって振り仮名が4種類に増えていますね。
Triglavさんは、前回の改名議論の際は、推進団体の「少年ケニヤ」の公式ブログでの表記が「かまどジコ」だったという箇所を見ていませんね。前回の改名議論の内容を見もしないでなぜ改名提案を蒸し返すのか、というだけで論じ手として「一発アウト」ですが、ここでは穏やかに「Triglavさんのおっしゃる説が正しければ、前回の改名議論では Kamado Jiko はかまどジコに改名され、そして今度は公式ブログの表記変更に伴いかまど・ジコに再改名しなければいけなくなります。将来、表記が揺れたらまた変えるのですか?」と言っておきます。公式ブログを論拠に「かまど・ジコ」にすべしと主張した所で、公式ブログの別の箇所では「かまどジコ」と書かれていた、しかも2013年3月31日時点で指摘済みだと反論されそれまでです。またTriglavさんの記事執筆力も表しています。ブログとはいえ費用節約のためホームページ代わりにしているので公式と見なせ「参考」にはなるものの記事に用いるには「吟味」が必要で書籍になった資料、それも、エッセイなどではなく遠野市のレベルですが賞を受賞した論文を上回る正確性や信頼性が置けるものではない、というあたりが理解できないのは記事執筆力を反映したものでしょう。
これは、単に振り仮名という扱いだから表記が定まらない、ひらがなやカタカナの名称は正式なものではないという以外に解釈が可能でしょうか。子供や英語が敵国語だった高齢者だとアルファベットはわかりにくいでしょうから、必要でしょうけれど。また「改名してから様子見」というのも、とにかく改名を納得させてしまえという手段を選ばない論法です。岸田袈裟が発案したかまどには Kamado Jiko という正式名称があり (既に述べられていますのでご覧ください) この記事はその正式名称で立項されており、カタカナやひらがなでは正式名称も定まった慣例も無い以上、どういう根拠で「改名してから様子見」という表現をするのでしょうか。
先の議論が執筆者がアルファベット表記で譲らない状態で膠着している
Triglavさん、違うでしょう。執筆者が信頼できる情報源を元に正式名称で立項しているのに、改名提案側が改名すべしとするだけの根拠を示さず、結局は「思う」だの「感じる」がもっぱら、せいぜい別の公式ページを示せば否定される論拠程度で議論を続け、では何という名前に改名すべきか、および、その根拠についてまともに示していない状態では改名に賛成のしようがないです。それともTriglavさんは、「改名してから様子見」などとも書いていますが、とにかく改名ありきで、改名する名前に関してはデタラメでも何でもいい、多数決などでいい加減に決めた名前がウィキペディアから広められて日本で正式名に代わって定着するかどうか様子を見よう、ということですか。それならウィキペディアなど無くした方が社会のためでしょう。
記事名が違和感のある状態であることを認めていただいて
それはTriglavさんが違和感を感じているというだけの話であり、それは記事名が違和感のある状態であることを意味しません。Triglavさんは何一つ調べておらず、主要な出典である『遠野学』を見さえすれば、岸田袈裟が発案したかまどを Kamado Jiko という以外の記事名にする方がむしろおかしいと容易に理解できるものを、「業界紙」呼ばわりなど調査の重要性を甚だしく蔑んで見もしないから Kamado Jiko が正式名称だと理解できず、だから違和感に感じた状態で議論しているのだという事を認めていただく事は可能でしょうか。

以下に改めて節を設けます。 --114.180.131.173 2015年2月14日 (土) 06:52 (UTC)

改名議論が再開しましたか

賛成する人は出典どころかノートも見ないのがデフォルトのようですから、書けば書くほど逆効果でしょうが、記しておきます。

  • Kamado Jiko とすべき理由とその出典
  1. 『遠野学』に収録された菊池弥生さんの『魔法のような Kamado Jiko-アフリカの生活を変えた遠野のかまど-』の論文は日本語で書かれていますが、 Kamado Jiko の表記が論文のタイトルを含め全体に渡り24回用いられています。菊池さんは、かまどの発案者の岸田袈裟さんの姪で2010年から袈裟さんの業務を引き継ぎ、現在 Kamado Jiko の普及で中心的な立場を担っていますので素人や部外者が書いた論文ではありません。「業界紙」呼ばわりする人もいましたが、実際には遠野文化奨励賞を受賞しており論文の価値は高いと公に認められています。本記事の最重要出典です。
  2. 遠野市の「遠野文化賞」受賞者の決定について

    遠野の「改良かまど」を手本として発案した「Kamado Jiko」を普及させて

    とあるように、遠野市のサイトで Kamado Jiko が使用されている。
  3. JICA(独立行政法人国際協力機構)の乾燥地での森林保全と農民の収入向上を目指す

    私は大きさの異なる二種類のかまどの作り方を教えていて、鍋1つ用の小さなかまど(写真2)と鍋が3つ置ける「KAMADO JIKO」の普及活動を行っています。

    のように使用されている。一方、カナ表記されている例は見つけることができませんでした。
  • カナ表記にすべきではない理由
    • 現時点で「カマド・ジコ」「かまど ジコ」「かまどジコ」「かまど・ジコ」の4つの表記を確認しており正式なカナ表記が存在しないため、正確な記事名に改名することが不可能でどれを選んだところで曖昧な名称とならざるを得ない。
  • 改名に賛成しかねる理由
    • 現在の Kamado Jiko は正式な名称・表記で出典もある。Wikipedia:記事名の付け方の「認知度が高い」「見つけやすい」「曖昧でない」「簡潔」「首尾一貫している」の点で問題が無いし、「正式名称」という要件も満たす。一方、Wikipedia:記事名の付け方#略号・記号・片仮名語に関しては改名論者に追及される不安があるものの、「しかし略号・記号・片仮名表記を排除する意図はなく」というガイドラインの文面、例として「TeX」「DVD」「iPhone」が載っている事、逆にあまりにWikipedia:記事名の付け方#略号・記号・片仮名語を原理主義的に適用するなら「片仮名語は基本的に用いず」も死守しなければいけなくなりウィキペディアに大混乱が生じるので平衡の取れた判断をすべきであることも考慮すれば現行の Kamado Jiko 表記は記事として受け入れ可能で改名する理由が無い。一方、iPhone 並みに認知度の高いもの以外はアルファベットの記事名を許さないかのごとき俺様ルール押し付けに基づく改名には賛成しかねる。
    • 改名に賛成の意見はあるものの、信頼できる情報源に基づく出典より優れた論拠が一つも無く、結局は個人の主観・感覚あるいは表記の定まらないブログに基づくものに過ぎず、これを受け入れるならすべての利用者が従うべきWikipedia:検証可能性のウィキペディア日本語版の方針に反する変更になる。

記事には検証可能性が求められる反面、ノートでの議論には検証可能性は求められていないのは事実ですが、改名というのは記事の重要な部分に関する事柄であるにも関わらず、改名議論では一切の検証可能性やWikipedia:信頼できる情報源が無視された議論が続き、出典皆無の個人の「思う」や「感じる」で賛成票が投じられ、賛成多数なら「改名に決定」となり、それから出典を軽視・無視した名称を案として出し、多数決で決めて「これで改名」とするのがまかり通るのはおかしいです。

  • 反対 この改名提案は『遠野学』を見るだけで、最初から全く無駄な議論だったと理解できるであろう。2013年4月3日にあまりの無益さに議論中断のお願いをしたが、その際に
もちろん『かくかく』という出典では「しかじか」として書かれており、それは『遠野学』の Kamado Jiko 表記より信頼がおける物である。さらに『なになに』という出典にも「しかじか」と書かれている。よって Kamado Jiko は「しかじか」に改名すべき、といった議論がなされるのでしたら価値がありますので
と書きましたが完全に無視されており議論を重ねる価値が無い。未だ何に改名するのか出典の裏づけと妥当な説得力のある案も出されておらず、「Kamado Jiko はおかしいと感じる」「改名すべき」的な主張が繰り返されているに過ぎない。何に変えるのかの方向性も無く、訳もわからず「とにかく改名」と決めて次に「さあ何に変えようか」で多数決で決めるのであろうからこれほどの改悪には賛成のしようが無い。
『遠野学』の創刊号を図書館で借りる場合、関東だと埼玉県なら所沢市、千葉県なら松戸市、東京なら武蔵野市が蔵書しているのでリクエストすれば良い。近畿では大阪・京都には蔵書していないが、兵庫県は福崎町が蔵書。その他は各自カーリルローカルで検索されたい。在住・在勤の道府県に蔵書していなくても、若干費用はかかるがhontoで注文すれば1-3日で届くとの事。この程度で出典が入手不可能と考えたり、最初から出典を調べる意欲も無いのに、出典に基づいて決定した記事名称に対し改名に賛成するのは信頼できる情報源のガイドラインに外れる行為である。反対しなければ改名、のような話になりかねなくなったので改めて反対票を投じます。--114.180.131.173 2015年2月14日 (土) 06:52 (UTC)
コメント 「暫定でいいじゃないか」というのは他の賛成派へのメッセージですので、IP様のお考えには干渉しません。表向き「現行記事名での継続」が同じであれば何も問題ありません。--Triglav会話2015年2月14日 (土) 12:34 (UTC)
コメント だったら改名に「賛成」の意思表示は何だったのですか。IP氏も言うところだけれど、資料にあたりもせず、最初の改名提案者以来の「おかしいとおもう」程度でしかない理由で記事に容喙するのははっきりいって記事の品質にとって有害なだけでなく、まともに資料を調べて記事を書こうとする利用者をバカにした行為でしかありません。そういう風に議論とも呼べない議論をふっかけて、まともな利用者を疲弊させる自由なんてものは、ウィキペディアの「自由な」のどこにも含まれていないものと思ってたんですが、ちがうんですかね?
だいたい、「おれ、おかしいとおもう」程度の噴飯モノの理由で口出しをした挙句、記事もろくに読んでいなければ資料ひとつ読んでいないことを露呈させられて、退散させられたのに、誰かが(またもやイイカゲンな)「賛成」と言ったとたんに現れて、意見も表明せず(恥じ入る気持ちがあるのですかねえ?)改名しちゃえばとかのたまう。これ、もう自分の議論の破綻を突かれたことへの逆恨みでしかないでしょうに。こんなのが出没して大きな顔をするようでは、ウィキペディアにとって有害極まりないですね。
それどころか、痛いところを疲れた途端に他人の会話ページにやってきて、他の人と意見がちがうから意見を変えろとか言ってくる。議論と同調圧力の区別がつかないなら、議論をしないでくれませんか。だいたい、現行の記事名を是とするべき論拠はIP氏によってさんざん示されており、何も付け加える必要もないのに(そして自分は改名すべき根拠をちっとも出せないくせに)、お前が根拠を出せとか、もうただの言いがかりでしょ。もういいかげんひっこんだらいかが?--ikedat76会話2015年2月14日 (土) 13:19 (UTC)
コメント そもそもTriglavさんが上で投じた賛成票は無効票ですね。Wikipedia:改名提案には「合意の形成に至らない状態で、議論停止から1か月経過した場合」には「議論の終了とみなします」と明記されているのですから、すでに終了してかなりの期間が経過している議論への賛成票は改名への効力など持ちえません。仕切り直しなら、Wikipedia:ページの改名の手続きを改めて踏むべきですが、その形跡も全く見られません。である以上、効力を持たない票への反論はそもそも必要でなく、無効票への反論がないことをもって「やっていいんじゃないですか」というのは暴論だろうと思います。
というわけで、そもそも現状では改名提案が再提起されたと見なせる状況にありません。
仮に再開されたとしてもIP氏の説明とぱたごんさんの調査(追認)は十分に説得的であり、よほどの論拠が提示されない限り、改名する必要性は無いと思います。--Sumaru会話2015年2月14日 (土) 13:23 (UTC)
コメント書くの忘れた、と思ったらWikipedia:改名提案の件、Sumaruさんが書いて下さっていました(ありがとうございます)。で、ついでなので初代改名提案者が私の会話ページに残していった恫喝の差分。他の人は賛成と言ってるんだから、お前も賛成しろなんて一体何を言っているのだか。合意形成が同調圧力のことになったなんてついぞ知らんのですが。それに記事をろくに読みもせず、資料を調べもしてないことを明らかにされて恥をかかされた当人が、いったいどの面さげて他人に根拠をだせとかよく言えたものです。かえすがえすもこんなのが大手をふって跋扈するようでは、まともな利用者がバカを見ます。かんべんしてほしいですね。--ikedat76会話2015年2月14日 (土) 13:39 (UTC)
Ikedat76様、Sumaru様ありがとうございます。いい忘れましたが、IP様にお手間掛けさせてしまったこと申し訳なく思っています。大変失礼しました。--Triglav会話2015年2月14日 (土) 13:46 (UTC)

立項後の編集に関して

この記事を「守り抜くぞ」というつもりではないのですが、

  • タクナワンさん、写真の追加をありがとうございます。私も三つ石かまどの写真を追加しようかと考えた事もありましたが、結局は省きました。省いた理由ですが、
  • Kamado Jiko の写真があれば解り易くて良いのですが、著作権的に使用できる写真が見つからないので、それはできていない
  • Kamado Jiko 以外の写真が多いと、解り難くなるかなと思った。(例えばロケットストーブの写真ならありますが、こういった調子で写真が増えると、どうかなと思いました)
  • ただし三つ石かまどの写真は、載せるか載せないか迷っていたのも事実
ですので、載せる方が判りやすいと読者の便宜を考えて編集してくださった事も考慮し、写真を載せる方向に考えを変える事にしました。さて、写真の選択ですが、
  • 三つ石かまどなら en:Cook_stove#Three-stone_cooking_fire にある左の写真の方が、燃料の無駄というのが判りやすいですが、グアテマラの写真になってしまいます。
  • 一方、右の写真はケニアではないもののエチオピアの写真なのでイメージが掴みやすいと思いますが、石が3つではないですね。4つは見えます。裏にも1つあるかもしれません。
  • と思ったら、左の写真も良く見ると石が4つある感じですね。(私がこだわり過ぎなんでしょうか)
  • どちらの写真もフラットブレッドを焼いており、これは Kamado Jiko では(少なくとも良い熱効率では)調理できない料理です。ケニアはウガリが主食なので、フラットブレッドが焼けるかどうかは重要ではないので別に問題は無いのですが。ちなみに、かまどが地域によってバリエーションがあるのは、その地域の主食が異なるためです。日本であれば、ご飯が炊けなければ防災用のかまどを名乗る事もできないでしょう。一方、中米ではトルティーヤが焼けなければ使い物になりませんが、ご飯が炊けるかどうかは考慮されないでしょう。フラットブレッドを高効率で焼くとなるとHow to Make a 16 Brick Rocket Stove(動画)などになり、一方、便利に焼くとなると、“Test Results of Cookstove Performance (PDF)”p.24-25 の Justa Stove さしずめ薪燃料型鉄板焼きのようなタイプが良いかと。Justa Stove はAppropedia:Justa stoveにも情報があります。
  • 「原始的」という表現は問題があるかと思います。(en:Primitive cultureには Describing a culture as primitive is considered by many to be offensive. とあります) 三つ石かまどは、低効率で使用される事が多いものの、フラットブレッドもウガリもご飯も煮込み料理も作れるという点では万能です。それに、“Design Principles for Wood Burning Cook Stoves”p.5 に

    Dr. Grant Ballard-Tremeer and Dr. Kirk Smith were foremost among those who found that the three stone fire could be both more fuel efficient and cleaner burning than some “improved” cook stoves.

    とあり、一概に言えません。熟練者が操作した場合の三つ石かまどに負けるのに”改良”を自称する薪ストーブもあるので。
長たらしくなりあましたが、写真はどちらも優劣がつけがたいので、タクナワンさんの写真のままで、説明はオリジナルの説明を訳した「エチオピアのゴンダールで女性がインジェラを焼いている所」とし、場所は記事バランスの関係で「他ストーブとの比較」の所に移動させていただきました。
  • 61.86.139.79 さん、スタイルの修正をしてくださりありがとうございます。
  • 雪融さん、追記ありがとうございます。ところで、追記なさった「このかまどは隙間が多く、熱が逃げやすくなっており、使い続けるには大量の薪が必要であった。この薪を確保するため、ケニアでは、毎年多くの森の木々が失われ」のような事は、「環境を考える経済人の会21」の資料の中で岸田袈裟さんは述べていませんが。私の文面は少し言葉がぎこちない箇所もあろうかと思いますが、ここは出典を元に事実を書いていますので、「作文」をするわけにはいかないのです。どうか、ここの箇所の元の資料はPDFで読めますので、そちらをご覧になり、追記されるのであれば内容を把握した上で、事実だけを記載願います。雪融さんは、三つ石かまどは隙間が多く熱が逃げやすいから大量の薪が必要になるのは当然のことだと思われたのでしょうが、これは『エンザロ村のかまど』などをご覧いただければ解るのですが、エンザロ村は粘土が容易に手に入り、家も粘土で作れるという事情があり、調理は土や粘土の壁がある台所で行われますので(雨や風が吹いたら料理できない、という事はないです)屋外で三つ石かまどを使う場合と異なり、熱が風で流れて効率が落ちる、に関しては、生じないかと思います。Kamado Jiko#他ストーブとの比較の、2番目以降の条件の方が大きいかと思います。雪融さんは新人さんですか。これからも頑張ってくださいね。私からは「よく調査さえすれば、自ずと良い記事が書けます」とお伝えしておきます。
  • Ikedat76 さん、リバートおよび改名に反対してくださってありがとうございます。

以上です。よろしくお願いします。--210.253.249.67 2013年3月24日 (日) 13:20 (UTC)