ゴンダール

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ゴンダール

ゴンダールアムハラ語:ጎንደር、英語:Gondar)は、エチオピアアムハラ州にある都市。1632年~1855年にかけて、エチオピア帝国首都だった。タナ湖の北東に位置し、標高2000-2200メートル、人口は26万5000人(2013年)。エチオピア最初の定住首都としてファシラダス帝により建設される。地形に対応してさまざまな住区が広がり、ソロモン朝ゴンダール期に建設された3つの王宮群が現存する。その中でも最大級の王宮群であるファジル・ゲビには歴代の皇帝が建設した6つの宮殿や12ヵ所の城門が残されている。それらは、1979年にユネスコの世界遺産に登録された。

ゴンダールの建設については諸説あるが、父帝スセニョス1世がイエズス会の影響下にカトリックに改宗し、それが国内諸勢力の反乱をひき起こしたことを受け、1630年に皇帝に即位したファシラダスがエチオピア正教への復帰と帝権の強化をめざして新たな都の造営事業を開始したという点では見解が一致する。王宮ファシル・ゲビの建設はポルトガル人やインド人工匠の参加を得て1632年に始まり、半世紀後のイャス帝の頃には、エチオピア人の工匠が独自に造営工事ができるまでになった。このようして生まれたゴンダールは、ヨーロッパの王宮都市とは大きく様相を異にし、王宮群の周囲に諸侯を集めながらも、その軍営がそのまま居住区に発展するかたちをとる。加えて、エスニシティによるゾーニングが基本とされ、低地にはムスリムの居住区、町外の谷間にはユダヤ人(ファラシャ)の居住区といった具合に全体として分散した街並みを形成した[1]。17世紀後半から18世紀初頭にかけてのイャス帝の治世が最盛期とされ、18世紀中期には紛争が続いたことで衰退が始まる。1855年に皇帝テウォドロス2世がデブラ・マルコスに遷都することで帝都の地位を失い、皇帝勢力からの二度にわたる攻撃、スーダンのマハディストの略奪で人口の多くが街を去った。1936年~1941年のイタリア占領期には、イタリア領東アフリカ帝国アムハラ州の州都としてコロニアルな都市計画が実施に移される。1974年に発生したエチオピア革命により停滞。現在はエチオピアを代表する観光地として知られている。

1991年の社会主義政権崩壊後、農村部からの人口流入が著しく、またスーダンからの石油輸入路の中継地として発展が見込まれたことから、2000年より中心部の歴史的街区の保護と周縁部の新市街地整備を骨子としたマスタープラン改訂事業が行われ、慶應義塾大学がアジスアベバ大学と共同してその作業を担当した[2]。世界遺産とスラムが混在する街並みについて新たな歴史環境保護の整備指針が議論されている[3]

参考文献[編集]

  • Riicih Miyake + Rumi Okazaki + Moe Hirohara "A Study on the Living Condition and the Housing Problem in Central Gondar" 藤女子大学紀要、第48号、第II部、pp. 23-33、2011

関連作品[編集]

関連項目[編集]

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