ノート:赤塚不二夫

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別称について[編集]

漫画を描くことを「執筆」なんて言いますか? 引っ越すことを「転移」なんていいますか?Ypacaraí

漫画を執筆するという表現はよく見る[1]し問題ないと思います。文章だって本当に「筆を執っ」ていたのは江戸時代までですし。転移は移転の間違いでしょうか。mononohazumi 2005年12月29日 (木) 11:40 (UTC)[返信]

出生地は現・中華人民共和国熱河省?[編集]

中華人民共和国の現行省・区には熱河省はありません。どなたか、河北省承徳市)、遼寧省朝陽市)、内モンゴル自治区赤峰市)のいずれかをハッキリさせることはできませんか?--218.110.18.90 2008年8月2日 (土) 13:13 (UTC)[返信]

現のほうだけ“熱河省”を削りました。現在のどこにあたるかは、裏づけがとれたら追記、でよいかと思います。また、“戸籍上は新潟県出身”は“本籍地は新潟県内”に改めました。(本籍地は可変ですから、記載不要かという気もしますが。)
Web に掲載された訃報(日本語)では、読売毎日朝日中日日経、が「中国東北部-旧・満州 生まれ」でそろっているようです。また、
このブログウィキペディア本記事が名指しされている)にある、本人著「これでいいのだ」※ を参照したと称する情報で、
  • 「正確にいうと承徳から西へ直線距離で70キロほど行った古北口(北京市東北部)生まれ」
  • 「戸籍謄本から見ると、満州国熱河省灤平県古北口古城裡22号において出生」
となっています。この情報が同著から正確に引用されたものであれば、戸籍上も(新潟県ではなく)満州国熱河省で出生とされていたことになります。 ※発売=1993年08月、出版=日本放送協会、ISBN-13=978-4140801192、ISBN-10=4140801190。--Dumpty-Humpty 2008年8月10日 (日) 18:16 (UTC)[返信]
なお、「戸籍上は○○出身」は、あいまいな表現です。○○が次のAからCのいずれであるか、はっきりしません。
  • Aで生まれ、Bで提出された出生届が受理され、本籍地(可変)はC。
一般に「出身地」と言うと、出生地とは区別して、「出生直後から長期間、暮らしたところ」(Dとします)と解釈されるかと思います。このAからDの管轄行政区・市区町村が一致しない場合はありえます。また、かりに互いに異なる市区町村でも、現行制度では出生届・戸籍記載は可能です。--Dumpty-Humpty 2008年8月10日 (日) 18:16 (UTC)[返信]

「法名」解説へのリンクと宗派[編集]

標記の件、「リンクを削除し宗派は記載しない」状態にしておきましたが、よい方策を思いつきません後日、法名で「戒名」にリンクするよう変更しました。

  • 「法名」のリンク先記事が法名 (浄土真宗)でしたので、リンクを削りました。現在の版別の意味(本来の意味)の「法名」の解説記事です。
  • また、通夜・告別式が行われた寺院は真言宗豊山派だそうです。寺院名は文中では伏せられていますが一般に公表されており、宗派について誤認を招く可能性があります。
  • 戒名へのリンクも考えましたが、現在の版において、正式には「法名」と呼ぶ宗派として浄土真宗だけ名前が挙がっており、同様な誤認を招く可能性があると判断しました。
  • 同寺院の宗派をあえて「真言宗」などと記載すると、赤塚さんや遺族とその宗派との関連を憶測させる可能性があります。
  • 現在ウィクショナリーには「法名」や「戒名」の項目が見つかりません。

というわけで、「同寺院-異なる宗派 や 赤塚家-特定宗派 の関連付けを避けながら、法名の解説にリンクする」方策を思いつかず、今回の措置とあい成りました。--Dumpty-Humpty 2008年8月10日 (日) 19:32 (UTC)[返信]

  • (コメント)赤塚不二夫の葬儀が営まれたと報道されている宝仙寺のページに2008年7月10日 (木) 14:43の版まであった節「当寺で葬儀が執り行われた著名人」のリンク先のページには、確認時点で法名という表記があるページはなかったが、戒名という表記は塩沢兼人中島忠幸南風洋子越路吹雪にありました。(いずれも「戒名」の部分はリンクになっていた。)また「宝仙寺 葬儀 宗派」の検索でヒットした一番目のページには「●本堂は檀家のみ●葬儀形式 : 仏教、神道以外禁止」とありました。(一番目以外のページにも「対応不可能宗派:なし」とありました。)つまり「宝仙寺では(本堂でなければ)真言宗豊山派以外の宗派の葬儀も営まれる」ということだと思います。(自分は葬儀や宗派に関して詳しくないのですが、本堂とは別にある葬儀場のような場所なら、檀家以外や別の宗派でも使用可能な場合が多いのではないでしょうか?)--ぬまぶくろう 2008年8月11日 (月) 15:02 (UTC)[返信]
    調査お疲れさまです。法名で「戒名」にリンクするよう変更しました。「ヒットした一番目のページ」を開き、PCに残った構成ファイルの最終変更日時(この葬儀屋サイトが幽霊(ーー;)になっていないかの目安)を見たら、本年 6月でした。最近の情報であると期待されます。「戒名か法名か」は、各社報道にあわせ「法名」にしました。--Dumpty-Humpty 2008年8月13日 (水) 00:45 (UTC)[返信]

政治家発言紹介上の制限[編集]

赤塚さん訃報を受けた、現職衆議院議員の一人による発言が単独で、引用つきで紹介されていました。下に示すWikipedia 方針にそぐわないという判断から、発言引用と議員以外の肩書きを削除して脚注化し、発言があった事実と同人を扱った記事項目へのリンクに変更しました。

赤塚さんとの関連が低い人物であることから、記述位置も葬儀の記述の後ろにしましたが、こうした発言を紹介すべきかどうかもふくめ、議論の余地があります。

--Dumpty-Humpty 2008年8月13日 (水) 19:09 (UTC)[返信]

赤塚を政治的に利用しようとした発言、例えば「天才バカボンに出てくるすぐに発砲するお巡りさんは、なんでもとりあえず反対する今日の野党の国会運営を予見し批判したものだった。無責任な野党には『実は反対の賛成なんじゃないの?』と申し上げたい」といったものならばともかく、当たり障りのないコメントですから、そこまで目くじら立てなくてもよいのではないでしょうか。政治家の政治的発言ではなく、漫画好きで知られる有名人の型どおりのコメントと捉えてもよいのでは? なお鍵括弧内は例として作文したまでで、麻生太郎の意見でも私の意見でもなく、麻生ならこう言いかねないと私が思っているわけですらありません。仮にこんな発言だったとしたらウィキペディアに相応しくないという例に過ぎません。 --モノノハズミ 2008年8月14日 (木) 22:45 (UTC)[返信]
――と思いましたが、別の意味で掲載すべきでないかもしれませんね。こんな型どおりのコメント、わざわざ載せるだけの価値があるかどうか。--モノノハズミ 2008年8月15日 (金) 05:04 (UTC)[返信]
そこなのだ。問題発言でないのが問題なのだ。サブリミナル効果みたいなもので、どうっていうことないコメントだから、聞いたほうも特に意識して反応するかどうかという程度で、むしろ「漫画好きな有名人某のコメント」ということに注意が向き、次に某の名を聞けばこの発言を思い出す、次に漫画の話題を聞けばこの某を思い出す、となって、有名人某のPR効果を生じる。その有名人某が現役政治家であれば、「政治家某」のPRにつながる。「そもそも、漫画好きだからといって、そんな型どおりのコメントを出す必要も無いのに」ということに気が付いたときには、「漫画好きな政治家某」というアピール情報が記憶に格納されている。-というわけです。実際、あまり有名でない政治家とかがPRに、印象はいいけど活動理念と直結しないキャッチ・コピーやマスコット・キャラクターを使っていること、あるでしょ。Wikipedia が片棒をかつがないためには、今回ぐらいに慎重なほうがいいかと思いまして。ところでモノノハズミさん、作文、笑いましたよ。もちろん、うすら笑い。--Dumpty-Humpty 2008年8月24日 (日) 14:44 (UTC)[返信]
横から失礼。政治家もそうですがタモリの部分も「来歴」にはふさわしくないのではと思っています。来歴というのは、赤塚不二夫「が」何をしたかを明記する場所であって、死後に本人以外の人物が何を言ったとかは「エピソード」になるのではないでしょうか?--Cathkidston 2008年8月24日 (日) 16:10 (UTC)[返信]

日本語として表現が足りない部分について[編集]

「闘病生活・晩年」節の「1987年(昭和62年)、多忙を極める中アルコール依存症に陥っていた赤塚のサポートを、別れた最初の妻・登茂子が勧めたことにより、眞知子夫人と結婚。」の部分ですが、必要な語句が抜けてる様に感じました。読めば「…赤塚のサポートを眞知子がしていた。」と分かるものの、語句が不足している様に感じます。瑣末な事ではございますが、「~多忙を極める中アルコール依存症に陥っていた赤塚のサポートをしていたのが眞知子であった事もあり、眞知子夫人と結婚。別れた最初の妻・登茂子も結婚を勧めていた。」など(これは例えです)、適切な表現に置き換えては如何でしょうか。記事を執筆なされた方の書き忘れ程度だとは思うので重箱の隅をつつく様な提案でまことに恐縮でございますが、ご一考下さい。--ScriptDebugger会話2012年4月9日 (月) 01:58 (UTC)[返信]

よこたとくおとの出会い[編集]

長谷邦夫さんの「漫画に愛を叫んだ男たち」によると、赤塚さんとよこたさんの出会いは、「漫画研究」誌の集会でそのあとで赤塚さんたちに誘われて「墨汁一滴」に参加したとなっています。現在のwikipediaの記述と順序がちがうのです。他の文献にはよこたさんの「墨汁一滴」参加が先なのでしょうか?よろしければお教えください。--びーさく 2014年9月14日 (日) 02:11 (UTC)

分割提案[編集]

藤子スタジオ石森プロと同じような感じで「フジオ・プロダクション」をフジオ・プロダクションに、手塚治虫の作品一覧藤子・F・不二雄の著作一覧と同じような感じで「作品リスト」「「赤塚不二夫」本人、および赤塚作品について論じた書籍」「主な出演番組」「俳優として出演した映画作品」「企画参加した映画作品」「テレビドラマ」「監督作品」「CM出演」を赤塚不二夫の作品一覧に分割させたいと思います。みなさんの賛同をお待ちしています。--正和会話2021年2月22日 (月) 14:42 (UTC)[返信]

チェック 提案から約3週間弱が経ちましたが反対意見がまったくなかったため分割しました。--正和会話2021年3月12日 (金) 14:57 (UTC)[返信]

引用について[編集]

記事を見ますと引用文がやや過剰のようであり、可読性を損なっているように思われます。省略しても問題ないと思われる部分は省略していこうと思いますので、妥当性などについてチェックしていただければと思います。--ねこざめ会話2021年9月5日 (日) 22:26 (UTC)[返信]

  • 『これでいいのだ - 赤塚不二夫自叙伝』(文春文庫、2008年)を出典とした引用文を確認したのですが、実際に読んでみると細部が違っていたりします。『これでいいのだ』は文春文庫版以前に、日本放送出版協会(1993年)、日本図書センター(2002年)から出版されていますので、そのどちらかを出典に使用した可能性が高いです。--ねこざめ会話2021年9月11日 (土) 15:45 (UTC)[返信]
  • 報告 調べを進めたところ、花谷正氏の2018年3月6日 (火) 17:58の編集が、二つの出典から引用した文章を再構成したものであることが確認できました。著作権侵害の可能性が疑われますので、いったん長文の引用文はすべて除去することにします。ご了承ください。--ねこざめ会話2021年9月12日 (日) 06:31 (UTC)[返信]
報告 2018年3月6日 (火) 17:58の編集ですが、武居俊樹『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』(文藝春秋、2005年、ISBN 4163670807)の64-70頁あたりの記述をベースに、一部『これでいいのだ - 赤塚不二夫自叙伝』(文春文庫、2008年、ISBN 978-4167753276)の67-68頁の記述を混ぜて、赤塚不二夫の語りを生かしながら、独自に再構成した文章と思われます。引用は改変した場合は違反となりますので、2018年3月6日 (火) 17:58‎の版から2021年9月11日 (土) 16:08‎の版までの、版指定削除依頼を出すことになるかと思います。2018年3月6日以前の版も調べたのですが、2015年5月4日 (月) 13:28‎の編集で、花谷正氏が昭和57年の読売新聞を出典とした引用文を追加されていますが、これが確認できていません。それ以外はたぶん大丈夫です。--ねこざめ会話2021年9月12日 (日) 09:48 (UTC)[返信]
報告 花谷正さんの会話ページに報告しておきました。削除依頼の提出は返答を待ってからにしようと思います。しばらく待って反応がないようでしたら削除依頼を出します。--ねこざめ会話2021年9月12日 (日) 10:07 (UTC)[返信]
報告 10日ほど待ちましたが反応がありませんでしたので、これから削除依頼提出の手続きに入ります。--ねこざめ会話2021年9月22日 (水) 10:01 (UTC)[返信]
報告 議論の結果、版指定削除となりました。--ねこざめ会話2021年9月30日 (木) 16:22 (UTC)[返信]