ニコラス・ウィントン

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ニコラス・ウィントン(2007年)

サー・ニコラス・ジョージ・ウィントン(Sir Nicholas George Winton、1909年5月19日 - )は、大英帝国勲章(MBE)の叙勲者。第二次世界大戦がはじまる直前、ナチスドイツによるユダヤ人強制収容所に送られようとしていたチェコのユダヤ人の子どもたちおよそ669人を救出し、イギリスに避難させるという活動、別名チェコ・キンダートランスポートという活動を組織したイギリス人。当事の新聞記事に、ウィントンがイギリスに送られる孤児を胸に抱いた写真が、「勇敢なる笛吹き男」の名で掲載されたことがあるが、近年では「イギリスのシンドラー」ともいわれる。

業績[編集]

彼は、ロンドンに住むドイツ系ユダヤ人の両親のもとに生まれる。両親ともキリスト教で受洗、非宗教的な家庭に育つ。彼は株式仲買人の仕事をしていて、労働党左派の活動家と親交があり、早くからヒトラーの政策の行く末に疑問を抱いていた。

1938年のクリスマス休暇に彼はスイスにスキーに行く予定をしていたが、イギリスのチェコ難民委員会の女性から、ドイツのチェコ進攻の予想とそれに対する難民の救出活動で人手が足らないという連絡だった。そこで彼は、スイス行きを取りやめ、プラハに向かい、成人の救出で手いっぱいで、子どもの救出に手が回っていないことを知るや、イギリスにとって返し、内務省の許可を得て、イギリスで子どもたちの里親や身元引受人を探して、子どもをイギリスに避難させる一大キャンペーン活動を開始した。イギリス政府が行ったドイツからのキンダートランスポートと比べて、このチェコからのものは、組織的な資金が得られず、そのため公的な機関であるかのような団体名を名乗ったり、危ないこともして、時には子どもの出生日時を偽装するようなこともして子どもたちの救出のために奔走した。1939年3月14日から8月2日までの間に、669名の子どもたちをチェコから脱出させることに成功したが、次の9月3日に出発予定だった250名の子どもたちは出国できなかった。開戦後は、ウィントンは赤十字に参加し、フランス国内で難民支援の仕事に携わりキンダートランスポートとの関わりはなくなった。

彼によって救出された著名人[編集]

栄誉[編集]

ウィントンの家族の出自はユダヤ系で、したがって、彼はイスラエルのヤド・ヴァシェムの諸国民の中の正義の人に名を挙げられることはない。ユダヤ人にとって彼は同胞であって異邦人ではないからである。しかし、それが彼にとって残念なこととはならなかった。彼は、自分のやってきたことを格別評価されるべきことであると捉えていなかった為である。 [1]彼は、二度目の妻グレタが1988年、屋根裏部屋で、詳細な書類をおさめたスクラップブックを発見するにいたるまで、その人道的な業績の数々を証明する子どもたちの写真に名前や情報を書きつけた資料をトランクに入れっぱなしにしていたのである。ウィントンは、これを昔の過ぎたことだからと処分を考えたが、夫人が、子どもたちの里親の住所まで記されたその史料を子どもたちの命にも等しいものだからと押しとどめ、それがイギリスの大衆紙「サンデーミラー」社主夫人の手に渡り、同夫人がチェコ系のユダヤ人で、ホロコーストの研究者でもあったことから、当時の子どもたちとの再会へと繋がることになった。[2]ウィントンは、1998年チェコ大統領からトマーシュ・マサリク勲章を授与される。[3]サー・ニコラスは、2002年12月31日に発表された新年の叙勲リストで、騎士に叙された。[4][5]

1999年、ロンドンで、キンダートランスポートの子どもたちは、救出60周年の第二回の再会の集いを持った。ウィントンはこの会でスピーチを行った。ウィントンの業績は、スロバニアの映画監督マテイ・ミナーチによって、2本の作品に映画化された。ドラマ「みんな私の愛する子ども」( All My Loved OnesVšichni moji blízcí) (1999年)[6] がその一つで、この中ではニコライ・ウィントンをルパート・グレーブスが演じている。もうひとつはドキュメンタリで、「愛の力 ニコラス・ウィントン」(The Power of Good: Nicholas WintonNicholas G. Winton: Sila ľudskosti) (2002年)で、これは国際エミー賞を受賞した。[7] 小惑星19384ウィントンは、チェコの天文学者ヤナ・ティチャとミロス・ティチイによって、彼の栄誉を称えて命名された。[8] ウィントンは、チェコ政府に依り2008年のノーベル平和賞の候補として推薦を受けている。[9] サー・ウィントンは、イギリスのエリザベス女王が、2008年10月23日水曜日から中央ヨーロッパを4日間にわたり歴訪された期間の中で、スロベニア、スロバキアを公式訪問されるにあたり、随行した。 [10]

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参考文献[編集]

  • ヴェラ・ギッシング『キンダートランスポートの少女』未來社 2008年

外部リンク[編集]