トマス・オブ・ウッドストック

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トマス・オブ・ウッドストック

初代グロスター公トマス・オブ・ウッドストック(Thomas of Woodstock, 1st Duke of Gloucester, 1355年1月7日 - 1397年9月8日または9月9日)は、イングランドの王族。イングランド王エドワード3世と王后フィリッパ・オブ・エノーの第13子(末子)。初代グロスター公

成人したエドワード3世の5人の王子のひとりで、エドワード黒太子クラレンス公ライオネルランカスター公ジョンヨーク公エドムンドの弟にあたる。

生涯[編集]

1355年、オックスフォードシャーウッドストック宮殿で生まれた。すぐ上のふたりの兄は夭折したが、そのうちのひとりも名がトマスだった。1736年、エレノア・ド・ブーンと結婚。舅のハンフリー・ド・ブーンからエセックス伯を継承した。なお義妹のメアリー・ド・ブーンは甥のヘンリー・ボリングブルック(後のヘンリー4世)の妻でもある。1377年、22歳のときにバッキンガム伯を叙爵される。1385年にはオーマール公を叙爵されたが、これと同じ頃に新たに創設されたグロスター公を叙爵された。

トマスの暗殺

トマスは、甥でもある時の国王リチャード2世の側近政治を打破することを画策した有力貴族の一派・訴追派貴族の首領格だった。1387年末にラドコット・ブリッジの戦いで国王側近のひとりアイルランド公ロバート・ドゥ・ヴィアの軍に不意打ちをかけて大勝すると、リチャード2世はロンドン塔に謹慎を余儀なくさせられ、翌年2月にアイルランド公はじめ側近5名が反逆罪で弾劾されるとその処刑をも認めざるをえなかった。

以後手足をもぎ取られたリチャード2世は悶々とした日々を送るが、雌伏10年の後にこの雪辱を晴らす。自ら訴追派貴族を晩餐に招き、彼らがそれを当然のように無視すると、国王招宴拒否を理由に彼らに大逆罪を適用したのである。トマスは身柄を拘束され、裁判を受けるためにカレーの地で拘禁されたが、間もなく何者かによって殺害された。しかし刺客を差し向けたのがリチャード2世であることは誰の目にも明らかだったので、こうした露骨な手段で政敵を葬った国王に対してイングランド貴族の間で抗議の声が噴出、これがリチャード2世の不人気に一層拍車をかけることにつながったと考えられている。

子女[編集]

トマスはエレノアの間に1男ハンフリーとアン・ジョーン・イザベル・フィリッパの4女を儲けた。

トマスの死は大逆罪の審理中だったため、ハンフリーにはグロスター公を襲爵することが許されず、グロスター公は一代限りでいったん廃絶となった。ハンフリーにはバッキンガム伯の襲爵が許されたものの、その後2年たらずで死去している。

長女のアンは有力貴族のスタフォード伯エドムンドに嫁ぎ、後の初代バッキンガム公ハンフリー・スタフォードを儲けた。その子が薔薇戦争の時代にリチャード3世の興亡に大きく関わった第2代バッキンガム公ヘンリー・スタフォードである。

紋章[編集]

トマスの紋章

グロスター公として、トマスはボーデュアが異なる王国の紋章を使った。

関連項目[編集]

  • 『トマス・オブ・ウッドストック』— トマスを主人公とした戯曲。『リチャード二世 第1部』とも呼ばれる。作者不詳。

参考文献[編集]