スーザ

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スーザ
Susa
スーザの風景
行政
イタリア国旗 イタリア
Flag of Piedmont.svg ピエモンテ
Provincia di Torino-Stemma.svg トリノ
CAP(郵便番号) 10059
市外局番 0122
ISTATコード 001270
識別コード L013
分離集落 Castelpietra, Coldimosso, San Giuliano, Traduerivi
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 6,626 [1](2012-01-01)
人口密度 588.5 人/km2
文化
住民の呼称 segusini
守護聖人 雪の聖母マリア(Santa Maria della Neve)
祝祭日 8月5日
地理
座標 北緯45度8分0秒 東経7度3分0秒 / 北緯45.13333度 東経7.05000度 / 45.13333; 7.05000座標: 北緯45度8分0秒 東経7度3分0秒 / 北緯45.13333度 東経7.05000度 / 45.13333; 7.05000
標高 503 (430 - 705) [2] m
面積 11.26 [3] km2
スーザの位置(イタリア内)
スーザ
スーザの位置
トリノ県におけるコムーネの領域
トリノ県におけるコムーネの領域
Flag of Italy.svg ポータル イタリア
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スーザイタリア語: Susa)は、イタリア共和国ピエモンテ州トリノ県にある、人口約6600人の基礎自治体コムーネ)。ヴァル・ディ・スーザイタリア語版(スーザ渓谷)の中央部に位置する。

古代ローマ以前にさかのぼる歴史を持つ都市で、中世の歴史家ルドルフス・グラベル英語版は「アルプスで最も古い都市」と記している。古代ローマ時代にはセグシウムと呼ばれ、アルペス・コッティアエ属州の首府であった。11世紀、トリノ辺境伯を継いだアデライデはスーザに本拠を移し、サヴォイア伯オッドーネと結婚するが、これはサヴォイア家が北イタリアに勢力を伸ばす契機となった。

名称[編集]

Susa は、イタリア語・ピエモンテ語での名称である。これ以外の言語では、以下の名称を持つ。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

トリノ県西部、ヴァル・ディ・スーザイタリア語版に位置するコムーネで、渓谷の名のもとになった集落である。県都・州都トリノの西約53kmに位置する。

トリノ県概略図
ヴァル・ディ・スーザ地図

隣接コムーネ[編集]

隣接するコムーネは以下の通り。

地勢[編集]

ヴァル・ディ・スーザの谷筋をつくるドーラ・リパーリア川英語版ポー川の支流)に、北からチェニスキア川英語版が合流する。チェニスキア川流域をヴァル・チェニスキア (it:Val Cenischiaと言う。

集落[編集]

スーザの街並み 
町役場 

歴史[編集]

アウグストゥスの門

古代[編集]

この都市がいつ、だれによって築かれたかを特定するのは困難である。リグリア人英語版や、その後紀元前500年ごろに入ってきたガリア人が、もともとの住人と合流したと考えられている。

紀元前1世紀末、ユリウス・カエサルはリグリア人の王ドヌス (Donnusと戦い、のちに和約を結んで、この地は古代ローマの支配のもとに組み込まれた。ローマと地元の人々との良好な関係は、紀元8年から9年にかけて建設されたアウグストゥスの門 (it:Arco di Augusto (Susa)の建設に象徴されている。この都市はセグシウム(Segusium)と呼ばれ、アルペス・コッティアエ属州の首府となった。

3世紀には都市の周りに城壁がめぐらされたが、312年コンスタンティヌス1世の軍勢に包囲された際に焼かれている(ミルウィウス橋の戦い参照)。西ローマ帝国の滅亡(476年)により、セグシウムは衰退した。

中世以後[編集]

中世から近代にかけて、スーザは南フランスと北イタリアを結ぶ交通路の要衝として、依然として重要な役割を担った。1029年にはスーザの大聖堂 (Susa Cathedralが築かれた。

トリノ辺境伯 (March of Turinを1034年に継いだ女伯アデライデ英語版は、首都をトリノからスーザに移した(スーザ女伯などとも呼ばれる)。アルドゥイン家 (Arduiniciの最後の一人であるアデライデは生涯に3人の夫を持ったが、1046年に結婚した最後の夫がサヴォイア家サヴォイア伯国)のオッドーネ(オトン)である。オッドーネは積極的にピエモンテに勢力を伸ばしてその大半を手中にし、後年イタリア王家となるサヴォイア家が北イタリアに勢力を伸ばす契機を作ることとなる。アデライデは、オッドーネの死(1057年)の後は息子たちの摂政として振る舞い、オッドーネとの間の長女ベルタ英語版を神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世に嫁がせ、1091年に没するまで権勢をふるった。

19世紀初頭、ナポレオン・ボナパルトモン・スニ峠(モンチェニージオ峠)越えの交通路を整備し、新たな街道を開いた(現在の国道25号線 (it:Strada statale 25 del Moncenisio。ナポレオン街道 Via Napoleonica と呼ばれる)。ナポレオンはスーザに都市(città)の格を与えた。

行政[編集]

山岳部共同体[編集]

広域行政組織である山岳部共同体イタリア語版「ヴァッレ・スーザ・エ・ヴァル・サンゴーネ山岳部共同体」 (it:Comunità montana Valle Susa e Val Sangone(事務所所在地: ブッソレーノ)を構成するコムーネの一つである。

文化・観光[編集]

ローマ時代の水道の遺跡。

街の中心にあるサヴォイア広場は、古代都市の上に作られており、ローマ時代の遺跡を見ることができる。

鐘楼を持つデ・バルトロメイの館は、中世の姿をとどめている。

人物[編集]

著名な出身者[編集]

ゆかりの人物[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]

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