スカトロジー

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スカトロジー英語Scatology)とは古代ギリシア語糞便を意味する「スコール(σκωρ,属格形は σκατος で、ここより skato- の形で連結形となる)」と「談話集」などを意味する「ロギア(logia)」の合成語で、尿に対する研究・考察を言い、日本語では「糞便学(ふんべんがく)」とも言う。糞尿に関するユーモアのこと、糞尿に愛玩的な興味を持つ趣味、また性的嗜好も指す。なお糞尿趣味を指す場合はスカトロと略されることもある。これらに関係する人間を指してスカトロジストと呼ぶ。

概要[編集]

狭義のスカトロジーには、最も基本的な 「排泄」 という生物の機能に関して研究する生物学的分野、人間心理の研究における観察と考察を重ねる哲学心理学的な分野と、糞便にまつわる文化・芸術に関して研究する社会学的な分野、更には各々の文化圏と糞便のあり方を観察・分類する文化人類学民俗学上の分野など多岐に渡り、「生命とは何か、人とは何か?」という最も根源的な命題を糞便にまつわる事象・現象・心理を探求することによって得んとする物である。

広義のスカトロジーは「糞便を通して享楽を追求する」という、「特殊な性癖」によって行われるモノ・行動である。勿論、知識も人間に享楽を与え得る物である以上、狭義のスカトロジーも広義のスカトロジー同様に、快楽主義的な欲求に基づく物であると考える向きもある。なお糞便愛好に関しては糞尿愛好症の項を参照されたい。

生物学とスカトロジー[編集]

特定の動物を研究する上で、糞便尿は、その生物を知るために欠くことの出来ない情報を含んでいる。食性から体機能、果ては習性や本能的な行動に到るまで、糞便から学べる物は多い。また医療分野においては、排泄物は健康状態を知る上で、身体表面の見た目上の色つやに次いでもっとも得やすく、また多くのことが分かる資料である。古代生物学においては、既に死滅した生物の残した糞便の化石から、食性や習性などが判明している。

人間心理とスカトロジー[編集]

人間にとって糞便や尿は、日常的に目にする物であると共に、衛生面から見て決して好意的には語られない物であるが、人格形成においては、幼児期の最も基本的な社会性の教育過程である排泄訓練を通して、個人の秘密や主体性の確立といった自我の成長を遂げる。

個人や自我という概念は、他人と自身の間にある種の意識面における敷居を設け、自分だけの秘密を持つことから始まるが、排泄行為とは、排泄物を個室にこもって出し、自分で処理(水洗便所においては、排水することで下水などに流す作業)することで、世間一般の社会から自分の排泄物を隠す作業に他ならない。ゆえにこれらの行為を通じて、人は世間に対して、一定の秘密を持つことになる。結果、排泄訓練教程を終えた児童は、等しく自己と他人の存在を意識し、自我とその他の間に境界を築き始める。

その一方で、排泄行為やそれら生理現象によって派生する事態は性別の区別無く、的な発育段階においては様々な偶発的事件により、性的興奮を覚える切っ掛けになることも多く、自身の放尿や排泄行為に性的な快感を覚える者や、他人のこれら行為に性的興奮を催す者も少なくは無い。特に排泄行為は最もプライバシー上で他人に侵されることの厭われる物であるため、ある種の支配欲の変形として、他人のこれら行為を見たがる者もある。

社会学とスカトロジー[編集]

糞便にまつわる文化・芸術面での活動は、しばしば「不潔で下賎な物」とされるが、人格形成において排泄行為の及ぼす影響から鑑みれば、決して軽んじることが出来ない。中には感情面での激情を、糞便の意外性を持って表現せしめる芸術活動も存在し、またこれら傾向は文学や、もっと大衆的な漫画の表現上においても見出すことが出来る。

スカトロジーと文化芸術[編集]

「スカトロジー的表現」は文学や美術でしばしば扱われる。フランソワ・ラブレーマルキ・ド・サドなどの作品には糞や尿がきわめてよく現れ、それらが重要なモチーフになっている[1]し、漫画絵本には「トイレット博士」や五味太郎の「みんなうんち」など糞尿そのものやスカトロジー的表現を中心にした作品が少なくない。

また既存の価値観や形式の破壊を極度に目的化するために過激化しやすい前衛美術には、糞を模したり糞そのものを加工した作品、糞を用いたパフォーマンスがよく登場する。人糞そのものを用いたもっとも有名な作品はピエロ・マンゾーニの「芸術家の糞」である。これはマンゾーニ自身の糞を「30グラム、自然保存」とラベルが貼られた金属製の缶詰に封印し、その日の30グラムの金の相場で価格をつけたもの。また日本でも、森山安英が糞をマッチ箱につめて道行く人に配るというパフォーマンスをしたことで知られている。

文化人類学・民俗学とスカトロジー[編集]

糞尿の…というより、それらの処理に関しては、様々な文化圏において、多種多様な方法が存在する。現代の日本においては、これら糞尿は水洗便所をもって社会から隔離され、人目に触れないように処分される地域も多いが、一部地域では汚水升に溜めた物を専用の車両を使って回収し、処分場に運搬している。また各家庭浄化槽を配置し、それらの設備を使って各戸で細菌により処理させているところも多い。しかし近代[いつ?]までは、これら屎尿は貴重な農耕肥料としての資源として扱われ、江戸時代においては金銭で売買(金肥)されることもあった。屎尿にも等級があり、最上等は武家屋敷のもの、最下等は牢屋のものであったという。

今日の先進国と名の付く国々では、食糧生産にこれら人間の屎尿をあまり用いなくなった事情から、軒並み人糞の価値は廃棄物扱いだが、場所によっては家畜や水産養殖の飼料として、トイレをそれらの施設に併設する所もある。

経済発展のバロメーターとしても捉えることが出来るが、地域の気候風土によっては、他地域で取られている処分方法が用いられないこともあり、それらの扱いにおける差異も含めて、便所という設備を地域性に絡めて研究する者も多い。特に便所という施設に於いては、地域性が色濃く出ることもあり、便所を見れば国民性や社会の情勢が分かると言う人もいるほどだが、考古学の分野ではトイレ遺構のように当時利用されたトイレの遺跡より、そこに住んでいた者の暮らし振りや健康状態などを推測することが可能な、様々な情報が得られている。

広義のスカトロジー[編集]

糞尿に愛着すら覚える特殊な性癖を持つ者を、糞尿研究者同様にスカトロジストと呼ぶが、前者が極めて個人的な趣味嗜好であるのに対し、後者は純然たる研究者である。しかしいずれにせよ、同物品(糞尿)を極めることが最終目標である以上、(やや社会差別的な意味も含めて)世間一般にあまり区別されないこともある。

なお広義のスカトロジストにおいては、尿にのみ興味を覚える者や、極限まで排泄を我慢することで排泄時の快楽を追求する者、前出の他人の行為に性的興奮を催す者など、様々な系統が存在し、それらが密接に関係しあって、多様なスカトロジスト文化を形成している。

著名なスカトロジスト[編集]

  • ジークムント・フロイト
    • 近代心理学の父とされるフロイトは、人間精神の発達や人格形成の段階において、排泄行為が欠くことの出来ない要素であるとした。肛門期と呼ばれるこの期間には、排泄行為のセルフコントロールにより、欲求の抑制とさらなる快感の増大を通して自己抑制の学習、さらには性欲の萌芽が見られるとしている。
  • ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
    • 著名なクラシック作曲家として知られる彼は、従姉妹に排泄の快楽がらみの手紙を送ったことがあり、尻にキスをしろという歌曲も作曲している(『俺の尻をなめろ』K.231(382c))。当時の時代背景として、中世キリスト教会の建前であった身体的快楽否定からの表現の自由が知識人達の間で模索されていたという文化事情も考慮すべきであろう。排泄欲も、当時の時代背景からは、食欲・性欲などと同列視されていた肉欲の1つであったのである。

脚注[編集]

  1. ^ 例えばミハイル・バフチンが、ラブレー作品における糞のイメージを分析している 「フランソワ・ラブレーの作品と中世ルネッサンスの民衆文化」川端香男里訳、せりか書房、1980年

参考書籍[編集]

関連項目[編集]