サン・ボイ・デ・リョブレガート

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Sant Boi de Llobregat

Flag of Sant Boi de Llobregat.svg   Escut de Sant Boi de Llobregat.svg

Església de Sant Baldiri.JPG
カタルーニャ州
バルセロナ県
面積 21.48km²
標高 30m
人口 82,428人(2009年)
人口密度 3,837.43人/km²
住民の呼称 santboià, na
Localització de Sant Boi de Llobregat respecte del Baix Llobregat.svg

北緯41度20分45秒 東経2度2分30秒 / 北緯41.34583度 東経2.04167度 / 41.34583; 2.04167

サン・ボイ・ダ・リュブラガートカタルーニャ語Sant Boi de Llobregat 発音: [ˈsam ˈbɔj ðə ʎuβɾəˈɣat])は、スペインカタルーニャ州バルセロナ県の都市。カスティーリャ語による表記はSan Baudilio de Llobregat(サン・バウディリオ・デ・リョブレガート)。

地理[編集]

リュブラガート川の氾濫原にある。バルセロナ都市圏を構成する都市のひとつである。

歴史[編集]

サン・ボイに定住地ができたのは紀元前6世紀頃である。5世紀頃まで、サン・ボイ周辺には海が迫っていたため、繁栄していた。ローマ時代の公共浴場跡もある。サン・ボイではワイン用のアンフォラが製造され、遠くローマへまで売買されていた。

サン・バルディリ教区教会(Sant Baldiri)周囲に定住地があったことは9世紀から記録されている。バルディリは、フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス帝時代にニームで殉教したキリスト教の聖人の名である。バルディリの名に関連した地名にも関わらず、中世から村の名はSant BoyまたはSent Boyと記録されてきた。Boiは現代カタルーニャ語の表記である。

アラブ人支配は7世紀から12世紀まで続き、バルセロナ南部のリュブラガート川氾濫原にある都市はアルカラ(Alcalá、アラブの城)というアラビア語名で呼ばれていた。リュブラガート川以北が、アラブ人支配を約100年受けた後キリスト教国軍のレコンキスタによって取り戻されカタルーニャ・ベリャ(Catalunya Vella、古カタルーニャ)と呼ばれたのに対し、その後数世紀にわたってアラブ人支配下にあったサン・ボイを含むリュブラガート川以南は13世紀以降カタルーニャ・ノバ(Catalunya Nova、新カタルーニャ)と呼ばれ区別された。

キリスト教徒の再植民が進むと、サグレラとアルロビナの2つの地区が生まれた。サン・ボイが建設され始めた近代にはすでに、2つの地区に多くの農場ができていた。18世紀にはカプチン会の修道院、1752年にはバロック様式の教区教会が建てられた。1900年のサン・ボイは、バッシ・リュブラガートで最も人口が多く、約5000人が暮らしていた。1935年には人口が10,000人を超えた。

スペイン内戦においては、開戦から敗戦まで終始共和派に従った。フランコ独裁が始まると、都市名は宗教色を廃したビラボイ(Vilaboi)に変えられた。その後カスティーリャ語名のサン・バウディリオ・デ・リョブレガートにされたが、カタルーニャ自治州創設後に公式名はカタルーニャ語のサン・ボイ・ダ・リュブラガートとなった。

フランコ独裁時代にはスペイン各地(現在のアンダルシア州エストレマドゥーラ州アラゴン州カスティーリャ・イ・レオン州ガリシア州などの地域)の田舎からの移住者が多く移り住み、1975年の人口は65,000人に達した。この急激な人口増加に応じて1960年代に次々と集合住宅地区が生まれたが、事実上スラムと化していた。郊外地区であったこれらの地区を統合してサン・ボイの面積は拡大した。現在はスペイン各地からの移民よりも、モロッコエクアドルルーマニア中国からの移住者が増えている。

経済[編集]

サービス業が主体である。農業も行われており、サン・ボイ産のアーティチョークが知られている。

交通[編集]

出身者[編集]

外部リンク[編集]