サンティアゴ島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
サンティアゴ島
Santiago
Tarrafal bay.jpg
タラファル湾
座標 北緯15度4分40秒 西経22度37分29秒 / 北緯15.07778度 西経22.62472度 / 15.07778; -22.62472
面積 991 km²
最高標高 1,394 m
所在海域 大西洋
所属国・地域 カーボベルデの旗 カーボベルデ
テンプレートを表示
サンティアゴ島の位置

サンティアゴ島Santiago)は、カーボベルデの島。首都プライアがある。農業中心地で、国の人口の約半数が暮らす。

概要[編集]

サンティアゴ島は、マイオ島(40km西)と、フォゴ島(50km東)に挟まれた、ソタヴェント諸島(風下諸島)の1つである。カーボベルデで定住が行われた最初の島で、1462年にリベイラ・グランデの町(現在のシダーデ・ヴェーリャ)が建設された。島内には、フランシスコ・メンデス国際空港がある。

地理[編集]

サンティアゴ島はカーボベルデ最大の島である。島は山地で、南東部がわずかに平坦である。内陸部と東海岸の湿気のある気候と、南西岸から南岸の乾燥した気候が対照的である。首都で国最大の都市プライアは南東岸にある。島にはその他に、プライアから15km西のシダーデ・ヴェーリャ、カーボベルデ最初の首都で6okm北のアッソマダ、首都から75km離れた北部のタラファルである。

自治体[編集]

歴史[編集]

シダーデ・ヴェーリャ

島は、1460年頃アントーニオ・ダ・ノリによって発見され、彼はシダーデ・ヴェーリャの地に駐屯地を築いてリベイラ・グランデと名付けた。大陸横断奴隷貿易が、シダーデ・ヴェーリャをポルトガル植民地第二の豊かな都市にした。ポルトガル本国は、イギリス、オランダ、フランス、スペインが奴隷貿易を引き継いだことからカーボベルデの植民地を守ることができず、後に島は海賊に荒らされるようになった。1712年、海賊に攻撃されたシダーデ・ヴェーリャはもはや首都の役割を果たせず、プライア平野へ首都が移された。ポルトガルの植民地組織によって島の人口は不利益を受け、住民たちはアミルカル・カブラルギニア・カーボベルデ独立アフリカ党を支持し、1975年に独立を果たした。サンティアゴ島はクレオール文化における会議の主催国を数回務めている。

1831年末、博物学者としてチャールズ・ダーウィンが乗ったイギリス海軍のビーグル号が、1832年1月16日に本島のポルト・プラヤ港に停泊した[1]

人口[編集]

サンティアゴ島にはおよそ24万人の人々が生活している。人口密度は242.18 /km2で、カーボベルデの島々で最も高くなっている。

経済[編集]

主幹産業は、農業、観光、漁業で、工業はわずかである。サトウキビトウモロコシバナナコーヒーマンゴーなどが栽培されている。

独立以後、学校、港湾、空港、道路といったインフラストラクチャーが改善された。


脚注[編集]

  1. ^ パトリック・トール著、平山廉監修、南條郁子、藤丘樹実訳 『ダーウィン』 《「知の再発見」双書99》 創元社 2001年 33ページ

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]