ゲオルク・フォン・ザクセン=マイニンゲン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ゲオルクの肖像が彫られたメダル、1978年発行

ゲオルク・プリンツ・フォン・ザクセン=マイニンゲンGeorg Prinz von Sachsen-Meiningen, 1892年10月11日 - 1946年1月6日)は、ザクセン=マイニンゲン家家長(1941年 - 1946年)。ゲオルク3世 (Georg III.) とも呼ばれる。

ザクセン=マイニンゲン公子フリードリヒとその妻のアーデルハイト・ツア・リッペ=ビースターフェルトの間の長男として、ドイツ帝国カッセルに生まれた。父フリードリヒはザクセン=マイニンゲン公ゲオルク2世の息子、母アーデルハイトはリッペ侯国摂政のリッペ=ビースターフェルト伯エルンストの娘である。ゲオルクはミュンヘン大学イェーナ大学で法学を学んだ。

ゲオルクは第一次世界大戦が始まると学業を中断し、ドイツ軍の騎兵大尉として従軍した。ドイツ革命に伴いドイツの君主制が廃止されていく中、ゲオルクの伯父ベルンハルト3世も1918年11月10日に退位した。戦後、ゲオルクは法学の勉強を再開し、一時はテューリンゲン州ヒルトブルクハウゼンで判事補を務めていた。1933年5月1日、ナチスに入党した。

1941年12月29日に伯父のエルンストが死ぬと、ゲオルクはザクセン=マイニンゲン家の家督を継承した。1946年、北ロシアチェレポヴェツにあった捕虜収容所で死んだ。後継ぎでただ一人生き残っていた息子フリードリヒ・アルフレートは1953年にカトリック教会修道士となって公位継承権を放棄したため、ゲオルクの弟ベルンハルトが家長となった。

子女[編集]

1919年2月22日、フライブルクにおいて、シュミジンク=ケルッセンブロック・コルフ伯爵令嬢 (Gräfin von Korff, genannt Schmising-Kerssenbrock) クララ・マリア(1895年 - 1992年)と結婚し、あいだに二男二女をもうけた。

外部リンク[編集]

先代:
エルンスト
ザクセン=マイニンゲン家家長
1941年 - 1946年
次代:
ベルンハルト