ゲオルク・フォン・ザクセン=マイニンゲン

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ゲオルク3世
Georg III.
ザクセン=マイニンゲン家
Adelajda Sachsen-Meiningen z dziećmi.jpg
母アーデルハイトと子供たち(一番左がゲオルク)
出生 1892年10月11日
ドイツの旗 ドイツ帝国
Flag of Prussia 1892-1918.svg プロイセン王国カッセル
死去 1946年1月6日(満53歳没)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
Flag of Russian SFSR (1937-1954).svg ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国ヴォログダ州チェレポヴェツ
配偶者 クララ・マリア
子女
父親 フリードリヒ
母親 アーデルハイト
宗教 キリスト教ルーテル教会
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ゲオルク・プリンツ・フォン・ザクセン=マイニンゲンドイツ語: Georg Prinz von Sachsen-Meiningen, 1892年10月11日 - 1946年1月6日)は、ザクセン=マイニンゲン家家長(1941年 - 1946年)。ゲオルク3世 (ドイツ語: Georg III.) とも呼ばれる。

生涯[編集]

ザクセン=マイニンゲン公子フリードリヒ(ザクセン=マイニンゲン公ゲオルク2世の三男)と、その妻のリッペ=ビースターフェルト伯女アーデルハイト英語版リッペ侯国摂政エルンストの長女)の間の長男として、ヘッセン=ナッサウ県のカッセルに生まれた。ゲオルクはミュンヘン大学イェーナ大学で法学を学んだ。

第一次世界大戦が始まるとゲオルクは学業を中断し、ドイツ軍の騎兵大尉として従軍した。ドイツ革命に伴い諸侯国の君主制が廃止されていく中、ゲオルクの伯父ベルンハルト3世も1918年11月10日に退位した。戦後、ゲオルクは法学の勉強を再開し、一時はテューリンゲン州ヒルトブルクハウゼンドイツ語版で判事補を務めていた。1933年5月1日、国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)に入党した。

1941年12月29日に伯父のエルンストが死去すると、ゲオルクがザクセン=マイニンゲン家の家督を継承した。1946年、北ロシアチェレポヴェツにあった捕虜収容所で死去した。ただ一人生き残っていた男子フリードリヒ・アルフレートは1953年にカルトジオ会修道士となって公位継承権を放棄したため、ゲオルクの弟ベルンハルトが家長となった。

子女[編集]

1919年2月22日、フライブルクにおいて、シュミジンク=ケルッセンブロック・コルフ伯爵令嬢(Gräfin von Korff, genannt Schmising-Kerssenbrock)クララ・マリア(1895年 - 1992年)と結婚し、間に2男2女を儲けた。

ゲオルク3世の肖像が彫られたメダル(1978年発行)
先代:
エルンスト
ザクセン=マイニンゲン公家家長
1941年 - 1946年
次代:
ベルンハルト4世