アーサー・ピール (初代ピール子爵)

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アーサー・ウェルズリー・ピール
Arthur Wellesley Peel
生年月日 1829年8月3日
没年月日 (1912-12-24) 1912年12月24日(83歳没)
出身校 イートン・カレッジ
ベリオール・カレッジ
所属政党 自由党
自由統一党
称号 初代ピール子爵
枢密顧問官
配偶者 アデレード・ダグデイル(Adelaide Dugdale、1890年没)
親族 ウィリアム・ピール(長男)
ジョージ・ピール英語版(次男)
シドニー・ピール英語版(三男)

在任期間 1884年2月26日 - 1895年4月8日
国王 ヴィクトリア

内閣 第2次グラッドストン内閣
在任期間 1880年4月28日 - 1881年1月1日

内閣 第1次グラッドストン内閣
在任期間 1873年8月1日 - 1874年2月17日

内閣 第1次グラッドストン内閣
在任期間 1871年1月14日 - 1873年8月1日

内閣 第1次グラッドストン内閣
在任期間 1868年12月10日 - 1871年1月14日

その他の職歴
イギリスの旗 貴族院議員
1895年5月9日 - 1912年12月24日)
イギリスの旗 庶民院議員
1865年7月24日 - 1895年8月7日
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初代ピール子爵アーサー・ウェルズリー・ピール閣下英語版英語: Arthur Wellesley Peel, 1st Viscount Peel, PC1829年8月3日 - 1912年10月24日)は、イギリス自由党政治家。1865年から1895年まで庶民院議員を務め、うち1884年から1895年までは庶民院議長も務めた。退任後、ピール子爵に叙された。

生涯[編集]

ピールは保守党出身の首相サー・ロバート・ピールと妻のジュリア(初代準男爵サー・ジョン・フロイド英語版の娘)の間の四男であり、初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーに因んで名付けられた。イートン・カレッジベリオール・カレッジで教育を受けた[1]

1863年のコヴェントリー選挙区英語版補欠選挙で落選した後、1865年イギリス総選挙自由党から出馬してウォリック選挙区英語版で当選、以降1885年議席再分配法英語版でウォリック選挙区が廃止されるまで同選挙区で当選し続けた[2]。1868年から1871年まで救貧庁政務次官英語版を務めた後、商務委員会政務次官英語版に転じた。1873年から1874年までには大蔵政務次官英語版を務め、1880年に第2次グラッドストン内閣内務次官英語版を務めた[3]サー・ヘンリー・ブランド英語版庶民院議長から退任すると、ピールは1884年2月26日に後任の議長に選出された[4]

1885年イギリス総選挙ではウォリック・アンド・リーミングトン選挙区英語版で当選した。ブリタニカ百科事典第11版によると、ピールは庶民院議長として「ひと際公正さを示し、全ての場合において庶民院の伝統、慣習と礼儀に関する完璧な知識、裁決の妥当さと決定の手早さも示した」という[3]。職務上中立ではあったが、アイルランド内政自治英語版をめぐって自由党を離党、自由統一党に加入した。またキリスト教徒以外(例えば、不可知論者や無神論者)も庶民院議員になれるよう忠誠宣誓を変えるチャールズ・ブレッドロー英語版の運動も支持した。

1895年イギリス総選挙において、ピールは健康上の理由で引退した[3]。退任に際して、ベッドフォード郡のサンディーのピール子爵に叙され、4千ポンドの年金を受け取った[3]。同年7月、シティ・オブ・ロンドンの名誉市民権英語版を受け取った[3]。1896年、酒類販売免許法に関する王立委員会の委員長を務めたが、ピールの報告に委員数名が反対したためピールは委員長を辞任、サー・アルジャーノン・ウェスト英語版が代わりに多数意見英語版をまとめて報告を提出した。しかし、報告はピールの名前で発表され、酒類販売免許の数を大幅に減らすことを勧告した。この報告は後に改革者たちにとって有用な武器となった[3]

家族[編集]

1862年、ウィリアム・ストラトフォード・ダグデイルの娘アデレードと結婚した。アデレードが1890年12月に死去した後も再婚せず、1912年10月に死去した。2人は4男2女をもうけ、長男のウィリアム・ウェルズリー・ピールがピール子爵位を継承した(1929年に初代ピール伯爵に叙される)。次男のアーサー・ジョージ・ヴィリアーズ・ピール英語版は政治家、作家だった。三男のシドニー・ピール英語版も政治家であり、1936年に準男爵に叙された[5]。娘のアグネス・メアリー・ピール(1871年 - 1959年)はユニオニストチャールズ・シドニー・ゴールドマン英語版と結婚した。

脚注[編集]

  1. ^ Debretts Guide to the House of Commons 1886(英語)
  2. ^ Hansard 1803–2005 - Arthur Peel
  3. ^ a b c d e f Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Peel, Arthur Wellesley Peel, 1st Viscount" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 21 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 39–40.
  4. ^ HC Deb 26 February 1884 vol 285 cc17-30(英語)
  5. ^ Arthur Wellesley Peel, 1st Viscount Peel, PC Archived 2012-09-08 at the Wayback Machine., Cracroft's Peerage

外部リンク[編集]

グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会
先代
ジョージ・レプトン英語版
エドワード・グリーヴス英語版
庶民院議員(ウォリック選挙区英語版選出)
1865年 - 1885年
同職:ジョージ・レプトン英語版 1865年 - 1868年, 1874年 - 1885年
エドワード・グリーヴス英語版 1868年 - 1874年
選挙区廃止
新設選挙区 庶民院議員(ウォリック・アンド・リーミングトン選挙区英語版選出)
1885年 - 1895年
次代
アルフレッド・リトルトン英語版
公職
先代
サー・マイケル・ヒックス・ビーチ準男爵
救貧庁政務次官英語版
1868年 - 1871年
廃止
先代
ジョージ・ショー=ルフェーブル英語版
商務委員会政務次官英語版
1871年 - 1874年
次代
ジョージ・ベンティンク英語版
先代
ジョージ・グリン英語版
大蔵政務次官英語版
1873年 - 1874年
次代
ウィリアム・ハート・ダイク英語版
先代
サー・マシュー・ホワイト・リドリー準男爵英語版
内務次官英語版
1880年 - 1881年
次代
レオナルド・コートニー英語版
先代
サー・ヘンリー・ブランド英語版
庶民院議長
1884年 - 1895年
次代
サー・ウィリアム・ガリー英語版
イギリスの爵位
爵位創設 ピール子爵
1895年 - 1912年
次代
ウィリアム・ウェルズリー・ピール