アプリオリ

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アプリオリとは、経験認識に先立つ先天的、自明的な認識概念カントおよび新カント学派の用法。ラテン語a prioriに由来する。日本語では、「先験的」「先天的」「超越的」などと訳される。

概要[編集]

カントにおける「アプリオリ」の概念[編集]

「わたしは何を知ることができるか」「わたしは何をなすべきか」を問い、自然や人間を認識する「理性」(理論理性)の限界を明らかにするために批判哲学を打ち立てた18世紀ドイツの哲学者イマヌエル・カントは、哲学もまた数学自然科学にならって、必然的で普遍的な思考方法を獲得しなければならないと主張した。そして、そのためには、人間のあらゆる経験から独立して、理性自身が認識のわく組みを決めることができなければならない、とした。これが「アプリオリな認識」である(アプリオリな認識のうち、経験的なものをまったく混入していない認識を「純粋認識」と呼ぶ[1]

カントによれば、時間および空間はアプリオリな概念である。なぜならこの2つは、あらゆる経験的認識に先立って認識されている概念だからである[注釈 1]

なお、この2つは自然に想像される時間あるいは空間ではなく、形式的なそれである。感覚的には太陽地球を回っているように「感じられる」としても、実際にはそうではないという比喩をカント自身も援用していることから、ある新しい「構成」のために、それらは純粋直観にあたえられるのである[注釈 2]。この空間は、物理空間に先立つ(=アプリオリな)空間である。純粋直観が不可能であればヒューム的懐疑に陥るという懸念にも留意されたい。

諸哲学における用法[編集]

哲学における今日的な一般的用法としては、アプリオリとは、「演繹的証明の必要のない自明的な事柄」という意味で使われることが多い。

フレーゲによれば、命題の真偽が論理法則のみに依拠すれば「アプリオリ」であり、経験的事実に依拠すれば「アポステリオリ」となる。なお、ここでいう「命題」とは厳密には「ある判断の真理性の証明」を指している[2]

フッサール現象学では、直観によるアプリオリの作用(抽象)を「本質直観」と呼んでいる[注釈 3]

認識論において用いられる難解な言葉であり、アプリオリはアポステリオリ対語である。「先験的」「先天的」などと訳される場合があるが、どちらの訳もこの語の意味にあっていないと言われ、多くの場合「アプリオリ」とカタカナで書かれる。

アプリオリの具体的な意は、「私はこのことをアプリオリに知っている」は「私はこのことを知っているが、経験を通じて知ったのではない」と言うような具合である。アプリオリの意は非常に複雑であり、わかりにくいと言われる。

「物事には原因がある」という観念は、実際の経験事実よりも「先立って」存在している。つまり因果律は経験に先立っている(prior)から、「アプリオリ」な観念だといわれる。

法学におけるアプリオリ[編集]

法学上の文脈で用いる場合には、いわゆる「自明」ないしは「所与のもの」などの語義と同視して用いられることがあり、特に論証や立証なくして明らかな事項(明らかであるとして扱ってよい事項)、などの意として使われる。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ この2つが先立っていることが絶対的に自明なのではなく、カントが強調しているのは、この2つが与えられなければ、「物自体」が認識できない以上、純粋直観としては何も認識できないということである。
  2. ^ この場合、経験・感覚等を捨象することにより、地球が太陽を周回しているという綜合的判断が得られる。
  3. ^ 本質直観は「イデー化(理念化)」とも呼ばれており、フッサール自身、様々な角度から説明を試みている。『デカルト的省察』・『論理学研究』など

出典[編集]

  1. ^ 山崎編『カント』(1977)p.68
  2. ^ 野本『フレーゲ哲学の全貌』(2012)p.155

参考文献[編集]

  • 山崎正一編『世界の思想家11 カント』平凡社、1977年。
  • 野本和幸『フレーゲ哲学の全貌:論理主義と意味論の原型』勁草書房、2012年。ISBN-10: 4326102187

関連項目[編集]