されど私の人生

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されど私の人生
斉藤哲夫シングル
B面 われわれは
リリース
規格
録音 東京スタジオ・第3スタジオ
1970年11月28日 (1970-11-28)
ジャンル フォークソング
時間
レーベル URCレコード
作詞・作曲 斉藤哲夫
プロデュース 秦政明
斉藤哲夫 シングル 年表
  • されど私の人生
  • (1971年 (1971)
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されど私の人生」(されどわたしのじんせい)は、日本シンガーソングライターである斉藤哲夫の楽曲。自身の2枚目となるシングルとして、1971年2月5日URCレコードからリリースされた。

制作[編集]

表題曲である「されど私の人生」は、柴田翔中編小説されどわれらが日々―』からアイデアを得て制作された[1]。当時竹中労と関わりがあった頃で、その影響を受けている。

コード進行は、ビートルズの「レット・イット・ビー」が元になっている[1]

レコーディングには、鈴木慶一が参加している。経緯として、親交のあったあがた森魚から「ギターベースピアノもできる、使ってみない?」と紹介されたことから参加したという[1]

吉田拓郎によるカバー[編集]

シンガーソングライターの吉田拓郎(当時はよしだたくろう)は、1971年にリリースしたライブ・アルバムよしだたくろう オン・ステージ ともだち』で、表題曲をカバーした。当時はライブで披露されることが多かったため、拓郎本人が作った曲と勘違いするファンがいたという。

カバーされた経緯として、広島フォーク村の村長で、当時泉谷しげるのマネージャーだった伊藤明夫から「うちの拓郎があなたの歌を唄いたいって。許可してください」ということで、カバーされることになった[1]。このことにより、当初は「拓郎に歌われちゃったよ。いいんだか、悪いんだかなぁ」と言っていたが、斉藤の元には印税が入ってくることになり、なぎら健壱に「いやぁー、なぎら驚いたなぁ。印税がガバガバ入ってくるんだよ、たった1曲で。ホント助かっちゃった。それほど売れてるんだなぁ、あいつらは。いいなぁ」と話したという[2]

拓郎からは「何を言いたいのかよくわからない」と言われたという[1]

収録曲[編集]

7インチレコード
全作曲: 斉藤哲夫
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.されど私の人生斉藤哲夫斉藤哲夫
2.われわれは今村克己斉藤哲夫
合計時間:

クレジット[編集]

ミュージシャン[編集]

スタッフ[編集]

  • ディレクター:早川義夫
  • 美術:藤尾秀人
  • 技術:桑元邦彦
  • 装飾:千葉春怨
  • 撮影:山本東陽
  • 題字:藤田加津子
  • プロデューサー:秦政明

カバー[編集]

曲名 収録作品(初出のみ) 発売日 規格品番 備考
されど私の人生 よしだたくろう オン・ステージ ともだち 1971年6月7日 (1971-06-07) ELEC-2002 東京厚生年金会館で行われたコンサートの模様を収録したライブ・アルバム

関連項目[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 「URCレコード読本」シンコーミュージック、2020年7月31日、110-111頁。
  2. ^ 『日本フォーク私的大全』なぎら健壱著、1995年、筑摩書房、171頁。