ガマの油
ガマの油(ガマのあぶら)とは、江戸時代に傷薬として売られていたとされる軟膏剤。このガマとは、元はガマガエル(ヒキガエルの別名)である。その口上が正しければ「鏡の前におくとタラリタラリと油を流す」ことから耳後腺および皮膚腺からの分泌物の「蟾酥」(センソ)である。これらを油脂性基剤(蝋や油)に混ぜた軟膏と考えられる。なお、筑波地方は湿地が多く植物のガマ(ホオウの材料)も、カエルのガマ(センソの材料)も多い(両方とも医薬品であり、現在では販売には薬剤師か登録販売員の資格が必要)。
筑波山ガマ口上保存会によれば、「筑波山名物・ガマの油売り」口上は、200余年前、常陸国筑波郡筑波山麓出身の永井兵助が、故郷の薬「ガマの油」で一旗揚げようと売り口上を考案し、江戸・浅草の縁日の大道で披露したのが始まりとされる。ガマの油として売られていたもの自体は、いかなる薬かは不明であるが、蝋などを基剤にしニホンヒキガエルやムカデなどを煮詰めてつくられたという説、馬の脂肪から抽出した油(馬油)とする説もあるが、偽薬も含めて真相は不明である。
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[編集] ガマの油売り
江戸中期になると、縁日や祭で香具師たちが、伊吹山や筑波山などで作られたとするガマの油を巧みな口上と演技で売るようになった。その売り方は、行者風の凝った衣装を纏い、綱渡りなどの大道芸で客寄せをした後、ガマガエルから油をとる方法やガマの霊力を語る。そして、切っ先だけがよく切れる刀の切れ味を見せ、切れない部分を使って腕を切るふりをする。本当は赤い線が入っただけの切り傷を、さも切ったように客に見せ、がまの油を切り傷につけ、切り傷を消してみせる。
交通機関が未発達で徒歩による旅行が主だった時代には、霊山に参拝することが民衆の娯楽であり、願いの一つであった。先述の伊吹山や筑波山は信仰の拠り所として神の住む霊山の一つとして位置付けられており、遠くに見ることはできても実際に現地に赴くには遠い存在であった。そのような霊山の麓で育った生き物の中でガマガエルは得体の知れぬ生き物の一つとして崇められた。中でも四六のガマと呼ばれるガマガエルは特異とされている。このガマガエルは己の容貌を今業平(在原業平のような美形)だと信じているが、周囲に鏡を張った箱に入れれば自らの醜悪さに驚き、脂汗を流すという。ガマの油売りは、脂汗を収集して一定期日のあいだ煮つめて膏薬油を製造する方法、ガマの霊力を口上で語った。
刀の切れ味を示す口上では、半紙大の和紙を二つ折りに切っていき、「一枚が二枚、二枚が四枚、四枚が八枚、八枚が十六枚…」と口上し、和紙を半折りして徐々に小さく切っていく。この時、据え物斬りに相当する枚数に至る紙を切ることで刀の切れ味を客に示し、小さくなった紙片を紙吹雪のように吹き飛ばして、切れ味ととも華やかさを示す。紙を切ることで周囲に群がった客に対して切れ味を実演した後、自らの二の腕に刃を当てて傷を付けて血が出ることを見せる。その切り口にガマの油を塗ることで止血作用が明らかなことを示す。この口上に前後して、ガマの油を塗った二の腕は刃物で切ろうとしても切れず効能があることを示す(刀にガマの油を塗る場合もある)。
[編集] 落語
古典落語の『高田の馬場』はガマの油売りの口上から始まり膏薬が古傷に効くと聞いて古傷を見せた武士と膏薬売りとの仇討ちが題材となっており、噺家による口上が見所の一つである。
『ガマの油』の題そのものの落語もある。こちらは酒に酔ったガマの油売りが、少し深く切りすぎてしまい、売り物のガマの油を多量に塗り付けるも血が止まらなくなり、傷薬を売りに来たにもかかわらず慌てて聴衆に傷薬を持ち合わせている者がいないか尋ねるという落ちがつく。