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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2015年10月5日 (月) 11:53 (UTC)|section=1}}
* 古武道会理事長 竹原陽次郎 編 『熊本の古武道史』 熊本県古武道会([[2015年]])
* 古武道会理事長 竹原陽次郎 編 『熊本の古武道史』 熊本県古武道会([[2015年]])
* 秋のくまもとお城まつり『熊本城武道の祭典・古武道演武会』大会資料(2014年10月11日)
* 秋のくまもとお城まつり『熊本城武道の祭典・古武道演武会』大会資料(2014年10月11日)
*[https://www.jstage.jst.go.jp/article/budo1968/13/3/13_10/_pdf 中村民雄近代武道教授法の確立過程に関する研究(二) ―『形』の制定について― 武道学研究13-3(1981年)]
*{{cite journal|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/budo1968/13/3/13_10/_pdf|format=PDF|author=中村民雄(埼玉大学)|title=近代武道教授法の確立過程に関する研究(二) : ―『形』の制定について― |journal=武道学研究|volume=13|issue=3|year=1981|pages=10-18|publisher=日本武道学会}}


== 関連項目'''==
== 関連項目'''==

2015年10月5日 (月) 19:11時点における版

四天流(してんりゅう)とは、熊本藩で伝承された古流武術の流派。四天流組討、四天流柔術。現在は四天流星野派柔術と称し、熊本市で継承されている。

来歴

流祖は成田清兵衛高重。鞍馬流と号し、後に中条流と称した。源義経公の流を元祖とし、後に四天流剣術、組討と称した。四天とは、軍陣応護の天部と云われる持国天多聞天増長天広目天を指す。

開祖、成田清兵衛先師は、寛永15年(1638年肥前国佐賀県)唐津に生まれ、承應2年(1653年)頃、武者修行の途に就いた。下野国宇都宮にて、戸田清元の門弟となり、居合剣術の皆伝を受け、更に諸国を廻り、寛文元年(1661年肥後国熊本藩細川綱利公に召し出され、武術指南役の傍ら太刀の故をもって組討の極意を編み出し、いわば剛の組討として知れることとなった。

同流師範は藩政時代に藩の柔術師範を務め、「四天流組討の星野道場」は同じく柔術師範を務めた「竹内三統流柔術矢野道場」「扱心流体術江口道場」とともに肥後柔術三道場として並び称され隆盛を誇った。明治・大正時代、当主の星野九門師範は居合、組討なぎなた棒術の達人で、熊本市新堀町にあった星野道場には幾多の門下生が集まり、昭和時代にかけて柔術、柔道、居合の実力者・高段者を輩出した。

流儀の特徴

四天流組討は、甲冑を身に付けた蹲踞の姿勢から、間合いを取り敵の攻撃に対して素早く反応し、その力を利用し逆らう事無く、己の身を交し、霞(幻惑)を掛け、当身を軸に体を捌き、立技から捨身を敢行し、連続的に関節技突き、蹴り固め技等急所を制する、極意の技が中心。

現在の四天流星野派柔術は、かつての格闘技柔術の影は薄れ、相手の攻撃に逆らわずその力を利用する、当身を軸に体を捌き立技から捨て身を敢行する、関節の逆を取り急所を制するといった技が中心になっている。

四天流組討形

四天流組討形は3種の形で構成される。赤身より習得し、風身、空身へと修行を進める。

それぞれの技は、当身・投げの「表」と極め・止めの「裏」によって構成される。

  • 赤身(せきしん)6本
    骨のあた里(ほねのあたり) 腕捻り(かいなひねり) 吭のうけ(ふえのうけ) 廻り腕(まわりかいな)
    逆ぬけ(さかぬけ) 召捕(めしとり)
  • 風身(ふうしん)9本
    朽木倒(くちきたおし) 挫きころし(くじきころし) 行合大ころし(ゆきあいおおごろし) 行合腕(ゆきあいかいな)
    籠のこぶ志(こみのこぶし) 頤詰(おとがいづめ) 腰と満利(こしとまり) 奏者捕(そうしゃとり) 蹴上(けあげ)
  • 空身(くうしん)14本
    八歩のあたり(はっぽのあたり) 甲組左右(こうくみさゆう) 眉間かくし(まゆまかくし) 錣ひねり(しころひねり)
    折首(おりくび) ぬけ 逆落(さかおとし) 追かけ錣(おっかけしころ) 引腰(ひきごし) 左右錣(さゆうしころ)
    折小手(おりこて) 決り(きまり) 仁王身(におうしん) 多勢割(たぜいわり)

肥後流躰術之形

肥後流躰術之形は、肥後の三道場(星野、矢野、江口)を中心とした、各流派師範が研究合議し制定した10本の柔術の形である。

躰之先(たいのせん) 水月(すいげつ) 蹴上返(けあげかえし) 負投(おいなげ) 腰投(こしなげ)
越返(こしがえし) 折腰(おりこし) 折倒(おりたおし) 打返(うちがえし) 脇詰(わきづめ)

四天流剣術

波潜り(なみくぐり) 山嵐(やまあらし) 神風(しんぷう) 双破斬(もろはぎり) 霧散(むさん)

四天流系譜

成田清兵衛高重 - 西勇平治俊武 - 堀田孫衛門之實 - 星野角右衛門實員 - 関群馬経貴 - 星野龍介実寿 - 星野如雲実直
- 星野九門実則 - 星野龍太実重 - 三石昇八 - 田代高造(現在)

講道館柔道形との関係性

明治39年(1906年)、柔術10流・師範20名で構成される日本武徳会柔術形制定委員会による武徳会柔術形(後に「武徳会柔道形」と改称)に際しては、同流星野九門師範が委員(委員長講道館嘉納治五郎師範)として原案作成に加わった。武徳会柔道形は講道館柔道形の一部として残るが、講道館柔道形において、四天流組討形や肥後流躰術之形と理合の共通する技を見ることが出来る。

現在の活動

四天流星野派柔術三石会として活動中。伝統技術の研鑽練磨、会員相互の親睦を図るとともに、熊本県古武道会に加盟し、同会が開催する演武会の他、公的行事や県内柔道大会等における模範演技として形演武を行い、伝統ある古流武術の保存・普及に努めている。

参考文献

関連項目