高雄市 (省轄市)
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高雄市(カオシュン/たかお-し)は、かつて中華民国台湾省に存在した省轄市(現:市)。1945年(昭和20年/民国34年)の台湾光復に伴い、高雄州高雄市が台湾省の省轄市に改編されて成立した。1976年(民国65年)に人口が100万人を超え[1]、1979年(民国78年)に院轄市(現:直轄市)に昇格して台湾省から離脱した[2]。
行政区画
[編集]1945年の台湾光復後、高雄市の下に存在した33の区は19区に再編され、日本統治時代に高雄市の管轄区域となっていた南沙諸島は広東省(1949年以降は海南特別行政区)に移管された。1946年(民国35年)には10区に再編され、同年末には新興区・連雅区・前金区・前鎮区の境界調整が行われた。1952年、連雅区が苓雅区に改称された[3][4]。
区名 | 面積(平方キロメートル) |
---|---|
楠梓区 | 25.8276 |
左営区 | 19.3888 |
鼓山区 | 14.7458 |
三民区 | 19.7866 |
塩埕区 | 1.4161 |
前金区 | 1.8573 |
新興区
|
1.9764 |
苓雅区 | 8.1522 |
前鎮区 | 19.1309 |
旗津区 | 1.4639 |
合計 | 113.7354 |
院轄市への昇格
[編集]1978年(民国67年)末、高雄市政府は台湾省政府に対し、院轄市への昇格後の市域拡大案として甲案と乙案を提案したが、高雄市改治籌画小組による審議の結果、高雄県への影響を最小限にとどめるため、内政部による案が採用された。
甲案
[編集]高雄県のニ仁渓以南・高屏渓以西(鳳山市・林園郷・小港郷・大寮郷・鳥松郷、大樹郷・仁武郷・大社郷・橋頭郷・梓官郷・弥陀郷・路竹郷・燕巣郷・永安郷・田寮郷・阿蓮郷・湖内郷・茄萣郷・岡山鎮)を編入する[5]。
乙案
[編集]橋頭郷、仁武郷、大社郷・林園郷・小港郷・大寮郷・鳥松郷・鳳山市五甲地区を編入する[5]。
内政部方案
[編集]小港郷を編入する[5]。
歴代市長
[編集]→「高雄市長」も参照
地方自治実施前
[編集]代 | 氏名 | 写真 | 所属政党 | 在任期間 |
---|---|---|---|---|
1 | 連謀 | 中国国民党 | 1945年11月8日 - 1946年5月23日 | |
2 | 黄仲図 | 中国国民党 | 1946年5月23日 - 1947年8月2日 | |
3 | 黄強 | 中国国民党 | 1947年8月2日 - 1949年5月1日 | |
4 | 劉翔 | 無所属 | 1949年5月1日 - 1950年8月2日 |
地方自治実施後
[編集]代 | 期 | 氏名 | 写真 | 所属政党 | 在任期間 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | 謝掙強 | 中国国民党 | 1951年5月1日 - 1954年6月2日 | |
2 | 1954年6月2日 1957年6月2日 | ||||
2 | 3 | 陳武璋 | 中国国民党 | 1957年6月2日 - 1960年6月2日 | |
3 | 4 | 陳啓川 | 中国国民党 | 1960年6月2日 - 1964年6月2日 | |
5 | 1964年6月2日 - 1968年6月2日 | ||||
4 | 6 | 楊金虎 | 中国民主社会党 | 1968年6月2日 - 1973年2月1日 | |
5 | 7 | 王玉雲 | 中国国民党 | 1973年2月1日 - 1977年12月20日 | |
8 | 1977年12月20日 - 1979年7月1日 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “高雄市人口突破一百萬人, 高雄市長王玉雲抱著剛出生的第一百萬名幸運市民柳仁輝” (中国語). 國家文化資料庫 (文化部) 3494: 1. (1979-04-04). オリジナルの2024-08-03時点におけるアーカイブ。 2024年8月3日閲覧。.
- ^ “總統令” (中国語). 總統府公報 (中華民國總統府) 3494: 1. (1979-04-04). オリジナルの2021-03-15時点におけるアーカイブ。 2022年7月16日閲覧。.
- ^ “臺灣建制市的市轄區變遷” (中国語). 聯邦的誕生. 2024年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月31日閲覧。
- ^ 高雄市政府 (1990). “〈民政志〉第一篇〈一般行政〉第三章〈光復後之行政設施〉”. 重修高雄市志。
- ^ a b c 洪招祥 等 (1994). “卷二〈政事志〉〈行政自治選舉篇〉” (中国語). 續修高雄市志