高崎五郎右衛門
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高崎 五郎右衛門(たかさき ごろうえもん、享和元年2月5日(1801年3月19日) - 嘉永2年12月3日(1850年1月15日))は、江戸後期の薩摩藩士。諱は温恭。嶷山と号した。父は高崎親勝。子には歌人として著名な高崎正風、孫に洋画家の曽山幸彦がいる。
藩の船奉行を勤めていた。藩世子の島津斉彬の襲封を画策し、それに反する家老島津久徳らお由羅派の暗殺を謀議した咎で嘉永2年(1850年)近藤隆左衛門らとともに出頭を命ぜられ、即日切腹させられた(謀議の真偽については不明)。この一件とこれに続く騒動をお由羅騒動という。墓所は鹿児島市の興国寺。
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