高倉永家
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 明応5年1月1日(1496年1月16日) |
死没 | 天正6年11月23日(1578年12月21日) |
改名 | 永家→常昭(法名) |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 後土御門天皇→後柏原天皇→後奈良天皇 |
氏族 | 高倉家 |
父母 | 父:高倉永康、母:不詳 |
妻 | 伊勢貞陸娘 |
子 |
増鎮、貞海、永相、水無瀬親具、広橋国光室、水無瀬兼成室、煕子、娘、 養子:量子 |
高倉 永家(たかくら ながいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公卿。参議・高倉永康の子。官位は正二位・権大納言。
生涯
[編集]明応8年(1499年)叙爵し、永正元年(1504年)侍従に任官する。
永正8年(1511年)右兵衛佐に遷ると、永正11年(1514年)従四位下、永正15年(1518年)従四位上・左兵衛督、大永2年(1522年)正四位下と兵衛府の武官を務めながら昇進する。
大永8年(1528年)従三位に昇って公卿に列し、天文2年(1533年)参議に任ぜらた。その後、天文4年(1535年)正三位、天文8年(1539年)従二位、天文9年(1540年)権中納言、天文13年(1544年)正二位と昇進を続ける。
天文20年(1551年)より将軍・足利義輝による武家執奏が行われ、天文22年(1553年)高倉家として初めて権大納言に昇った。
官歴
[編集]『諸家伝』による。
- 明応8年(1499年) 12月17日:従五位下
- 永正元年(1504年) 日付不詳:侍従
- 永正3年(1506年) 10月13日:従五位上
- 永正7年(1510年) 正月21日:正五位下
- 永正8年(1511年) 12月30日:右兵衛佐
- 永正11年(1514年) 2月27日:従四位下
- 永正15年(1518年) 8月8日:従四位上。9月12日:左兵衛督
- 大永2年(1522年) 8月11日:正四位下
- 大永8年(1528年) 4月28日:従三位、督如元
- 天文2年(1533年) 12月19日:参議、去督
- 天文4年(1535年) 5月22日:正三位
- 天文8年(1539年) 正月5日:従二位。3月23日:兼備中権守
- 天文9年(1540年) 正月3日:権中納言
- 天文13年(1544年) 8月25日:正二位
- 天文22年(1553年) 正月15日:権大納言(去々年以来度々武家執奏)。8月1日:大樹供奉出奔。8月13日:上洛
- 弘治3年(1557年) 9月5日:出家
- 天正6年(1578年) 11月23日:薨去
系譜
[編集]『系図纂要』による。
- 正室:伊勢貞陸娘
- 生母不詳の子女
- 養子女
参考文献
[編集]- 正宗敦夫編『諸家伝』日本古典全集刊行会、1940年
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