馬来遅

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馬来遅廟

馬 来遅(ば らいち、Mǎ Láichí1681年 - 1766年)、ムスリム名はアブドゥ・ハリム代のイスラム教の学者。スーフィズムの一派フフィー教団(虎夫耶、Khufiya)の創設者。

甘粛省河州出身。8歳からモスク(清真寺)で学び、18歳で学業を修了し、河州・民和広河などのモスクでアホン(イスラム教の指導者)を務めた。1728年広州より回路でメッカ巡礼に向かった。メッカ・イエメンバグダードダマスクスカイロなどを訪問し、フフィーヤをはじめとする様々なスーフィズムの学派を学び、1734年に帰国した。帰国後は循化などのモスクの教長を務めたが、各地のムスリムが教えを乞いに来訪し、また馬来遅も雲南省河南省陝西省など各地のモスクで積極的に講学したため、回民の間にフフィーヤの教えが伝播していった。

参考文献[編集]

  • 白寿彝主編『回族人物志』寧夏人民出版社