道 (絵画)
英語: Road | |||||
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作者 | 東山魁夷 | ||||
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製作年 | 1950年 | ||||
種類 | 彩色、絹本 | ||||
寸法 | 134.4 cm × 102.2 cm (52.9 in × 40.2 in) | ||||
所蔵 | 東京国立近代美術館、東京都 |
『道』(みち、英: Road)は、日本の画家東山魁夷が1950年に描いた絵画[1][2]。東山の代表作の1つである[3]。日本画の風景画に分類される[2][4]。
概要
[編集]本作に描かれた道は、青森県八戸市にある種差海岸沿いに伸びる青森県道1号八戸階上線がモデルになっており[5][6]、県道脇の牧場の、魁夷が本作を製作したとされる地点には、東山魁夷「道」記念碑が建てられている[6][7][8]。実際には、前方に建っている鮫角灯台が視界に入るはずであるが、作品では省略されている[6]。
東京国立近代美術館に所蔵されている[1][9]。本作は、1950年に開催された第6回日展に出品された[10]。画面左下に、落款および印章がある[2]。
東山は、本作によって高い評価を受け、風景画家として安定した地位を確立した[10][11]。市川市東山魁夷記念館には、本作の試作に相当する作品が所蔵されている[12]。
東山は、本作について、「遍歴の果てでもあり、また新しく始まる道でもあり、絶望と希望を織りまぜてはるかに続く一筋の道であった――そして遠くの丘の上の空をすこし明るくして、遠くの道がやや右上りに画面の外に消えていくようにすることによって、これから歩もうとする道という感じが強くなった」と述べている[8][13]。
会田誠の「あぜ道」(1991年)など、パロディの題材にもされている[14]。
作品
[編集]1本の道が、画面中央からわずかに左寄りに描かれている[15]。画面は、主として空の部分の水色、草原の部分の緑色および道の部分の灰色の計3色で構成されている[15]。
東山は、戦前に訪れていた種差海岸を、戦後にも取材のために2度訪れたとされ、合わせて数点の作品を製作している[15][16]。そのうちの1作で、1948年に描かれた『静朝』(Silent Morning) と比較して、『道』の場合、前方に伸びる道がより急な角度をもつ上り坂として描かれている[15]。
戦前に訪れたときには、鮫角灯台や放牧されている馬も描き入れたスケッチ画を製作しており、東山は、それから想を得て、縦に長い画面に道だけを描き出す構図をもつ本作を製作した[8][12]。
脚注
[編集]- ^ a b “デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2019年7月13日閲覧。
- ^ a b c “作品詳細 道”. 独立行政法人 国立美術館. 2019年7月13日閲覧。
- ^ “「生誕110年 東山魁夷展」プレスリリース”. 京都国立近代美術館. 2019年7月13日閲覧。
- ^ “展覧会 生誕110年 東山魁夷展”. 京都国立近代美術館. 2019年7月13日閲覧。
- ^ “種差海岸を舞台にした東山魁夷の名作『道』”. 青森県立美術館. 2019年7月13日閲覧。
- ^ a b c “道の碑”. VISIT HACHINOHE. 2019年7月13日閲覧。
- ^ “はちのへ観光ガイドブック”. 八戸市. 2019年7月13日閲覧。
- ^ a b c “33 道 Road 1950年”. 独立行政法人 国立美術館. 2019年7月13日閲覧。
- ^ “生誕110年 東山魁夷展”. 京都国立近代美術館. 2019年7月13日閲覧。
- ^ a b “東山魁夷プロフィール”. 香川県立東山魁夷せとうち美術館. 2019年7月13日閲覧。
- ^ “特別展「東山魁夷 自然と人、そして町」”. 文化庁. 2019年7月13日閲覧。
- ^ a b “収蔵作品のご紹介”. 市川市東山魁夷記念館. 2019年7月13日閲覧。
- ^ “道”. 文化遺産オンライン. 2019年7月13日閲覧。
- ^ “https://media.thisisgallery.com/works/makotoaida_01”. 2021年2月9日閲覧。
- ^ a b c d 『もっと知りたい東山魁夷』 2008, p. 24.
- ^ “東山魁夷「道」の標柱”. 総務省. 2019年7月13日閲覧。
参考文献
[編集]- 鶴見香織『もっと知りたい東山魁夷 生涯と作品』東京美術〈アート・ビギナーズ・コレクション〉、2008年3月。ISBN 978-4-8087-0826-9。