赤松新右衛門
赤松 新右衛門(あかまつ しんうえもん、1841年(天保12年10月[1])- 1903年(明治36年)9月16日[1])は、明治の政治家。衆議院議員(2期)。
経歴[編集]
下総国豊田郡、のちの西豊田村(茨城県結城郡西豊田村、八千代村を経て現八千代町)出身[2]。漢籍、書道を学ぶ[1]。1868年(明治元年)下妻支庁に出仕したのち、茨城県会議員に転じる[2]。1881年(明治14年)頃、郷里より抜擢され結城・豊田・岡田郡長に就任した[2]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では茨城県第4区の森隆介の当選無効に伴う更正決定により当選した[1]。のち第4回衆議院議員総選挙でも当選し衆議院議員を通算2期務めた[1]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 服部鉄石『茨城人物評伝』1902年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。