西村兼文

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西村 兼文(にしむら かねふみ、天保3年7月22日1832年8月17日) - 明治29年(1896年11月1日)は、幕末の京都西本願寺侍臣。尊皇攘夷派。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

西本願寺侍臣西村房義の次男として生まれ、父と同じく西本願寺に仕える。

西国にて勤皇の志士達と交流していたが、慶応元年(1865年)閏5月に京都へ帰ってきてみると、西本願寺は勤皇志士達の敵とも言える新選組の屯所とされてしまっていた。

新選組隊士達の中では尊皇攘夷思想の強い高台寺党(御陵衛士)・伊東甲子太郎らと交誼を結び、戊辰戦争後の明治22年(1889年)、『新撰組始末記』(壬生浪士始末記とも)を著した。

維新史に関する書をたびたび発表し、奈良県庁官吏として明治政府に出仕。

奈良にて死去。享年65。墓所は西大谷墓地。

人物[編集]

尊皇攘夷派であり、著書『新撰組始末記』では尊皇側の立場から記載されており、山南敬助などは好意的に書かれている。


外部リンク[編集]