藤原時長 (平安時代前期の貴族)

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藤原 時長
時代 平安時代前期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 正五位下常陸介
主君 陽成天皇光孝天皇
氏族 藤原北家魚名流
父母 父:藤原高房、母:藤原真夏の娘
兄弟 生丘智泉山蔭時長積善朝行尚忠
秦豊国の娘
利仁
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藤原 時長(ふじわら の ときなが)は、平安時代前期の貴族藤原北家魚名流越前守藤原高房の子。官位正五位下常陸介

経歴[編集]

従五位下叙爵後、元慶元年(877年陽成天皇大嘗祭にて美濃守源覚らとともに美濃介として時長も悠紀行事を務める。その後、従五位上・兵部少輔に叙任され、元慶3年(879年斎宮識子内親王行禊に際して後次第司長官を務めた。

光孝朝仁和2年(886年)正月に正五位下に叙せられる。また、肥後守に任ぜられるが赴任すべき時期になっても出発しなかったらしく、2月に状況を質すために召問され[1]、5月には位階を一階落とされた。

また、時期は不明ながら常陸介を務めている。

官歴[編集]

日本三代実録』による。

系譜[編集]

尊卑分脈』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本三代実録』仁和2年2月3日条
  2. ^ 『尊卑分脈』

参考文献[編集]