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羅南区域

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
羅南区域
位置
各種表記
チョソングル: 라남구역
漢字: 羅南區域
日本語読み仮名: らなんくいき
片仮名転写: ラナム=クヨク
ローマ字転写 (MR): Ranam-guyŏk
統計
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
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羅南区域(ラナムくいき)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道清津市に属する区域。

日本統治時代には第19師団[1]司令部が置かれ、軍都として知られた。また、咸鏡北道庁所在地でもあった。

現在も朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の軍事拠点とされている。

地理

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清津市域の南部に位置し、日本海に面する。

行政区画

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19洞・2里を管轄する。

  • 羅北一洞(ラブギルトン)
  • 羅北二洞(ラブギドン)
  • 羅城洞(ラソンドン)
  • 羅興一洞(ラフンイルトン)
  • 羅興二洞(ラフンイドン)
  • 楽園一洞(ラグォニルトン)
  • 楽園二洞(ラグォニドン)
  • 龍川洞(リョンチョンドン)
  • 梨谷洞(リゴクトン)
  • 鳳泉一洞(ポンチョニルトン)
  • 鳳泉二洞(ポンチョニドン)
  • 鳳泉三洞(ポンチョンサムドン)
  • 富岩洞(プアムドン)
  • セゴリ洞(セゴリドン)
  • 新興洞(シヌンドン)
  • 恩徳洞(ウンドクトン)
  • 平和洞(ピョンファドン)
  • 豊谷洞(プンゴクトン)
  • 檜郷洞(フェヒャンドン)
  • 龍岩里(リョンアムニ)
  • 鳳岩里(ポンアムニ)

歴史

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日本統治時代の羅南

歴史的には咸鏡道鏡城郡の一部。日本統治時代には咸鏡北道に属した。

  • 1914年 - 鏡城郡梧村面に羅南町、美吉町、生駒町、初瀨町が設置。
  • 1915年、大日本帝国陸軍第19師団司令部が置かれた。
  • 1920年 - 咸鏡北道庁が鏡城で羅南に移転。軍事・行政の中心地であったため日本人居留者も多かった。
  • 1930年 - 梧村面が分割され、羅南面・鏡城邑が発足。
  • 1931年 - 羅南面が羅南邑に昇格。
  • 1940年3月 - 羅南邑の一部が清津府に編入。

年表

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この節の出典[2]

  • 1960年10月 - 咸鏡北道羅南市羅興洞・平和洞・梨谷洞・豊谷洞・解放洞・新興洞・龍岩里・羅北里・漁游里・富潤里・檜郷里・鳳岩里・龍川里をもって、清津市羅南区域を設置。(7洞5里)
    • 富潤里が富潤洞に昇格。
    • 解放洞が羅城洞に改称。
    • 龍川里が漁游里に編入。
  • 1963年11月 - 清津市の昇格に伴い、清津直轄市羅南区域となる。(8洞5里)
    • 羅興洞・羅城洞の各一部が合併し、羅興一洞が発足。
    • 羅興洞の残部および羅城洞・新興洞の各一部が合併し、羅興二洞が発足。
  • 1967年 - 富潤洞が富潤労働者区に降格。(7洞1労働者区5里)
  • 1970年7月 - 清津直轄市の降格に伴い、咸鏡北道清津市羅南区域となる。(7洞4里)
    • 富潤労働者区・漁游里が新設の清津市富潤区域に編入。
  • 1977年11月 - 清津市の昇格に伴い、清津直轄市羅南区域となる。(7洞4里)
  • 1978年10月 (12洞3里)
    • 鏡城郡九徳里を編入。
    • 鳳岩里の一部が分立し、楽園洞・セゴリ洞・鳳泉洞が発足。
    • 羅北里が羅北洞に昇格。
    • 九徳里が恩徳洞に昇格。
  • 1985年7月 - 清津直轄市の降格に伴い、咸鏡北道清津市羅南区域となる。(12洞3里)
  • 1987年 (15洞3里)
    • 楽園洞の一部が清津市松坪区域農圃一洞の一部と合併し、楽園一洞が発足。
    • 楽園洞の残部が清津市松坪区域農圃一洞の一部と合併し、楽園二洞が発足。
    • 鳳泉洞の一部が分立し、鳳泉一洞が発足。
    • 鳳泉洞の残部が清津市富潤区域漁游里の一部と合併し、鳳泉二洞が発足。
    • 羅北洞が分割され、羅北一洞・羅北二洞が発足。
  • 1991年 (18洞3里)
    • 鳳泉二洞が分割され、富岩洞・龍川洞が発足。
    • 鳳泉一洞の一部が分立し、鳳泉二洞・鳳泉三洞が発足。
  • 1993年1月 - 清津市富潤区域富潤一洞・富潤二洞・千水洞・古城一洞・古城二洞・ソンバウィ洞・阿陽洞・漁游里を編入。(18洞1労働者区4里)
    • 富潤一洞・富潤二洞・千水洞・古城一洞・古城二洞・ソンバウィ洞・阿陽洞が合併し、富潤労働者区が発足。
  • 1994年3月 - 富潤労働者区・漁游里が新設の清津市富潤区域に編入。(18洞3里)
  • 1999年 - 檜郷里が檜郷洞に昇格。(19洞2里)

羅南市

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  • 1914年 - 咸鏡北道鏡城郡梧村面として発足。
  • 1920年 - 咸鏡北道庁が鏡城から羅南に移転した。
  • 1930年 - 鏡城郡梧村面の一部が分立し、羅南面が発足。
  • 1931年 - 羅南面が羅南邑に昇格。
  • 1940年3月 - 羅南邑の一部が清津府に編入。
  • 1943年 - 羅南邑が清津府に編入。
  • 1945年(光復直後) - 咸鏡北道清津府、鏡城郡龍城面の各一部が合併し、羅南市が発足。
  • 1949年 - 清津市の一部を編入。
  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、咸鏡北道羅南市、鏡城郡鏡城面の一部地域をもって、羅南市を設置。羅南市に以下の里が成立。(13里)
    • 羅興里・平和里・梨谷里・豊谷里・解放里・新興里・檜郷里・龍岩里・鳳岩里・羅北里・漁游里・龍川里・富潤里
  • 1955年 (6洞7里)
    • 羅興里が羅興洞に昇格。
    • 平和里が平和洞に昇格。
    • 梨谷里が梨谷洞に昇格。
    • 豊谷里が豊谷洞に昇格。
    • 解放里が解放洞に昇格。
    • 新興里が新興洞に昇格。
  • 1960年10月 - 羅南市廃止。
    • 羅興洞・平和洞・梨谷洞・豊谷洞・解放洞・新興洞・檜郷里・龍岩里・鳳岩里・羅北里・漁游里・龍川里・富潤里が新設の清津市羅南区域に編入。

交通

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施設

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  • 羅南製薬工場

出身者

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脚注

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  1. ^ 1930年(昭和5年)ごろの陸軍常備軍配置状況(羅南区域における)。 昌弘社 編輯部「最新百科知識精講」昌弘社、1930年、746頁より。
  2. ^ 함경북도 청진시 나남구역 역사

外部リンク

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関連項目

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