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紀為君

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

紀為君(きいぎみ、生年不詳 - 元禄2年2月25日1689年4月14日))は、安土桃山時代江戸時代前期の女性。岡藩主・中川久盛正室徳川家康の養女。父は松平定勝

生涯

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戦国武将松平定勝の三女として生まれる。母は奥平貞友の次女・たつ[1]

その後、姉の松尾君・阿姫と共に徳川家康の養女となり、岡藩主・中川久盛の正室となるが子供はできなかった[2]

元禄2年(1689年)2月25日死去。享年は89とも92ともされる[3]。戒名は光顕院殿心蓮社専誉普照伝守大禅定尼[3]。墓所は大増寺

脚注

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  1. ^ 『三代實錄』(1897年、經濟雜誌社)
  2. ^ 『大日本史:札楽志兵志刑法志陰陽志』(1918年吉川弘文館
  3. ^ a b 『松山市史料集 第2巻』(松山市、1987年)p.1016「松山城主久松氏系譜略」