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笹下城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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笹下城
神奈川県
別名 笹下本城、佐々木城、篠箇城
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 間宮信元
築城年 1526年(大永6年)ごろ
主な改修者 不明
主な城主 間宮康俊
廃城年 不明
遺構 土塁?
指定文化財 未指定
再建造物 なし
位置 北緯35度23分16.9秒 東経139度35分50.5秒 / 北緯35.388028度 東経139.597361度 / 35.388028; 139.597361座標: 北緯35度23分16.9秒 東経139度35分50.5秒 / 北緯35.388028度 東経139.597361度 / 35.388028; 139.597361
地図
笹下城の位置(神奈川県内)
笹下城
笹下城
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笹下城(ささげじょう)または佐々木城は、神奈川県横浜市港南区笹下にあった[1]日本の城小田原北条家の家臣だった間宮氏の居城[2]玉縄城青木城をつなぐ「伝えの城」としての役割を有していた[3]

概要

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大岡川が、笹下川と日野川の二手に分かれる間にある高台一帯が城跡で、後北条氏に仕えた間宮氏の武将・間宮信元が築城したといわれる[2]。築城時期は不明だが、1526年(大永6年)に安房里見氏が渡海して後北条氏領内を侵攻したこと(大永鎌倉合戦)により、江戸湾防備の必要に迫られて築城されたと考えられている[4]。その後、息子である間宮康俊の居城となっていた。康俊は『小田原衆所領役帳』において玉縄衆として記録される人物である[1]

遺構

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横浜市に見られる谷戸地形を利用した「谷津構え」と呼ばれる築城方法で築かれており、笹下川や支流の左右手川(そうでがわ)、ほか大小の谷戸を天然の堀としていた。笹下の梅花山成就院裏の丘頂上部一帯が本丸とされ、その周囲には空堀水堀犬走りの跡らしいものがあるという[5]。城の周辺には、外郭の守りとして多くの間宮氏陣屋があった。

また前述の成就院の山門は、間宮氏の笹下陣屋の門を移築したものと伝えられている[6]太平洋戦争の戦火を被り復元された門とする資料もあるが[2][7]、その記載のない資料もあり[4][8][9]、創建時の門そのものか不明確な点があるが笹下陣屋門の姿を忠実に伝える山門とされる[2]

さらに、笹下五丁目にある笹下中央公園には雑色杉本遺跡があり、かつ笹下城の領域とされ間宮氏家臣・北見掃部の屋敷があったとされていたため、1989年(平成元年)の発掘調査で城の発見を主眼として発掘が行われたが、発掘の結果、城曲輪と目された平坦な場所は縄文時代以前に形成された埋没谷による地形であって、城郭や中世に属する遺構は発見されなかったという[10][11]

脚注

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  1. ^ a b 山本光正 1996年 115頁
  2. ^ a b c d 大類伸 1967年 133頁-139頁
  3. ^ 鳥羽正雄 1969年 214頁
  4. ^ a b 『磯子の史話』(1978)71頁
  5. ^ ふるさと港南民話幻の笹下城横浜市港南区、2019年4月20日閲覧。
  6. ^ 新編武蔵風土記稿 雑色村 成就坊 門.
  7. ^ 平井聖 1980年 294頁
  8. ^ 『港南の歴史』(1979)107頁
  9. ^ 笹下城跡と成就院横浜市港南区、2019年4月20日閲覧。(『こうなん道ばたの風土記』18-19頁抜粋)
  10. ^ 横浜市 1990 pp.6
  11. ^ 横浜市埋蔵文化財センター 1996 pp.3

参考文献

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  • 「雑色村 成就坊 門」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ80久良岐郡ノ8、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763986/72 
  • 大類伸監修『日本城郭全集』人物往来社1967年、133頁-139頁。
  • 鳥羽正雄『城郭 その総てを解体・復元』日本城郭資料館1969年、214頁。
  • 磯子区制50周年記念事業委員会『磯子の史話』(1978)71頁。
  • 港南の歴史発行実行委員会『区制10周年記念・港南の歴史』(1979)101-115頁。
  • 平井聖監修「間宮氏笹下本城」『日本城郭大系第6巻 千葉・神奈川』新人物往来社、1980年、292頁-294頁。
  • 横浜市教育委員会 1990年(平成2年)『平成元年度文化財年報(埋蔵文化財その8)』pp.5-6
  • 横浜市埋蔵文化財センター・横浜市道路局 1996年(平成8年)『雑色杉本遺跡発掘調査報告-都市計画道路環状2号線街路整備事業(港南地区)に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書-』NCID BN1590263X
  • 山本光正『東海道神奈川宿の都市的展開』文献出版1996年、115頁。
  • 港南の歴史研究会『こうなん道ばたの風土記』(1986初版・1999改訂版)18-19頁。