笹下城

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笹下城
神奈川県
別名 笹下本城、佐々木城
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 間宮信元
築城年 1526年(大永6年)ごろ
主な改修者 不明
主な城主 間宮康俊
廃城年 不明
遺構 土塁?
指定文化財 未指定
再建造物 なし
位置
地図
笹下城の位置(神奈川県内)
笹下城
笹下城

笹下城(ささげじょう)または佐々木城は、小田原北条家の家臣だった間宮氏の居城[1]神奈川県横浜市港南区笹下に所在した[2]玉縄城青木城をつなぐ「伝えの城」としての役割を有していた[3]

概要[編集]

大岡川が、笹下川と日野川の二手に分かれる間にある高台一帯が城跡で、後北条氏に仕えた間宮氏の武将・間宮信元が築城したといわれる[1]。築城時期は不明だが、1526年(大永6年)に安房里見氏が渡海して後北条氏領内を侵攻したことにより、江戸湾防備の必要に迫られて築城されたと考えられている[4]。その後、息子である間宮康俊の居城となっていた。康俊は『小田原衆所領役帳』において玉縄衆として記録される人物である[2]

遺構[編集]

横浜市に見られる谷戸地形を利用した「谷津構え」と呼ばれる築城方法で築かれており、笹下川や支流の左右手川(そうでがわ)、ほか大小の谷戸を天然の堀としていた。笹下の梅花山成就院裏の丘頂上部一帯が本丸とされ、その周囲には空堀水堀犬走りの跡らしいものがあるという[5]。城の周辺には、外郭の守りとして多くの間宮氏陣屋があった。

また前述の成就院の山門は、間宮氏の笹下陣屋の門を移築したものと伝えられている[6]太平洋戦争の戦火を被り復元された門とする資料もあるが[1][7]、その記載のない資料もあり[8][9][10]創建時の門そのものか不明確な点があるが、笹下陣屋門の姿を忠実に伝える山門とされる[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 大類伸 1967年 133頁-139頁
  2. ^ a b 山本光正 1996年 115頁
  3. ^ 鳥羽正雄 1969年 214頁
  4. ^ 『磯子の史話』(1978)71頁
  5. ^ ふるさと港南民話幻の笹下城横浜市港南区、2019年4月20日閲覧。
  6. ^ 新編武蔵風土記稿 雑色村 成就坊 門.
  7. ^ 平井聖 1980年 294頁
  8. ^ 『磯子の史話』(1978)71頁
  9. ^ 『港南の歴史』(1979)107頁
  10. ^ 笹下城跡と成就院横浜市港南区、2019年4月20日閲覧。(『こうなん道ばたの風土記』18-19頁抜粋)

参考文献[編集]

  • 大類伸監修『日本城郭全集』人物往来社1967年、133頁-139頁。
  • 鳥羽正雄『城郭 その総てを解体・復元』日本城郭資料館1969年、214頁。
  • 磯子区制50周年記念事業委員会『磯子の史話』(1978)71頁。
  • 港南の歴史発行実行委員会『区制10周年記念・港南の歴史』(1979)101-115頁。
  • 平井聖監修「間宮氏笹下本城」『日本城郭大系第6巻 千葉・神奈川』新人物往来社、1980年、292頁-294頁。
  • 山本光正『東海道神奈川宿の都市的展開』文献出版1996年、115頁。
  • 港南の歴史研究会『こうなん道ばたの風土記』(1986初版・1999改訂版)18-19頁。
  • 「雑色村 成就坊 門」『新編武蔵風土記稿』巻ノ80久良岐郡ノ8、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763986/72