石本三十郎

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いしもと さんじゅうろう

石本 三十郎
生誕 (1862-12-23) 1862年12月23日
肥後国大村(現、長崎県大村市)
死没 (1896-10-11) 1896年10月11日(33歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニュージャージー州プリンストン
国籍 日本の旗 日本
出身校 築地大学校プリンストン大学(客死)
職業 教師
配偶者 秋山すぐ(服部綾雄の妹)
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石本 三十郎(いしもと さんじゅうろう、1862年12月23日文久2年11月3日) - 1896年明治29年)10月11日)は日本の教育者である。

生涯[編集]

初期[編集]

1862年(文久2年)肥前国大村(現・長崎県大村市)の酒屋山口儀三郎・たみの次男として生まれた。後に、叔父である石本徳蔵の養子になり石本姓を受け継ぐ。1875年(明治8年)の夏、熊野与熊野雄七の父)により才能を買われ、共に横浜に行きヘボン塾で学ぶ。

キリスト教入信[編集]

1877年(明治10年)日本基督公会(現・日本キリスト教会横浜海岸教会)の仮牧師のジェームス・ハミルトン・バラ宣教師より洗礼を受ける。そして、日本基督公会の会員になる。

最初は医学を学ぼうとしたが、バラより教育者になることを進められ、築地大学校で学び、1882年(明治15年)に卒業し、築地大学校で英語の授業を担当した。1887年(明治20年)にヘボン塾の同級生の服部綾雄の妹秋山すぐと結婚する。

明治学院教師[編集]

1891年(明治24年)に明治学院に神学部が新設され、そこで英学万国史物理学を教えた。

アメリカ留学-死去[編集]

1893年米国のプリンストン大学に留学する。留学中に腸チフスにかかり、1896年10月11日米国で客死する。遺体はプリンストン墓地に葬られた。

著書[編集]

  • 『聖書の証明』アルフレッド・W.アーチバルト著、石本三十郎訳、基督教書類會社、1897年5月 (明治30年5月)
  • 『動物のはなし』、1889年1月1日

参考文献[編集]

  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年
  • 『長老・改革教会来日宣教師事典』新教出版社、2003年