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盲牌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

盲牌(モウパイ、モウハイ)とは、麻雀用語のひとつ。指の腹での図柄の凹凸をなぞり、その感触で牌の腹を見ずにどの牌か識別すること。古い文献では摸牌(モーパイ)という表記も見られる[1]

概要

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麻雀牌は図柄を牌の腹に彫り込んでいるため、牌をツモってくる際、牌の腹を強く触ることにより、視覚を介さず触覚だけで牌を識別することができる。おもに親指の腹で牌の腹をなぞるようにして識別するが、親指ではなく中指や人差し指の腹でも盲牌は可能である。昭和中期の麻雀ブームの時代、盲牌は雀士の嗜むテクニックのひとつであるとされ、当時発行された麻雀指南書の中には、盲牌を積極的に推奨しているものも見られる[2]

盲牌は牌の種類によって判別の難度が違う。最も簡単なのは白で、字牌では中 東 西 北がわかりやすい一方、南發はやや紛らわしい。二索から九索までの索子全般は難度が低く、一筒から四筒までの筒子の下も比較的難度が低い。筒子の上は、七筒九筒は特徴があるが、六筒八筒はやや紛らわしい。難しいのは萬子で、一萬 四萬 七萬 八萬 九萬は萬子の中では易しいほうだが、二萬三萬の判別は若干難しく、五萬六萬の判別にはそれなりの修練を要する[3]。索子の中では唯一一索が、彫りの浅さから筒子と混同しやすい。一索の盲牌にまつわるエピソードとして、雀聖と呼ばれた阿佐田哲也は、盲牌で一索だと思って切った牌が実際には七筒で、その七筒で手痛い放銃をしてしまい、それがきっかけとなって雀ゴロ生活から足を洗う決意をしたといわれる。

当然のことだが、実際の牌を使わないコンピュータ麻雀・ネット麻雀では盲牌はできない。

盲牌の習慣がある雀士には、中指(あるいは薬指)の第一関節付近に麻雀ダコができる。親指の腹も皮膚が厚くなる。

メリット・デメリット

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「牌を視認なしで判別できる」「摸打のテンポやリズムが速くなる」などの点がメリットであるが、「実利的なメリットは殆ど無い」と述べる向きも少なくない。例えば東大出身の雀士として知られている井出洋介は、「周りから牌を覗かれる危険が減るという理由から親指を表側に添えるように持つ行為は否定しないが、親指で牌を確認するメリットは無い」と述べている。特に競技麻雀牌譜をとるような対局の場合、ツモった牌を自分の手牌の所まで持っていって採譜者に視認させる必要があり、その際に自分の目でも視認する時間的余裕は充分にある。そのような条件下では盲牌はまったく必要ない。フリー麻雀の場合はツモって切るまでが一連の動作であり、小考すると同卓者に情報を与えることになるため、盲牌をしている間に打牌選択ができるレベルになれば一定の意味と効果を持つと言える。

フリー雀荘等では盲牌は禁止されていない。ただし、先ヅモした牌に対する盲牌は明確にマナー違反とみなされる。正確には先ヅモ行為がマナー違反なのであって盲牌自体はマナー違反ではない。しかし自ヅモの直前でポンやカンが入ってツモ番が飛ばされ時、盲牌を伴う先ヅモをしていると、本来知ることのできなかったはずのツモ牌を不当に知ってしまうことになる。これを咎められた場合、「先ヅモはしたが盲牌しかしていない」という言い分は通らない。目に余る場合、先ヅモは出禁(出入禁止)など厳罰をもって処断されることもある。

フィクション世界の盲牌

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フィクションの世界では、目の不自由な打ち手が盲牌を頼りに手牌を読み取って打ったり、相手の盲牌の癖を見抜いて攻略の突破口としたりするほか、ときには盲牌が打ち手の熟練度を示す指標とみなされたりすることもある。以下、盲牌がストーリーにある程度深く関わっている作品をいくつか例示する。(時代順、降順)

小説、1969年初出、週刊大衆連載。1984年に映画化、1994年に漫画化。
出目徳・ドサ健・坊や哲・女衒の達が初めて卓を囲む場面で、カベ役に手の内を通されるのを嫌った女衒の達が、手牌を伏せて盲牌で打つと宣言するシーンがある[4]。このシーンは漫画版にも登場するが、映画版には登場しない。
ギャグ漫画、1982年初出、週刊ヤングマガジン連載。
オクトパシーふみ率いるタコ軍団が持杉ドラ夫に挑む回が複数回あり、第34話では盲牌麻雀の勝負が繰り広げられる[5]花牌夏でさえ完璧に盲牌できるギャグキャラ(盲牌の渡辺)も登場するが、タコ軍団どころかドラ夫まで盲牌間違いのチョンボを連発する[5]
漫画、1989年2002年近代麻雀ゴールド連載。
東西戦編に登場する僧我三威は、上ヅモすり替えを駆使した驚異的な聴牌スピードを武器に、ひろゆきらの前に立ちはだかる。僧我のすり替えの秘密は、上山に積まれたすべての牌を瞬時に盲牌して、どこに何が積まれているかを記憶することで、有効牌を自在に引き入れる、というもの。作中では「大部分の牌は牌のはしっこを盲牌するだけで判別可能である」とされており、僧我の技は「ハジ盲牌」と呼ばれている。
また、『天』のスピンオフ作品で福本伸行の代表作となった『アカギ』には、鷲巣麻雀という変則麻雀が登場する。鷲巣麻雀ではその特殊なルールから、盲牌を防ぐため利き手に皮の手袋を着用する決まりになっている。
漫画、2000年初出、近代麻雀連載。
第70話〜第73話「邪眼」 単行本第9巻、ISBN 978-4812458150
きわめて優れた動体視力を持つボクサーが、盲牌する際の指先の筋肉の僅かな変化・視線の変化を読み取って相手の待ちを読み切り、安永や多河など脇役を打ち負かして傀に挑む。
漫画、2006年初出、近代麻雀オリジナル連載→近代麻雀に移籍。
桁外れの握力で盲牌することによって親指で牌を削り、ツモ牌を白に変えてしまう「轟盲牌」(ごうもうぱい)というイカサマ技が登場する。
また、初見の敵の利き手に麻雀ダコを発見し、その実力を推測するシーンがある。(前述のとおり、麻雀ダコは盲牌によってできる)

脚注

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  1. ^ 古い文献における盲牌と摸牌
    • 栗原安行カラー版 麻雀教室 初歩から実戦まで日東書院、1986年。ISBN 4-528-00436-4 この資料では、巻末p191用語解説欄〔モ〕摸牌(もおぱい)の欄に、「牌を自摸ってくること。また自摸ってきた牌のこと。さらに牌を自摸るとき、親指の腹でその牌が何であるかさぐること」とある。
    • 山田風太郎は1967年に『摸牌試合』というタイトルの短編を書いている。ただしこの短編は麻雀小説ではなく時代小説で、タイトルだけ麻雀用語から借りてきている恰好である。
    • 大隈秀夫『マージャン金言集 敵に差をつける「読み」と「カン」光文社 カッパ・ブックス、1974年。 ISBN表記なし、(分)0-2-76(製)00307(出)2271。p195からp197にかけて、「盲牌をせよ、理牌はするな」という小題がある。
  2. ^ 大隈秀夫『マージャン金言集 敵に差をつける「読み」と「カン」』1974年。 p195〜p197の「盲牌をせよ、理牌はするな」という小題では、「相当な打ち手になると、右手中指の先のほうに牌だこができている。これは盲牌している証拠である。盲牌はできるに越したことはない」と前置きの上、十数行に渡って盲牌のメリットと効用が述べられている。小節の最後は「盲牌はそんなにむずかしくない」「練習していけば簡単に覚えられるものである」と結ばれており、デメリットには特に言及がない。
  3. ^ 嶺岸信明来賀友志『天牌外伝』 第14巻、日本文芸社、2008年。ISBN 9784537108514 参考として、p107、五萬六萬の盲牌が出来れば本物ですよ、というやり取りがある。
  4. ^ 阿佐田哲也麻雀放浪記1969年初出、角川文庫版1979年、第1巻「青春篇」、ISBN 4041459516、p189〜p190。
  5. ^ a b 片山まさゆきぎゅわんぶらあ自己中心派講談社、1987年11月発行 ヤンマガKCスペシャル 第3巻。ISBN 4061020900 

関連項目

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