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生駒正俊

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生駒 正俊
生駒正俊(法泉寺所蔵)
時代 江戸時代前期
生誕 天正14年(1586年
死没 元和7年6月5日1621年7月23日
別名 一丸
戒名 法泉院殿前讃州大守四品機外崇先大居士
墓所 香川県高松市法泉寺
京都府京都市妙心寺塔頭玉龍院臨済宗
官位 従四位下讃岐守
幕府 江戸幕府
主君 徳川秀忠
讃岐高松藩
氏族 土田生駒氏
父母 生駒一正堀秀重の娘
兄弟 正俊、山里、近藤政成正室、正信入谷盛之正房
正室藤堂高虎の養女
高俊藤堂高義室、天正院、藤堂長正正室、正慶
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生駒 正俊(いこま まさとし)は、江戸時代前期の武将大名讃岐国高松藩の第3代藩主。第2代藩主・生駒一正の長男。

生涯

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天正14年(1586年)、生駒一正の長男として誕生した。

慶長15年(1610年)、一正の死により家督を相続する。慶長19年(1614年)からの大坂の陣では遊軍として活躍した。

元和7年(1621年)、死去した。家督は長男の高俊が襲封したが、幼少のため外祖父の藤堂高虎の後見を受けることになった。

系譜

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外部リンク

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