「中華民国政府の台湾への移転」の版間の差分

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2021年4月5日 (月) 02:53時点における版

中華民国政府遷台中国語: 中華民國政府遷台)は、中華民国政府台湾への移転のことである。第二次国共内戦の末期、1949年から1950年にかけて[要出典]中国国民党とその政府の200万人の兵士[要出典]と民間人が移転した。 中国本土から台湾への、中華民国陸軍の主力に加えて、多くの民間人も中国本土を離れるために国軍に追随した。

中華民国政府の台湾への移転は、中華民国の歴史と現代台湾の歴史の両方において大きな出来事であり、当時の蔣介石総統が率いる中華民国政府、国軍、国民党は当初、台湾に一時的に撤退し、中華民国の国家的優先事項として、中国本土の支配を取り戻すために本土を反撃する準備をして、軍を再編成し統合することを計画した。そのため、プロパガンダとして反共抗俄歌大陸への反撃を宣伝する曲、ポスターなどを作成した。しかし、そのような計画を達成することは、現実的ではなく、明らかに不可能だっため[要出典][いつから?]、中華民国の国家の焦点は台湾の近代化経済発展に移り、「反攻大陸」のスローガンもおろした。李登輝政権を握った後、台湾、澎湖、金馬でのみ中華民国の主権と統治を提唱した。 2004年以降、中華民国政府は、領土が中国本土を含む「中華民国の包括的地図」を発行しなくなり、現在統治されている台湾、澎湖、金馬、松[何の?]の地域に変更した。[要出典]しかし、中華民国憲法によれば、中国本土は依然として中華民国の管轄区域であり、中華民国政府は、管轄下で中国本土に対する主権を放棄していない。