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[[建治]]2年(1276年)[[亀山天皇|亀山上皇]]の命によって編纂が開始され、[[弘安]]元年([[1278年]])に奏覧された撰者は[[二条為氏]]。主な歌人は[[後嵯峨天皇|後嵯峨上皇]]・[[藤原為家]]・[[藤原定家]]・[[西園寺実氏]]・[[藤原俊成]]・[[藤原信実]]などで、約1500首を収める。序はない。[[武士]]の歌も収録されている。
[[建治]]2年(1276年)[[亀山天皇|亀山上皇]]の命によって編纂が開始され、[[弘安]]元年([[1278年]])に奏覧された撰者は[[二条為氏]]。主な歌人は[[後嵯峨天皇|後嵯峨上皇]]・[[藤原為家]]・[[藤原定家]]・[[西園寺実氏]]・[[藤原俊成]]・[[藤原信実]]などで、約1500首を収める。序はない。[[武士]]の歌も収録されている。


=== 注解 ===
; 注解
*『続拾遺和歌集 [[和歌文学大系]]7』[[明治書院]] 2002。小林一彦注解
*『続拾遺和歌集 [[和歌文学大系]]7』[[明治書院]] 2002。小林一彦注解



2021年1月24日 (日) 13:17時点における版

続拾遺和歌集』(しょくしゅういわかしゅう)は、「二十一代集」中、12番目の勅撰和歌集。20巻。

建治2年(1276年)亀山上皇の命によって編纂が開始され、弘安元年(1278年)に奏覧された撰者は二条為氏。主な歌人は後嵯峨上皇藤原為家藤原定家西園寺実氏藤原俊成藤原信実などで、約1500首を収める。序はない。武士の歌も収録されている。

注解