「霊歌」の版間の差分

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'''霊歌'''(れいか)、'''スピリチュアル'''(英: spiritual)は、[[アメリカ合衆国の奴隷制度の歴史|アメリカの黒人奴隷]]に[[キリスト教]]が広まり、[[白人]]の讃美歌などの宗教歌、教会音楽、クラシック音楽と、[[アフリカ]]黒人の音楽的感性が融合して生まれた'''黒人霊歌'''を指す場合が多い。黒人霊歌よりもゴスペル音楽の方が、よりアフリカ黒人の音楽性が強く表現されている。黒人霊歌は「'''黒人が関与した(と考えられる)宗教歌'''」を指している。アメリカの霊歌には黒人霊歌以外に、[[プロテスタント]]の宗教歌を起源とする'''白人霊歌'''(ホワイト・スピリチュアル)があり<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB-84667#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 スピリチュアル]</ref>、黒人霊歌・白人霊歌は英語の歌である。もう一つ[[ペンシルヴェニア・ダッチ]](ドイツ語方言)による霊歌などがある<ref name="桜井" />。
'''霊歌'''(れいか)、'''スピリチュアル'''(英: spiritual)は、[[アメリカ合衆国の奴隷制度の歴史|アメリカの黒人奴隷]]に[[キリスト教]]が広まり、[[白人]]の讃美歌などの宗教歌、教会音楽、クラシック音楽と、[[アフリカ]]黒人の音楽的感性が融合して生まれた'''黒人霊歌'''を指す場合が多い。{{要出典範囲|黒人霊歌よりもゴスペル音楽の方が、よりアフリカ黒人の音楽性が強く表現されている。|date=2020年9月}}。黒人霊歌は「'''黒人が関与した(と考えられる)宗教歌'''」{{要出典|date=2020年9月}}を指している。アメリカの霊歌には黒人霊歌以外に、[[プロテスタント]]の宗教歌を起源とする'''白人霊歌'''(ホワイト・スピリチュアル)があり<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB-84667#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 スピリチュアル]</ref>、黒人霊歌・白人霊歌は英語の歌である。もう一つ[[ペンシルヴェニア・ダッチ]](ドイツ語方言)による霊歌などがある<ref name="桜井" />。


== 概要:由来 ==
== 概要:由来 ==

2020年9月21日 (月) 08:28時点における版

霊歌(れいか)、スピリチュアル(英: spiritual)は、アメリカの黒人奴隷キリスト教が広まり、白人の讃美歌などの宗教歌、教会音楽、クラシック音楽と、アフリカ黒人の音楽的感性が融合して生まれた黒人霊歌を指す場合が多い。黒人霊歌よりもゴスペル音楽の方が、よりアフリカ黒人の音楽性が強く表現されている。[要出典]。黒人霊歌は「黒人が関与した(と考えられる)宗教歌[要出典]を指している。アメリカの霊歌には黒人霊歌以外に、プロテスタントの宗教歌を起源とする白人霊歌(ホワイト・スピリチュアル)があり[1]、黒人霊歌・白人霊歌は英語の歌である。もう一つペンシルヴェニア・ダッチ(ドイツ語方言)による霊歌などがある[2]

概要:由来

メソジストの野外礼拝(1819年)

霊歌は、西洋の賛美歌より広い意味で使われており[2]、霊歌を賛美歌に含める考えと、賛美歌としては取り扱わない考えとがある。黒人霊歌は「ゴスペル」よりも歴史が古い。作曲者としては、古くはイギリスの白人聖職者、ドクター・アイザック・ワッツ[3]や、後には「スウィング・ロウ・スウィート・チャリオット」を作曲したWallis Willisらが知られている[4]。黒人霊歌は南部在住者と、南部からシカゴなどの北部の都市部へ移住した者によって歌われた[5]

霊歌は、新約聖書の「エフェソの信徒への手紙」(エペソ人への手紙)、「コロサイの信徒への手紙」(コロサイ人への手紙)にある「霊の歌」(spiritual song)に由来する。

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。 — コロサイ人への手紙(口語訳)

「spiritual song」は、伝統的に教会で使われた詩編歌や賛美歌のテキストと区別するために、18~19世紀半ばの讃美歌集で使われた[2]。これらは民謡ではなく、白人・黒人の区別もしていない[2]。また19世紀初頭には、野外礼拝用讃美歌も「spiritual song」と呼ばれるようになった[2]

現在のように「spiritual」が、黒人霊歌を指すようになったのは、(明確にはわからないが)南北戦争後のことであり、それまでは、アンセム、賛美歌、霊歌、ジュビリー・ソング、奴隷の歌、奴隷小屋・プランテーションの歌、ゴスペル、プランテーション讃美歌など様々に呼ばれた[2]。1960年代には、黒人霊歌を指す言葉として、spiritualが一般的になった[2]。歌集の標題にspiritual songではなくspiritualを用いた本は、ジョンソン兄弟の『アメリカ黒人霊歌集』(1925年)が最初である[2]

詳細

フィールドハラー・ミュージックは、Levee Camp Holler・ミュージックとも呼ばれ、19世紀に記述された、初期のアフリカ系アメリカ人音楽である。 野外奉仕者たちはブルース、スピリチュアル、そして後にリズムとブルースの基礎を築いた。 フィールドホルダー、叫び声と奴隷の所有者、そして後には綿花畑の農作業者、刑務所のチェーン・ギャング、鉄道労働者、ターペンタイン・キャンプなどで働くクロッパーは、アフリカ人が多かった。

黒人霊歌

フィスク・ジュビリー・シンガーズ(1882年)

黒人霊歌は、アフリカ大陸からアメリカ大陸に強制連行され、奴隷状態に置かれた黒人たちから生まれた。生活の中で育まれ口頭で伝えられる歌、すなわち民謡であった[2]。現在黒人霊歌と呼ばれるものはそれほど均質ではなく、黒人霊歌とそれ以外の一部の霊歌の区別は明瞭ではない[2]

歌集やアルバムには、奴隷制以後の芸術歌謡やゴスペルと重複する歌もあり、「黒人が関与した(と考えられる)宗教的な歌」という共通点が読みとれる[2]。名称が規定している民族性(アフロ・アメリカン)と宗教性(キリスト教)が共通する特徴として挙げられる。成立の時期・条件として奴隷制度を重視するなら、「奴隷の歌」または「プランテーション・ソング」の一種とされ、そのように呼ばれてきた[2]

黒人霊歌の起源は、アフリカ民謡を起源のひとつとする説、白人の民間宗教歌が黒人に影響を与えて発生したという白人音楽起源論などが、激しい論争を繰り広げてきたが、アフリカとアメリカ南部白人文化両方の影響があると考えられている[6]

黒人霊歌はかつて「Negro Spirituals(ニグロ・スピリチュアル)」と呼ばれていたが、黒人を指す「Negro(ニグロ)」という言葉に差別的な意味を持つようになった現在では、単に「Spirituals」あるいは、「African-American Spirituals」と呼ばれる。1930年代ごろにトーマス・ドーシーやブラインド・ウィリー・ジョンソン[7]らが登場したことで、霊歌の時代は終わり、「ゴスペル」の時代へと変わっていった。

主なシンガー/グループ

著名な霊歌

「黒人霊歌」

出典/脚注

参考文献

  • 東理夫『アメリカは歌う。――歌に秘められた、アメリカの謎』作品社、2010年。

関連項目

外部リンク