「熊谷巌」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
→家族 親族: 要出典 加筆にも典拠は必要です |
→参考文献: 修正。 |
||
23行目: | 23行目: | ||
{{DEFAULTSORT:くまかい いわお}} |
{{DEFAULTSORT:くまかい いわお}} |
||
[[Category:岩手県選出の衆議院議員 (帝国議会)]] |
[[Category:岩手県選出の衆議院議員 (帝国議会)]] |
||
[[Category:大正時代の衆議院議員]] |
|||
[[Category:昭和時代戦前の衆議院議員]] |
|||
[[Category:日本の内務官僚]] |
[[Category:日本の内務官僚]] |
||
[[Category:日本の弁護士]] |
[[Category:日本の弁護士]] |
2020年8月5日 (水) 03:06時点における版
熊谷 巌(くまがい いわお、1883年9月17日[1] - 1933年11月2日[1][2])は、日本の政治家、弁護士。
経歴
岩手県下閉伊郡宮古町(現在の宮古市)出身[3]。旧制第五高等学校から東京帝国大学法科大学に進み、1909年7月[4]卒業[1][2]。在学中に文官高等試験行政科試験[注 1]と高等試験司法科試験に合格した[1]。その後、東京府属、南葛飾、荏原両郡長、佐賀県警察部長、警視庁保安部長などを歴任した[2]。1922年、東京市政疑獄(瓦斯疑獄)で東京地方裁判所より懲役4ヵ月の判決を受け、翌年の東京控訴院、大審院の判決で確定した[5]。
1924年の総選挙に立憲政友会から立候補して初当選[6]。連続4期務めた。党内では総務となった[1][2]が、1933年疑獄事件に巻き込まれて自殺した[1]。
親族
- 孫 熊谷正寿(実業家・GMOインターネット株式会社代表取締役)[要出典]
脚注
注釈
- ^ 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版(東京大学出版会、2007年)187-195頁の明治39年11月から明治42年11月までの行政科試験の合格者名簿に記載はない。
出典
参考文献
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。