「女形」の版間の差分

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*娘・姫・女房など、[[中年]]以前の女性の役を演じる。
*娘・姫・女房など、[[中年]]以前の女性の役を演じる。
*幼女は子役の職掌であるから、女形は演じない。
*幼女は子役の職掌であるから、女形は演じない。
*老女・尼などは、[[江戸時代]]には[[花車方]]の役者が専門的に演じたものであり、現在でも[[老女形]](ふけおやま)などとして、通常の女形とは区別される。
*老女・尼などは、[[江戸時代]]には[[花車方]](かしゃがた)の役者が専門的に演じたものであり、現在でも[[老女形]](ふけおやま)などとして、通常の女形とは区別される。
*女の敵役(『[[伽羅先代萩]]』の八汐、『[[加賀見山再岩藤]]』の岩藤など)は、女形ではなく、敵役の役者の職掌である。現在では「[[敵役]]」という区分は消滅し、[[立役]]のうちに吸収されているが、江戸時代以来の伝統を重んじてこういった役は立役が演じる。美貌を売り物にする女形役者がこうした役をつとめると、ふてぶてしい極悪人であることを観客に納得させることが容易ではなく、舞台演出が困難になってしまうことが配慮されていることもそのひとつの理由である。
*女の敵役(『[[伽羅先代萩]]』の八汐、『[[加賀見山再岩藤]]』の岩藤など)は、女形ではなく、敵役の役者の職掌である。現在では「[[敵役]]」という区分は消滅し、[[立役]]のうちに吸収されているが、江戸時代以来の伝統を重んじてこういった役は立役が演じる。美貌を売り物にする女形役者がこうした役をつとめると、ふてぶてしい極悪人であることを観客に納得させることが容易ではなく、舞台演出が困難になってしまうことが配慮されていることもそのひとつの理由である。
*端役のなかにまれ見られる女の道化役(『[[仮名手本忠臣蔵]]』の下女りん、『[[妹背山婦女庭訓]]』の豆腐買など)は、女形ではなく、[[道外方]](およびそれを吸収した現在の立役)の職掌である。
*端役のなかにまれ見られる女の道化役(『[[仮名手本忠臣蔵]]』の下女りん、『[[妹背山婦女庭訓]]』の豆腐買など)は、女形ではなく、[[道外方]](およびそれを吸収した現在の立役)の職掌である。

2019年7月2日 (火) 04:45時点における版

鳥居清廣 画/浮世絵
1750年 - 1760年頃

女形女方(おやま・おんながた)とは、歌舞伎において若い女性の役を演じる役者、職掌、またその演技の様式そのものを指す[1]

概要

本来の語義からいえば、女形を演じる役者は男性にかぎられるものではないが、現在では「男が女を演じる」という認識に立って理解されることが多い。歌舞伎より転じて大衆演劇などにおいて男性俳優が女性の役を演じることをも称するようになった。

ガタは「方」つまり、能におけるシテ方、ワキ方などと同様、職掌、職責、職分の意を持つものであるから、原義からすれば「女方」との表記がふさわしい。歌舞伎では通常「おんながた」と読み、立女形(たておやま)、若女形(わかおやま)のような特殊な連語の場合にのみ「おやま」とする。「おやま」は一説には女郎花魁の古名であるともされ、歌舞伎女形の最高の役は花魁であることから、これが転用されたとも考えられる。

通説によれば、1629年(寛永6年)に江戸幕府が歌舞伎などに女性を使うことを禁じたために、その代わりとして歌舞伎の世界に登場したとされ、江戸では糸縷権三郎、大坂では村山左近がその祖であったと伝えられている。江戸時代の女方は芸道修業のため、常に女装の姿で女性のような日常生活を送るものとされていた[2]

なお、中国京劇においても女形(男旦)が存在するが、現在ではその役を主に女優が行っている。

スーツアクターにおいては、着ぐるみを着用しての演技を行なうという性質上顔が見えず、体型もある程度ごまかしが利くという点では異性の役を演じやすくなっている。このため男性でありながら女役を得意とする者も存在し、女形スーツアクターと呼ばれる。当然ながら顔が見えない分、動作によって女性らしさを充分に表現できなければならず、しかも重さ、関節、視界等の制約が厳しい着ぐるみの中で行なわなければいけないため技量や体力といった面では非常に厳しいものとなる。

歌舞伎の女形

歌舞伎における女形は、次のような種類の役を専門的に演じる役者を指す。

  • 娘・姫・女房など、中年以前の女性の役を演じる。
  • 幼女は子役の職掌であるから、女形は演じない。
  • 老女・尼などは、江戸時代には花車方(かしゃがた)の役者が専門的に演じたものであり、現在でも老女形(ふけおやま)などとして、通常の女形とは区別される。
  • 女の敵役(『伽羅先代萩』の八汐、『加賀見山再岩藤』の岩藤など)は、女形ではなく、敵役の役者の職掌である。現在では「敵役」という区分は消滅し、立役のうちに吸収されているが、江戸時代以来の伝統を重んじてこういった役は立役が演じる。美貌を売り物にする女形役者がこうした役をつとめると、ふてぶてしい極悪人であることを観客に納得させることが容易ではなく、舞台演出が困難になってしまうことが配慮されていることもそのひとつの理由である。
  • 端役のなかにまれ見られる女の道化役(『仮名手本忠臣蔵』の下女りん、『妹背山婦女庭訓』の豆腐買など)は、女形ではなく、道外方(およびそれを吸収した現在の立役)の職掌である。

女形が演じるのは「三姫」(八重垣姫、雪姫、時姫)に代表される姫君や花魁や若い娘や人妻、奥女中などである。ただし『三人吉三』のお嬢吉三や『青砥稿花紅彩画』(白浪五人男)の弁天小僧のような女装の美少年を演じるのも女形である。

女形が芯を張る主役の歌舞伎・狂言は少なく、その場合は立女形が必ず演じる。先代萩の政岡、妹背山のお三輪、十種香の八重垣姫など。

関連項目

作品

脚注

  1. ^ Three Actors”. World Digital Library. 2013年5月4日閲覧。
  2. ^ 戸部銀作「女方」『国史大辞典』第2巻、吉川弘文館、1980年、P984